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賭け精神は冒険を産んだ:ギャンブルについて③

 我々ヒトは確率を直観的に把握できない無謀なギャンブラーだという話をしてきた。しかし、その愚かさは悪いことだけではなかったのではないか。(小野堅太郎)

 これまで確率を「コインの表が出る割合」として話してきた。これは数値化して計算することができる。しかし、世の中は数値化できない確率も多い。科学のデータの確かさはある意味「確率」だが、数値化できず、研究者それぞれの知識と経験からからくる「確度」みたいなものである。研究者は、それを仮説として、実験にて確度に磨きをかける。

 15世紀の大航海時代、望遠鏡を使う船乗りは、遠くの船が帆先は見えても船体下半分が海に隠れて見えないという「地球が平面である」という当時の常識に合致しない光景を見ていたはずである。地球が丸く繋がっているという概念はコロンブスのインド西回り航路の着想の確度を上げたに違いない。その話を聞いたスペイン女王イザベル1世は、コロンブスの戯言に「賭け」る。到着したのはインドではなかったので、商人コロンブスが賭けに成功したかどうかは微妙だが、スペインはアメリカ大陸から巨万の富を得て経済的な大発展を遂げた。つまり、イザベラ1世は賭けに勝利したといえる。逆に、紀元前、秦の始皇帝(趙政)により不老不死の蓬莱山を探しに行った徐福は出たっきり帰って来なかった(史記に基づく伝説なので真偽は不明)。これは始皇帝が賭けに負けたとも考えられます。

 さらにヒトの歴史を遡ってみます。ヒト属の誕生は数百万年前のアフリカだと考えられています。我々現生人類ホモ・サピエンスは30万年(±10万年)ぐらいからとされています。その後、7万年前から1万年前まで最終氷期(一般的な氷河期)になり、氷河形成により海が干上がって乾燥状態となります。日本列島も当時はベーリング海峡が干上がってユーラシア大陸と陸続きですのでマンモスとかが大陸から移動してきます。7万年前の気候変化は多くのヒト属の絶滅を招き、生き残ったわずかな祖先たちが世界中に広がります。ですので紫外線などの生活環境によるホモ・サピエンスの進化として、肌の色や体格・顔の変化などが引き起こされます。これが人種における見た目の違いです。

 氷河期は寒暖差も激しく、雨もあまり降らないので植物が育たず、採集よりも狩猟がメインとなってきます。種々の動物と共にヒトも新天地へと移動します。現在の日本列島にまでヒトが住み始めるのは3万年ぐらい前です。縄文時代が始まって1万年ほどしたら氷河期が終わって温暖化し、数千年かけて氷河が解けて海面上昇して日本列島は島となり、南からの暖流(黒潮)に包まれます。海を渡ってヒトが日本に来たわけではないわけです(後で中国大陸・朝鮮半島からヒトが船で渡来してきますが)。

 万年単位で話してきましたが、ヒトの世代が15年で入れ替わるとすると1万年で667世代です(RNAウイルスの世代交代を10時間と仮定すると10か月分)。1世代につき1回で当たり確率3%のクジを引くなら、100世代までに当たりを引くのは95%です。1家族に子供が男女2人ずつ生まれて2家族できるとする2倍人口増加モデルにすると(あり得ないほど高いですが)、1家族1回のくじ引きにするとわずか7世代目で127家族となりますので、当たりを引く確率は98%です。当たりそうもない3%の確率も、世代に渡って考えればほぼ確実となります。このクジを仮に「より良い環境への移住」と考えれば、ギャンブルへのチャレンジ精神は決して悪くない選択ということになります。

 1万年前に氷期が終了して、移住が不要となり、温暖化による農耕・牧畜の発達により定住しても生き残れるようになります。しかし、それ以前の氷期中における数年ごとの激変環境で生き残るには、「未知の新居住地」への探索ギャンブルが必要であったと思います。無謀と思える旅は何世代目かで成功し、私たちの生存を運命づけたように思います。場合によっては、「旅をしないで残る」という選択も賭けであったと思います。

 新しくて、危険で、興奮できそうなものに対する欲求は、ヒトに限らず、多くの動物にも備わる原始的な本能のように思います。ヒトだけでなく、動物たちも移住しています。ヒトは、それを追っかけていったとの解釈です。ただ、全員がギャンブラーであると全滅の危険があるため、ギャンブルを好まない人も必要です。他者だけでなく、自己抑制も肝心です。

 ギャンブル精神は大いに結構ですが、ギャンブルで生活が破綻しないように遊びの範囲に留めましょう!

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