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確率はチャレンジ回数で乗り越える:ギャンブルについて②

 前記事で、ギャンブルで勝つ確率を計算すると第一印象とのギャップがあるとの話をした。そもそも確率とはなんだろうか。(小野堅太郎)

 コインを5回投げて全て表が出る確率は3%である。うーん🧐、表裏表裏表になる確率も3%、裏表表表裏になる確率も3%であり、あらゆる順番が3%なので全部表になることは「特別」ではない。同じモノごとが続くことに、我々人間は「特別」を感じてしまう。ゾロ目、スリーセブンなど、「運がいい」と感じてしまう。逆もあって、初詣でおみくじを引いたら「凶」が出たので縁起が悪いともう一回引いたら再び「凶」。2年後にも同じ現象を引き当て、一緒にいた娘もそうなった。「凶」のおみくじ割合の高い神社に違いない。

 我々を惑わすのは、印象だけではない。賞金額の大きさと他者の利益体験がある。たとえ当たり確率が低くても金額が莫大なら賭けてしまうし、他の人が儲けて喜んでる姿を見て自分も儲かるのではないかと考えてしまう。

 宝くじ1等(一億円以上)は、1/10,000,000、つまり0.000001%と言われている。よく言われるのは落雷を受ける人の割合と同じとされる。10億円分もの宝くじを買えば1等に当たる可能性はかなり高くなる(当選しても1億円ほどなので損するが)。1000万円分の宝くじ購入でも1等は当たらない。つまり、当てるためには、それなりの出費が必要となる。にも関わらず、宝くじを1万円分買ったりしてるのは「当たれば億」という夢を買っているのである。買わなければ、可能性はゼロである(買っても当たる確率はゼロに近いが)。宝くじは収益の半分程度を賞金にしているらしいので、そもそも利益を上げるのは難しい。

 宝くじは賞金額で購入意欲を刺激しているが、競馬やパチンコは収益の70%もしくは90%も賞金にしているらしいので「儲けた」という人は身近に何人かいる。目の前で当ててる人を見れば「おっしゃ、自分も!」となる。競馬新聞やパチンコ雑誌などから知識を入れると、ギャンブルとしてではなく、競技応援やゲーム演出の観点からも人をハマらせてしまう。

 いずれにしても、ギャンブルで利益を上げることは難しい。儲からなくても、予想した馬や選手が1位になった時の喜び、確変の高揚感がたまらないのである。馬や選手のファンになってしまうと、「今回調子悪そうだな」と思っても、絶対張ってしまう。損しないためには確率計算をして、自分の「こだわり」や「応援」を排する必要がある。そもそも儲かるわけではないので、余興の範囲で楽しむことが肝要である。

 と、わかっていつつも勝ちたい、儲かりたいと思ってしまうのが我々である。とあるM教授はパチプロであるとの話を聞いた。尋ねてみたところ、「出る店、出る台を見極めて、長時間打ち続ける」とのことだった。コインを10回投げたとしても、表が5回しか出ないなんてことはない。4回だったり、6回だったり、ピッタリ50%の出現確率にはならない。100回投げるとだんだん50%に近づき、1000回投げるとほぼ50%になる。なるほど、勝率の高い環境を見極めたうえで、「長く」打つのは確率の性質を考えると理に適っている。もちろん、それなりのまとまった資金が必要になる。

 株式投資をギャンブルとするかどうかは、意見が分かれそうである。デイトレードはギャンブル要素が強いが、長期投資は薄いようにも思う。小野としては、「投資は自己責任」と言われる以上、ギャンブル要素が認められていると考えている。株価が2倍になったとして、10万円は20万円となり10万の儲けだが、1000万円買っていれば1000万円の儲けとなる。しかし、株価が0.5倍に下がれば5万円の損が500万円の損となる。株式(もしくは為替)は経済全体への影響が大きいので、政府の手が入って変動を補正する。そこが一般的なギャンブルとは大きく異なる。

 なんかギャンブル必勝法を書いてるような記事になってしまっているが(必勝法ではありません)、マナビ研究室としては何を言いたいかというと、「ヒトは確率を直観的に把握できるほど進化してしておらず、むしろ無謀な賭けにチャレンジする性質を持っている」ということである。確率論は17世紀からの学問領域で、実用的なベイズ確率は20世紀末なので、進化に影響してないのは確かである。

 さて、この無謀なチャレンジ精神は無駄なのかというと、そうともいえない気がしています。「長くやる」にヒントがあります。次回は、ギャンブル好きな我々がなぜ社会発展していったのかについて話みまとめます。

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