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2024.2 / 日本人と市民運動

1月末に、自分と社会のつながりについてみんなで話す、オンラインイベントTAKIBIが終了した。


TAKIBIの場のゴールの一つとして、「ひとりひとりが社会の一部で、社会を変える力を持つ存在だと感じることができる」を設定しているのだけれど、この考えはマーシャル・ガンツ先生のパブリック・ナレーティブで学んだことを応用している。
パブリック・ナレーティブはガンツ先生が市民運動を組織化するときに、人はどのように内なるリーダーシップを見つけ、希望に向けて団結することができるのかという政治キャンペーンの実践をコミュニティ・オーガナイジングという手法に落とした一部だ。



日本は市民運動が少ない国と言われ、近年は首相官邸前で脱原発やLGBTQの差別への抗議のデモが行われるものの、たとえばストライキでいうと、去年8月にそごう・西武の従業員が行ったストライキが61年ぶりだったという。
アメリカに留学していても、皆バックグラウンドが違って主張が違うのは当たり前のことだし、学生も市民も至るところで集まり、抗議することが当たり前だった。


日本人はお上に弱く、自己主張をしない国民性なのかと思っていたが、最近一つ面白いことに気がついた。
現在70代の方数名と話す機会があったのだが、彼ら・彼女らは若いときにストライキに参加したことがあるというのだ。
要求内容は教員向けの労働環境改善と賃上げだというので、驚きだ。
今も教員の労働環境は劣悪だと話題になっているけど、今の先生たちが組織化してストライキを起こす姿は全然思い浮かばない。
他にも国鉄はしょっちゅうストライキで止まっていたというし、ストライキが身近な存在だったという。


「当時の元気な若者に比べて、今の若者は…」と言いたくなるが、さらに面白いと思うのは、聞いているとストライキが身近なものでなくなったのは割とその直後なのだ。
自分の親世代は現在60代に突入したくらいであり、小さい頃から彼ら・彼女らに囲まれて育ってきたのだが、現在60歳前後の世代からデモやストライキに参加したという話はほとんど聞いたことがない。
最近の若者が何十年もかけて徐々に弱体化したという話ではなく、10年くらいの間に社会の中で何かがガラッと変わってしまったように感じる。



この傾向から推察するのは、現在の70代あたりまではその名の通り戦時中・戦後復興期の生存者であり、エネルギーに満ち溢れている人しか生き延びなかったのではないかということ。
戦争で焼け野原というどん底の状態を見た世代は、そこから歯を食いしばった這い上がり、自分たちの社会をつくっていくしかなかった。
1960年代の大学紛争も1970年代のストライキも、個人のエネルギーと社会をつくりあげる必要性の掛け合わせで起きたのではないかと思う。

乳児死亡率(出生千対)の推移をみると、昭和14年までは100以上、即ち、生まれたこどものおよそ10人に1人が1年以内に死亡していたが、乳児死亡率は51年に、新生児死亡率(出生千対)は42年に10を下回り、現在は乳児死亡は250人に1人、新生児死亡は500人に1人の割合となっている。(引用:厚生労働省『平成10年人口動態統計月報 年計(概数)の概況』


一方で、生死を彷徨ってきた世代は強すぎた。
ありとあらゆる日本企業 ー製造業からお笑い事務所までー のほとんどは強烈な体育会系の縦社会・男社会であり、これは戦時中の軍隊の名残を戦後の日本社会に持ち込んだとしか言いようがない。
戦争から79年経っても年功序列・長時間労働・男女性別分業が当たり前なのは、生存者世代がつくった社会に対してその後の世代が異議を唱えるエネルギーも戦略も持たず、無難に生きてきただけだからではないのか。
いまだに日本のビジネスでは「長い時間働いた方が偉い」「会社に滅私奉公した方が偉い」といまだに79年前の古い生存者バイアスが横行しているが、その人たち自身は実際に生死の修羅場を生き延びたわけでもなく、本当に戦争なんぞが起きたらその人の中に闘うようなイデオロギーなんてないのではないかと危惧する。


戦争から79年経った今、生死を彷徨った生存者はほとんどいないのだ。
今生きている人たちは、生まれつき身体が弱くても類稀な能力を持つ人かもしれないし、大学受験を勝ち抜いたからと言ってどんな仕事でも活躍できるとも限らない。
たまたま数回大学受験・就職・昇格などが上手くいったからと、79年前から盲目に引き継がれた薄っぺらい生存者バイアスを振りかざしても、原体験がない現代人はいつ自分が奈落の底に落ちるか分からない。
現代社会において戦時中の軍隊の文化の名残にそぐわない人を振り落とし、"勝者"が"勝者"として固まったところで、多様な人が同じ日本という船、いや、地球という船に留まって生き続けるのだ。



冒頭のマーシャル・ガンツ先生も、今年度の授業の中でイスラエル人による民主主義を唱える学生に「イスラエル人だけの民主主義はありえるのか?」と問いを立てたところ、学生から告発を受けたそうだ。
何が望ましい社会なのかという議論に明確な答えはないし、そんな社会を実現するということは、教授であっても、生徒であっても、日々闘争である。


今の社会は焼け野原ではない。多様性という強みもある。
こういう時代には何が必要なのか、自分はどんな社会の中で生きたいのか。
自分が今日を無難に過ごそうと保身で見過ごした何かは、既存の仕組みを盲目に回すことにつながっているのではないか。
ひとりひとりが自分の頭で考え、周りと共有して実現していくことで、過去の歴史や数字に囚われず、今の自分たちに必要な社会を描いて創ることができると信じている。

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