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教育を社会の成り立ちという横軸で考える

私が「一番好きな著者は誰か?」と聞かれたら、迷わず高野秀行さんの名前を挙げると思う。
早稲田大学の探検部出身で、「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」をモットーに数多くの探険本を出版されている。
中でも『謎の独立国家ソマリランド』は私にとって衝撃的で、アフリカの紛争地域の中に平和国家があること、そしてその国家がどう成り立っているから平和が保たれているのかということを教えてくれる、すべての常識を覆す、目から鱗の本だった。


今起きているすべてのことには、それまでの成り立ちがあるのだ。
教育について学んでいると、特にそう感じる。
アメリカの教育大学院で学んでいると人種間での公平性の担保は一番熱い話題と言っても過言ではないが、正直「いつまでこの話をするんだろう」と他の留学生とうんざりすることも多い。
それは人種間での公平性の担保が大切でないと思っているからではなく、アメリカ人はこの問題を本気で解決するつもりがないのではと感じるからだ。
公平性の話をしているときでもすぐ人種でカテゴライズするのだから、日常生活も当たり前に人種でカテゴライズされている。
そもそもの発想が分断的なのだ。


「この分断的な発想は、そもそもアメリカ人がアメリカに辿り着いたときから始まっているんだと思うんだ。だってアメリカ大陸に最初に辿り着いた白人って、イギリスが嫌で『新しい大陸に理想郷をつくるんだ!』って意気込んで来た人たちでしょ?その人たちの子孫が本気で他の人種に自分たちの理想郷を分け与えたいとは思っていないと思う」
と、仲良くしているシンガポール人の同級生がみかんを頬張りながら言う。
「逆にオーストラリアに来た白人は元々流刑になった人たち。何もない土地で必死で生き残らないといけなかったから、同じ新大陸でもアメリカとはつくられ方が違う」


国はつくられるもの。この感覚がそもそも日本人にはない。
一緒に話している同級生の出身地であるシンガポールも、国が成立したのは1965年。自分の親より若い。
シンガポールにも中華系、マレー系、インド系と様々な人種が混在しているのが、そんな多様性に溢れた国がどのように建国したのかはしっかり聞いたことがなかったのでこれを機に質問してみる。


「貿易の関係で、マレー半島の中でもマラッカ海峡に面する土地に中華系のクーリー(労働者)が集中したんだ。イギリス支配が終わったときに今のシンガポールの地だけ中華系の人種が多かったけど、マレーシアはマレー人のための政治をしようとした。だから独立したんだ」
「初代首相のリー・クアンユーはイギリスに留学していたときにアジア人差別を経験したらしい。だから国をつくるときに絶対に差別を容認しないように、シンガポールのどの地域にもすべての人種や宗教が満遍なく属するようにとクォータを設定した。その考え方は学校教育にも反映されている」


アメリカ、オーストラリア、シンガポール。
多種多様な民族が集まる移民国家は、まるでチームのようだなと思った。
チームが機能するように、どういったグランドルールが設定するのか。
その特色に惹かれてさらに移民がやってくるのだから、その連鎖を断ち切るのは難しい。
既にいる移民によってその思想は教育という形でさらに強化される。
アメリカはそもそものスタートが自分たちの理想郷をつくるというアメリカンドリームから始まり、シンガポールはスタートから人種差別が国の興亡に直結することを理解してグランドルールを敷いているのだ。


翻って日本はどうなのだろう。
日本はムラ社会だとよく言われるが、世界的に見ても日本という国全体でムラを形成しているように見えた。
日本語を多数派の言語として話す場所は、地球上で日本しかない。
シンガポールは英語が公用語なのでシンガポール社会で信用を失うと海外に亡命するそうだが、日本人は日本で失敗しても亡命できる場所がない。


そう考えると、日本は国全体で家族のようだなと思った。
一度日本に生まれついたら、よほど海外に出る機会がない限り、日本の中で暮らし、日本の中で死ぬ。
自分のコミュニティは選べない。事前にグランドルールの設定はできない。
コミュニティの中で失敗もできない。
その中で「出る杭は打たれる」文化や「空気を読む」文化が生まれてきたのではないかと思う。
これらは日本というムラに住む日本人にとっては生存戦略なのだ。


ビジネスでも「チームをより良く運営するには?」という命題はよく議論され、チームワークを高めるための色々な方法が提案されて試される。
それでは「家族をより良く運営する」ためには、一体どういうことができるのだろうか。
日本を一つの家族だと考えると、普段日本の中で過ごすにあたって次のような問いが思い浮かぶ。


・自分の「ウチ」だけに焦点を当てて、「ソト」が見えない、蔑ろにするような状態になっていないか。
・事前にどのようなグランドルールが必要か議論せずに、家での既存のルールを絶対だと思って物事を進めていないか。
・自分の(家族の)常識を、「相手のために」という名目で勝手に押し付けていないか。
・毎日挨拶して、相手の状況を伺うことを疎かにしていないか。
・建設的なフィードバック(感謝を含む)を伝え忘れていないか。


すべてのことには成り立ちがある。
この成り立ちを理解しながら、すべての人がその生を全うできるような仕組みを考えるのが教育なのかもしれない。

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