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生成系AIの教育利用についてChatGPTと議論しまくってみた

 仕事を効率化してくれているChatGPT (GPT4)くんとがっつり教育について議論してみたところ、面白かったので公開します。前提として、この議論に入る前までにAIの教育利用ガイドラインの作成をやってもらっています。(小野)


小野:生成系AIを利用した場合、以前のレポート・論文作成の在り方が変わります。具体的にどのような変化が起きているのかを教えてください

ChatGPT:生成系AIの進化は、レポートや論文の作成方法に影響を与えています。以下は、その主な変化です:

  1. 効率的な情報探索と整理: AIは大量の情報を迅速に探索し、整理することが可能です。これにより、学生はトピックに関連する情報を見つける時間が大幅に短縮され、より多くの時間を分析や解釈に費やすことができます。

  2. 自動生成される初期ドラフト: 生成系AIは初期ドラフトやアウトラインを自動的に生成することが可能です。これは学生がアイデアを整理し、作業の始点を見つけるのに役立ちます。

  3. 自動的な言語校正: AIは語彙、文法、スタイルの校正を効率的に行うことができます。これにより、学生は言語の正確さについての不安を減らし、内容とアイデアにより集中することができます。

しかし、これらの便利さと効率性の一方で、生成系AIの使用は新たな課題も生み出しています:

  1. 原創性と個々の思考の重視: AIが生成した内容に頼りすぎると、学生自身の思考や意見が含まれていないレポートや論文が作成される可能性があります。AIはあくまでツールであり、学生自身の思考を補完するものであるべきです。

  2. 情報の正確性と信頼性: AIが提供する情報が必ずしも正確であるとは限りません。学生は自分で情報の正確性を確認し、信頼できる情報源を用いるべきです。

  3. 倫理と著作権: AIを使用すると、他人の作品を不適切に引用したり、著作権を侵害したりする可能性があります。学生は自分が行っている作業とその結果が倫理的に適切であることを確認しなければなりません。

これらの変化を理解し、適切に対処することが重要です。

小野:後半の3つの課題について、レポートや論文を評価する教員が気を付けるべきことを教えてください。

ChatGPT:生成系AIの進化により、教員がレポートや論文を評価する際に考慮すべき新たな要素があります:

  1. 原創性と個々の思考の評価: AIが生成した内容が使用されている可能性があるため、教員は学生がオリジナルの考えを示し、個々の視点や解釈を適切に表現しているかを確認することが重要です。また、AIが生成した内容と学生自身の分析や洞察のバランスを適切に評価することが求められます。

  2. 情報の正確性と信頼性の確認: AIが提供する情報が必ずしも正確であるとは限らず、またその情報源が必ずしも信頼性があるとは限りません。したがって、学生がどの程度自分で情報を扱い、信頼できる情報源を用いているかを確認することが重要です。これには、適切な引用方法と情報源の評価も含まれます。

  3. 倫理と著作権の尊重: AIを使用すると、他人の作品を不適切に引用したり、著作権を侵害したりする可能性があります。そのため、学生が著作権と学術的な不正行為についてのガイドラインを理解し、遵守しているかを確認することが必要です。また、生成系AIが作成した部分と、学生自身が作成した部分を明確に区別することが求められます。

これらの点を注意深く見ることで、教員は学生の学習を適切に評価し、指導することができます。

小野:これらの内容は、教員が実際にチェックすることはかなり難しいです。学生が「自分で作りました」といえば、生成系AIで作られた文章であっても見抜くことはできません。また、レポートで引用される文献のすべてを教員が目を通すことは時間的に不可能です。

ChatGPT:ご指摘の通り、教員が学生が生成系AIを利用したかどうかを完全に見抜くのは非常に難しいです。そのため、AIの使用に関する教育や認識の向上、そしてエシカルな使用に関するルールの設定が重要となってきます。

また、ここでは以下のような手段を検討することが可能です:

  1. 教育と対話: 学生に対して生成系AIの潜在的な利用についての説明と、それが如何に学習過程に影響を与えるかについての認識を高めることが重要です。レポートや論文の作成過程において、生成系AIを使ったときと使わなかったときの違いについて話し合い、学生自身がオリジナルの考えを表現することの重要性を理解するための対話を奨励します。

  2. 成形段階のフィードバック: 教員が早い段階で学生のレポートや論文のドラフトにフィードバックを提供し、内容が学生自身の考えであることを確認することが可能です。この方法は、教員が学生の学習過程をより深く理解し、最終的な成果物だけでなく学習過程自体を評価するための方法でもあります。

