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読書のススメ 同じ本でも読む時によって全く違うものになるという話(小説)

「銀河鉄道の夜」
おそらく誰もが知っているこの本
初めて読んだのは小学生の頃。
面白くなかった。意味がわからなかった。

注文の多い料理店という絵本があまりにも面白かったので、宮沢賢治という作家に興味を持った。
銀河鉄道の夜という本が有名だということを知って早速買って読んでみての感想が上記のそれ。
全く意味がわからない。未完だし、アニメ化されたりもしていたがなんでこんなに人気があるのかわからない。

時は数十年ほど過ぎ、たまたま岩手の宮沢賢治記念館に行く機会を得た
かの有名な、
「雨ニモマケズ」
の詩の書かれた手帳がガラスケースの中に展示されていた。
実際はこんな思いつきで書かれたようなものだったなんて。
本当は誰にも見せるつもりもなかったのかも知れない。
そして、初めてその全文を読んでみて宮沢賢治という人はなんて心の清らかな人なんだろうかと思った。
自己犠牲の塊のような。

宮沢賢治は岩手の故郷のことをイーハトーブと呼んでいた。
言うなれば桃源郷、ユートピアのような。
確かに周りを見渡せば美しい自然が広がるきれいなところではあったけど、私の目にはよくある田舎の景色であり(岩手の人ごめんなさい)どの辺が桃源郷に見えるのかわからなかったが、
宮沢賢治の目にはそう見えたのだろう。

そのかつてのイーハトーブの住民の書いた銀河鉄道の夜をこの機会にもう一度読んでみようという気になった。
結果、あまりにも素晴らしかった。
桃源郷をゆうに超え、まさに夢の世界。
それは、頭に思い描く夢の方ではなく、睡眠中に見る夢の方。
宮沢賢治はもちろんとうの昔に亡くなっているが、彼もこんな夢をみていたんだろうなと思った。
非現実的で辻褄が合わない、それでいてこの世のものとは思えないような美しさのある夢。
夢の支離滅裂さをそのまま描写したかのような不思議な世界の中にいながら悲しい現実が時折顔を出す。

この本の価値は、お菓子のことと宿題のことくらいしか考えていなかった当時小学生の私に理解できなくて当然だと思った。
頭が悪いというよりは、(頭も悪かったけれど)自分の感情が成長していなかったんだということがよくわかった面白い出来事となった。

そんな事があったので、昔読んだ本を大人になった今もう一度読んでみようというイベントを一人で開催することにした。

手に取ったのは、伊藤左千夫の
「野菊の墓」
これはよく覚えている。
悲恋の物語だが、読み始めたら止まらなくなりとうとう最後まで一気に読み切って読み終えた時には号泣していたというのは確か中学生の頃。
この本も、今読めばもっと感動的に思えるんじゃないかと考えた。

結果、悪い意味で大人になり、思った以上に心が荒んでいることを知らしめられることとなった。
だいたい、2歳女性の方が年上というだけで悲劇であるというところからもう受け付けなかった。
当時はそれが普通の感覚だったのだから仕方がないが、それを差し引いてももう純粋な恋愛小説を読んで感動できるような人間でなくなったということにショックを受ける出来事となった。
と同時に、良い面としては中学生の頃の自分が何だか可愛らしいような気分にもなったので相殺ということで。

そんなこんなで、同じ本でも読む年代と心境によって同じ人間でも全く違う感想を抱くというのは面白いことだと思う。
ただ漫然と年を重ねたように思うことも多いけれど、そうではなく。
年月は確実に経過していて、自分は変化している。
このところ、資格の本やら簡単な洋書のミステリーくらいしか読んでこなかったが何十年も読み継がれる純文学はやはり心に残るものがある。
もっと読もうと思った。

ちなみにその後、芥川龍之介の杜子春を読んだ。
こちらは初めて。
何となく「杜子春」という、意味のわからない題名により長らく敬遠していたものだったが、人の本当の幸せとは何かを考えさせられる素晴らしい物語だった。
この本も今読んでよかった。
20歳ごろのイケイケ(死語)の時に読んでいてもきっと良さは半減していた。

人の心は本当に面白い
私もいつか宮沢賢治の詩のような心境になれたらと思う。




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