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短編小説読書会『大聖堂』開催レポート

今回はカフェ開催でした。なんと開始時間にいつものカフェの席に行くと、近くに他の読書会と思しき方々がいました。こんな偶然もあるのかと思いましたが、少し席を離してスタート。参加者は主催を入れて、全員で4名でした。1名の方が初参加でした。

挙がった感想は以下の通りです。

・盲人というマイノリティーの孤独を感じた。髭をさわるしぐさ、自分が何かの内部にいないという感覚。その寂しさのようなものに、最後のシーンで「私」は触れられたのではないか。
・目が見えないということは、ネガティブなことだけを意味するのでないと思った。むしろ目が見えないからこそ、想像力や思考力で時間や空間を越えられるのではないか。
・最後のシーン、主人公の「私」と盲人のロバートが共感をしたというのは分かるが、たった数時間過ごしただけで、そんなことが可能なのか少し疑問に思った。
・短編は正直苦手だが、物語のラストのいい意味での突き放され感が快感だった。
・主人公の「私」とその奥さんの関係は、うまくいっているようにも、いっていないようにも見える。束縛し合わないという意味では良いが、「私」が深刻な悩みを抱えていること、「私」の奥さんへ対する語りを読むと、うまくいっていないようにも感じる。
・「私」が神を信じてはいない、というのがキーな気がする。我々日本人も神という概念は西洋より薄いが、どこかしら自分たちを支えている神(大いなる存在)を信じていると思う。


読書会を終えて


個人的にはもう少し作品の核に触れられたらと思ったのですが、読書会後に参加者の方からこんなメールがありました。許可をいただいているので引用します。

「本を読んで色々なことを考える。その『色々なこと』の方を、オチもゴールも定めずに話せる読書会って案外少ないんじゃないかと思うのですよね…。
本のテーマを語り合うのももちろん面白いのですが、今日も明日も現実を生きる私たちにとっては、触発されて思い浮かんだ「色々なこと」がより大事なこともあるのではと」

私が国語科の教員ということもあり、どうしても作品を読むときに分析的になってしまうのですが、作品を読んで思い浮かんだことや最近の自分の経験を語り合うだけでも、意味があるのかもしれませんね。

参加者の皆さん、ありがとうございました。次回は12月くらいに開催したいと思っています。

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