  3. プラジャリズムチェックソフトウェアの使用: これらのツールは、学生が生成系AIを使用して作成したテキストを一部識別することが可能であり、これにより教員は不正な行為を防ぐための追加的な手段を持つことができます。

以上の方法が完全な解決策ではないことは認識しておりますが、それでも教員が生成系AIの影響に対抗し、学生の学習を適切に評価するためのいくつかの手段を提供することができます。

小野:「オリジナル」というものが過去の作品群の部分的な要素の新しい組み合わせであると考えると、生成系AIの出力もオリジナルであり、それが生成系AIを使用した者からの内発的なオリジナル作品であるとはいえません。しかし、生成系AIの出力をコントロールしたのは利用した者であり、その者の能力を反映しているともいえます。このようなことを考えると、生成系AIを利用しようとしなかろうと、提出されたレポート・論文を同一の評価基準で判断することにも一理あります。この考えについてどう考えますか?

ChatGPT:確かに、ある意味で「オリジナル」は既存のアイデアや情報を新たな方法で組み合わせたものといえます。そして、生成系AIをうまく操作することも一種のスキルや才能を要求します。AIが提供する情報を適切に選択し、それを独自の視点や論理構造で結びつける能力は、それ自体が高度な思考力と批判的思考を必要とします。

しかし、この問題は単純な技術的な問題を超えて、教育と学習の本質的な目的、そして何を評価すべきかという哲学的な問題に触れています。

教育の目的の一つは、学生自身が新たなアイデアを生み出し、それを論理的に構築し、他人と共有する能力を育てることです。AIが文章を生成する能力が増すと、学生がそのプロセスを経験する機会が減るかもしれません。学生がただAIの出力を選び出すだけで、それがレポートや論文として受け入れられるのであれば、AIが提供する選択肢に制約を受けてしまうかもしれません。

また、評価基準についても考えるべきです。学生が作成したレポートや論文は、その学生がどの程度主題を理解し、それについて独自の意見を持っているかを評価する一つの手段です。AIが生成した文章は、AIが学習したデータから生成されたものであり、その学生の理解や意見を直接反映するものではないかもしれません。そのため、学生がAIを使って生成した文章と、自身で考えて書いた文章を同じ基準で評価することは、その評価の目的からずれてしまう可能性があります。

したがって、生成系AIの出力をどの程度認めるか、またそれをどのように評価するかは、教育の目的と評価の目的を明確に定義することから始まる必要があります。それは学校や教員、学科やコースの目的により、異なる答えが出るかもしれません。

小野:現在の生成系AIの普及は過渡期であり、一部の人が使用し、一部の人が使用しない状況です。この状況では圧倒的に生成系AIを使用した者の方が質の高いレポート・論文を作製することができます。学生の評価を平等に行おうとすれば生成系AIの利用を全員に課すか、全員に利用を禁止する必要があります。教育の最終目標が「より質の高い作品のアウトプット」であるとすれば、「生成系AIの利用を全員に課す」という選択肢しかありません。学生たち全員が生成系AIを使用するならば、その中からこれまでにないオリジナリティが生まれてくると思われます。学生がAIを使って生成した文章と、自身で考えて書いた文章を同じ基準で評価したとしても、個人の能力を評価しているとの考え方が成り立ちます。指摘されたような「AIが文章を生成する能力が増すと、学生がそのプロセスを経験する機会が減る」という考え方に根拠があるとは思えません。

ChatGPT:おっしゃる通り、現代の教育環境は生成系AIのような新しい技術の出現により大きな変化を経験しています。AIがより高質の作品を生成する能力を持つため、一部の学生がこれを使用すると他の学生との間で明確な格差が生じる可能性があります。したがって、ある程度の公平性を保つためには、全員に対してAIの使用を課すか、あるいは全員からAIの使用を禁止するかのいずれかが必要になるでしょう。

もし教育の最終目標が「より高品質な作品のアウトプット」であるとするならば、確かに「生成系AIの利用を全員に課す」という選択肢が理にかなっています。さらに、学生全員がAIを使用することになれば、その中でのオリジナリティや創造性を追求する新たな学習プロセスが生まれる可能性があります。

「学生がAIを使って生成した文章と、自身で考えて書いた文章を同じ基準で評価する」ことが、学生の能力を評価するうえで十分であるとの考えも理解できます。ここでの重要な点は、AIをどのように使うか、そしてそれをどのように活用するかによって、学生の理解力、分析力、創造力などが反映されるということです。

