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それって本当に「サービス」になってますか?

夏はもう終わってしまいましたが、
数ヶ月前、花火の季節に見かけたこんなニュース。

確かに、家庭用の花火って一度空けたら、あくまでその日のうちに使い切っちゃうのが普通だし、
量が多いなら、そもそも量が少ないセットを選ぶだろうし、
わざわざ小分けにされていたりする必要はないですよね。

作る側としては「小分けされている方が便利だろう」となんとなく思っているのかもしれないけど、
それは別に消費者側からみれば別に「サービス」でもなんでもなくて、
単にゴミと煩わしさを増やしているだけかもしれない。

そういうことって他にもあるかもしれなくて、
私にとっては「レジ袋」がそうでした。

もちろんいっぱい買い物したときとかは欲しいけど、
オフィスから昼食を買いにコンビニに行ったとき、
たかだかお弁当ひとつとか、おにぎりと飲み物だけ買って帰るぐらいなら、
別にそのまま素手で持って帰ればいいし、
コンビニから事務所までのこのほんの数分のためだけにしか使われず、ほぼ新品同様のまま後は捨てるだけ、ってなんだかなあと思っていたので、
可能な限り「レジ袋要りません」って言うようにしてました。

でも、手際のいい店員さんだと、私が「レジ袋要りません」って言う隙間も挟ませず、スッとレジ袋を取り出して商品を詰め始めるものだから、
(店員さんとしてはめちゃめちゃ気が利くイイ人なんですけどね…!)
今さら「要りません」と言うわけにもいかず…。
だから、レジ袋有料化になったとき、
「これからは、わざわざ『レジ袋要りません』って言わなくていいんだ…!」ってちょっぴり安堵したのでした。

繰り返しになるけれど、別に店員さんが悪いわけじゃなくて、
店員さんは、レジ袋に詰めたほうが便利だろう、その方がいいだろう、と思ってやっている。
でも、私にとってそれは「サービス」にはあんまりなってなくて、むしろちょっとした罪悪感とか煩わしさを誘発するものになってしまっている。
そう考えると、「サービス」って、もちろん善意とか何らかの意図を持ってやっているものだけれど、
その善意とか意図がちゃんと相手に伝わっているか?ということは、いろいろな場面で見直してみてもよいのかもなあ、と思ってしまいます。
もしかしたら、自分の身の回りにも、「サービス」のつもりが実はそうなっていないもの、案外あるのかもしれません。

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