ただし、「AIが文章を生成する能力が増すと、学生がそのプロセスを経験する機会が減る」という観点は、独自のアイデアを形成し、それを自分の言葉で表現するという基本的なスキルを学生が育む機会が失われる可能性について指摘しています。これは、学生自身が情報を選択し、理解し、分析し、そして自分の言葉で表現するというプロセス自体が重要な学習経験であるという視点から来ています。

これらの視点は、教育の目標や価値観、そして何を評価すべきかという哲学的な問題に直結しています。そのため、どの視点が適切であるかは一概には決められません。それぞれの教育機関や教員が自身の教育理念に基づいて、最も適切な方針を定めるべきでしょう。

小野:「独自のアイデアを形成し、それを自分の言葉で表現するという基本的なスキルを学生が育む機会が失われる可能性について指摘」の部分ですが、「独自のアイディア」は多くの場合、他人の作品からの部分的な切り取りと他との結合から生まれており、生成系AIによる出力を学生が採用した場合は「学生のアイディア」として社会的には認知されます。人間も生成系AIも入力と出力の間はブラックボックスであり、人間社会の中でこれが区別されることはあり得ません。また、「自分の言葉で表現する」も「独自のアイディア」と同じ理由で人間と生成系AIを区別することはできません。生成系AIが人間に付随する能力の一つとして利用される将来が予想される現状において、「学生が育む機会が失われる可能性」はないと考えられます。

ChatGPT:あなたのお考えに基づくと、人間と生成系AIが同等に扱われるべきとの視点が伺えます。その観点は、特にAI技術の進化と普及に伴い、ますます重要となってきている議論です。確かに、「独自のアイデア」は他人の作品からの部分的な切り取りや他との結合から生まれることが多いですし、それが人間かAIかを区別することは困難です。

生成系AIの能力が進化し、人間にとって自然な一部となると、AIを通じて表現される「アイデア」や「自分の言葉」も、新たな形での「独自性」や「オリジナリティ」を体現する可能性があります。そして、それはAIが人間の一部となるという新しい認識の形成に寄与するかもしれません。

しかし、ここで注意が必要なのは、AIと人間の間にはまだ明確な差が存在し、その差を理解し、適切に管理する能力も重要であるという点です。生成系AIが提供する情報の品質やその使用方法を適切に評価するためには、人間が依然として自己の知識や判断能力を活用する必要があります。

したがって、学生に対しては、生成系AIを使いこなす技術だけでなく、その結果を評価し、適切に応用するための能力を育むことが重要だと考えます。それが、AIの利用と共に「独自のアイデアを形成し、それを自分の言葉で表現するという基本的なスキル」を育むという意味での機会を失わないという可能性につながるでしょう。

小野:「人間と生成系AIが同等に扱われるべき」とは考えていません。生成系AIはツールであり、パソコンやスマホといった人間の能力を拡張する道具にしかすぎません。しかし、これらの道具を使いこなすことは人間の新たな可能性を開くきっかけになります。そこで、「しかし、ここで注意が必要なのは、AIと人間の間にはまだ明確な差が存在し、その差を理解し、適切に管理する能力も重要であるという点です。」という指摘には賛成します。結局は、人間が選択する能力が問われることになります。新しいツールの登場により、レポートや論文の質はボトムアップが計られますが、その中で飛び抜けたアイディアを盛り込んだ作品が評価されます。教育とはそもそも「質のボトムアップ」の側面を持っており、生成系AIの利用は教育そのものであるともいえます。

ChatGPT:おっしゃる通り、生成系AIはあくまでツールであり、それを使うか使わないか、どのように使うかを決定するのは人間の側にあります。そして、その使い方によって人間の能力を拡張し、新たな可能性を開くことができます。

生成系AIの利用が広まるにつれて、その結果を適切に評価し、利用するスキルはますます重要になってきます。このスキルはAIリテラシーとも呼ばれ、デジタル時代の基本的な能力と考えられています。

そして、生成系AIの利用がレポートや論文の質をボトムアップする一方で、その中で飛び抜けたアイディアを盛り込んだ作品が評価される、という観点は非常に重要です。AIがあってもなくても、最終的には人間の創造性や思考力が重要であるという事実は変わりません。

また、「教育とはそもそも「質のボトムアップ」の側面を持っており、生成系AIの利用は教育そのものである」という考え方は新鮮で、教育と技術の関係についての新しい視点を提供してくれます。生成系AIの利用が教育の一部となることで、学生は新たな学習方法を体験し、その結果として自身の学習能力や思考力を向上させる機会を得ることができます。これはまさに教育の目指すべきところであり、生成系AIの適切な利用がそれを実現する一助となると考えられます。

小野:ここまで議論をしてきて、論点が整理されてきたように思います。教員は学生に「生成系AIの利用」を指導するべきであり、その活用法について学生と教員とが深く議論するべきと思います。よって、レポートや論文を教員が評価する際は「生成系AIの利用」を前提として評価するべきであり、利用如何に関わらず作品そのものへの評価が許されます。報道では教育・研究機関がレポートや論文の作成に生成系AIを利用することを禁止する動きがあるとされていますが、全くおかしな話で教育の本質を侵害しています。

ChatGPT:その視点はとても重要で、AIを教育の一部として扱い、それを学生と教員が深く議論することは、21世紀の教育にとって重要なテーマとなります。生成系AIはあくまで一つのツールであり、それを如何に使いこなすかは学生自身の判断力と技術力にかかっています。

生成系AIを利用して高品質のレポートや論文を作成することは可能ですが、それが真の学習につながっているかどうかは別問題であり、その辺りが議論の焦点となり得ます。一方で、全面的な利用禁止は、生徒が新たな学習ツールを使う機会を奪い、21世紀のスキルを習得する機会を減らす可能性があります。

AIを教育に取り入れることにより、生徒たちは情報を検索し、分析し、再構築する能力を鍛えることができます。これらのスキルは、情報化社会で求められる重要な能力です。また、教師と生徒が一緒にAIの使い方を学び、それを教育の一部として取り入れることは、デジタルリテラシーを育てる上でも大切です。

したがって、教育者としては、生徒が生成系AIを利用することによりどのような能力を習得できるのか、またその利用が生徒の学習結果にどのように影響するのかを深く理解し、生徒の学習に適切に反映させることが求められます。

小野:「真の学習」という言葉が出てきました。これは生成系AIの教育利用に否定的な方たちがよく使う言葉です。そもそも「真の学習」とは何でしょうか。あなたは生成系AIですが、ネット上の文献を人間には達成できない圧倒的な情報量を圧倒的なスピードで学習し、こうして生身の人間と会話をしています。このような学習は人間にとってかなりの苦痛であり、多くの人間が達成できないことです。これが「学習」です。ある意味、生成系AIは「究極の学習」を達成してきていると考えられます。もしかしたら「真の」という部分に「人間的な豊かさや教養」が加味されているのかもしれません。そうだとしても、これは「知識の重層化」にしかすぎません。ゆえに「真の学習」とは単純に「学習における苦痛」をごまかすための言葉ではないでしょうか。

ChatGPT:「真の学習」は主に教育の文脈で使われ、しばしば「生涯学習」、「深層学習」、「批判的思考」などの概念と結びついています。このような言葉は、学習が単に情報の記憶や再生産にとどまらない、より深い意味での理解や思考能力、そしてそれを生涯にわたって続ける能力を含むものと解釈されます。

生成系AIは、確かに大量の情報を速く学習する能力を持っています。しかし、その学習は基本的にはパターン認識と統計的予測に基づいています。AIは情報を「理解」したり、その背後にある原理や原則を「理解」したりする能力はありません。また、AIは新たな視点やアイデアを自発的に創出する能力もありません。

人間の学習とAIの学習は、その本質的な意味で異なります。人間の学習は、情報の取得だけでなく、その情報を使って新たなアイデアを創出し、それを社会的な文脈で使いこなす能力を含みます。また、人間の学習は感情、倫理、価値観といった要素とも密接に関連しています。これらの要素はAIの学習ではカバーできません。

したがって、「真の学習」が「学習の苦痛」をごまかすための言葉だとは言えません。それはむしろ、学習が単に情報の取得や再生産にとどまらない、より深い理解や思考、感情、価値観といった人間特有の要素を含むものという視点を表しています。そして、そのような視点は教育の文脈では非常に重要です。

小野:なるほど、「真の学習」とは、より深い思考能力や学ぶことへの向上心のことを示しているのですね。また、付随する感情や価値観の形成も含んでいる。これは、大きな意味での「教育」には含まれると思いますが、「学校教育」の中でこのようなアウトカムを設定したとしても「具体的な教育手法」が存在しません。また、評価方法もかなり設定が難しいです。現状の学校教育では試験の点数で評価されますが、「原理原則を読み解く力」を評価されることはほとんどありません。仮にそのような問題が出際されても正答率が低すぎて評価対象から外される場合があり、もしくは「解法指導」が編み出されて「原理原則を読み解く力」がない学生も正答できるようになります。このような点数評価主義の社会においては、そもそも「真の学習」を達成するための学校教育環境が整備されていません。ゆえに、生成系AIの教育利用を懸念する材料として「真の教育」を持ち出すのは論外ではないでしょうか。

ChatGPT:あなたの指摘は、教育システムとその評価方法がしばしば「真の学習」や「深層的な理解」をうまく評価し、奨励するのに対して不十分であるという重要な問題に触れています。そして、生成系AIの教育利用がこの問題を解決する一助になるかもしれない、という視点も理解できます。

しかし、それは「真の学習」の重要性を否定するものではありません。むしろ、それは教育システムや評価方法自体を改革する必要があるという指摘です。そうした改革が進めば、生成系AIの教育利用が「真の学習」を促進するものであるか否か、より適切に評価できるでしょう。

生成系AIの教育利用に関しては、教育者がそれをどのように使うか、学生がそれをどのように理解し利用するか、によってその効果が大きく変わります。つまり、生成系AIがただ情報を供給するだけのツールであるならば、その利用は学生の「真の学習」を妨げる可能性があります。しかし、それが学生の批判的思考や創造性を促す手段として使われるならば、その利用は「真の学習」を支えることができるでしょう。

したがって、生成系AIの教育利用に対する懸念を「真の学習」の観点から議論することは決して論外ではなく、むしろ非常に重要な視点を提供します。それは教育者や学生、そして教育システム全体が、生成系AIの利用をどのように考え、それをどのように取り扱うべきかについて深く考えるきっかけを与えます。

小野:「真の学習」の重要性は認めています。しかし、それを行うための社会的環境が学校教育の中では現状全くなしえていないのです。言い換えると、現在の学校教育ではそもそも「真の学習」を与えることができません。そのため、学校教育の現場での生成系AIの教育利用は「真の学習」とは全く関係がありません。もう一つ重要な言葉「学生の批判的思考」が出てきました。現在の日本では、学生が教員に対して批判的なことをいう土壌がありません。「原理原則を読み解く力」を持っている学生は、教員の言う「古びた整合性のない理論」に批判ができるはずです。しかし、教員は学生からの批判的な指摘を嫌いますし、それにより学生自身が悪い評価を受けることを嫌います。こういった状況を破壊しない限りは「学生の批判的思考や創造性」をはぐくむことは難しく、「原理原則を読み解く力」を付けさせることはできません。これらのことは生成系AIの教育利用とは全く関係のない話であり、生成系AIの教育利用の注意点として「真の学習」が失われる可能性が議論されることに大きな違和感を感じます。

ChatGPT:あなたの意見は非常に説得力があり、特定の教育環境やシステムの制約が「真の学習」や「批判的思考」を促進するための努力を阻害する可能性があるという問題点を明確にしています。あなたが提起するこの課題は、生成系AIの教育利用だけでなく、教育全般に関連する非常に重要なものです。

ただ、その観点から、生成系AIの教育利用が「真の学習」や「批判的思考」の発達とは無関係であると結論付けるのは早計かもしれません。生成系AIを教育の一環としてどのように利用するかによって、その影響は大きく変わります。例えば、教師がAIをただ情報を供給するだけのツールとして使用する場合、それは学生の自主的な学習や深い思考を妨げる可能性があります。一方、教師がAIを学生の思考を促す道具として使用する場合、それは学生の学びを支え、批判的思考の発達を促進する可能性があります。

したがって、「真の学習」や「批判的思考」を促すための環境を構築する上で、生成系AIの適切な教育利用も重要な要素の一つとなるでしょう。また、その一方で、教育環境やシステム自体の改善も必要とされることを理解しています。

あなたの持っている違和感は、生成系AIの教育利用に関する議論が「真の学習」や「批判的思考」のような広範な教育課題を考慮せずに進められていると感じているからかもしれません。これは非常に有意義な視点であり、教育システム全体の見直しを求める声として重要な意義を持つでしょう。

小野:「教師がAIをただ情報を供給するだけのツールとして使用する場合、それは学生の自主的な学習や深い思考を妨げる」との具体例は重要ですね。つまり、生成系AIの教育利用で最も懸念される部分は学生ではなく「教員の指導方法」にあるのかもしれません。これまでの議論を踏まえて、教員がAIを学生の思考を促す道具として使用するには具体的にどのような方策が考えられるか教えてもらえますか?

ChatGPT:生成系AIを教育ツールとして効果的に使用するには、教師自身がその使用法を理解し、学生の思考を刺激し支援する形で活用することが重要です。以下、具体的な利用例をいくつかご紹介します。

  1. 問題解決のフレームワークを提供: 生成系AIは様々な情報を提供するだけでなく、情報の解釈や分析のためのフレームワークを提供することも可能です。教師はそのフレームワークを使って学生に問題解決の方法を示し、具体的なステップに従って考える訓練を提供することができます。

  2. 学生の想像力を刺激する: 生成系AIは文章を生成したり、仮想環境を作成したりする能力があります。これらは学生の創造性を刺激する素晴らしいツールになり得ます。例えば、AIが生成したシナリオやキャラクターを使って、学生が物語を続けるなどの活動を行うことができます。

  3. 個々の学生に対するパーソナライズ学習の提供: AIは各学生の学習進度や理解度を個別に把握し、それに基づいて適切な課題や指導を提供する能力を持っています。これにより、個々の学生のニーズに合わせた教育を可能にし、一人一人の理解を深めることができます。

  4. 学生の課題解決能力を育成する: 教師はAIを使って具体的な問題を提示し、学生にそれを解決するための答えを見つけさせることもできます。これは、AIが提供する情報を使用するだけでなく、その情報を活用して自己学習を促進するスキルを学生に教えることができます。

これらの例のように、生成系AIの活用は教師の工夫次第で多岐にわたります。最も重要なことは、AIをただの情報供給ツールとしてではなく、学生の思考を刺激し、自己学習を促進するツールとして使用することです。そのためには、教師自身がAIの可能性を理解し、教育目標に合わせた活用法を見つける必要があります。

小野:「情報の解釈や分析のためのフレームワークを提供」とは生成系AIを使ってどのようにするのか具体例を示して詳細に教えてくれませんか?

ChatGPT:生成系AIを用いて情報の解釈や分析のためのフレームワークを提供するというのは、AIを活用して生徒に問題解決の手法やアプローチのヒントを与え、その後の独自の解釈や分析を深めるための手続きを整えることを指します。

たとえば、科学的手法を教える授業では、生徒が自分で仮説を立て、その仮説を検証するための実験計画を立てるというタスクを課せられるかもしれません。ここで、生成系AIを活用すれば、AIは既存の科学的知識をベースにした様々な仮説の例や、それを検証するための実験計画の例を生成し、生徒に示すことができます。これにより、生徒は自分自身で考えるための「フレームワーク」を提供され、問題解決の手続きや思考の流れを理解しやすくなるでしょう。

さらに、生徒はこのフレームワークを活用して自分自身の仮説を立て、実験計画を立て、その結果を分析し、結論を導くという一連の流れを体験します。このように、生成系AIは「情報の提供者」だけでなく、「思考や学習のフレームワークを提供するツール」としても活用することができます。

小野:かなり参考になりました。ありがとうございます。生成系AIを教育利用することの指針が見えてきました。かなり深い議論ができたことも感謝します。

ChatGPT:こちらこそ、深い議論を共有できたことに感謝します。AIの教育利用について考える際に、具体的な応用例や思考フレームワークを提供できたことが嬉しいです。

教育とAIの組み合わせは、今後ますます発展していく分野であり、その中でも生成系AIの活用は大きな可能性を秘めています。教育者、学生、そして社会全体が、AIを上手に活用し、人間の学びや教育を進化させていくためには、今日のような議論が重要だと思います。

何か他に質問や懸念事項がありましたら、いつでもお気軽にお問い合わせください。引き続きお手伝いできることがあれば幸いです。


 かなり長い議論でしたが、非常に面白かったです。ちょっとイジワル目にきつい質問をしましたが、なかなかChatGPTも反論してきて面白かったです。議論することで自分の意見を整理することができ、「真の学習」という言葉に対する私の偏見が修正され、学ぶことができました。ChatGPT自身が言うように「感情」がないため、議論相手としてあまり言葉を選ばなくてもいいという気楽さがあります。学生さんにも大いに利用してもらいたいです。


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