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神に見放された

※最後まで書いてみて話がめちゃくちゃに飛んでいってしまったので、まあそういうとっちらかった話だという前提でお読みください。

フラットアースを考え出してから、ちらほらと創造主的なものを考える機会が増えてきたわけです。

フラットアース説に触れた最初の頃は、「あ、神様みたいなものがいたのか」という驚きというか新鮮な感覚を覚えました。


別に神秘体験をしたとか証拠が見つかったとかではなくて、宇宙に浮かぶ球体だったら偶然に誕生したという理屈がつけられなくはないですが、

天蓋に覆われた大地だとすると、偶然そういうものが誕生するメカニズムって想像が難しく、何者かによって作られたとしか考えられないよね、という結論にいたったということです。

以前は

僕は30年ほど前にムーの読者だったこともあり、中学生くらいのときはオカルト的なものもあるといいなあと思っていました。

ちなみに全くの余談ですが、実は最近ムーの出版社と仕事上の繋がりができたりしました。これも何かのご縁なんでしょうかね。


ともあれ、高校生くらいになると、そうはいっても身近には何も起きないし、世の中でも起きてるようには見えないし、ということで、唯物論者というか無神論者みたいな感じになっていました。

多くの日本人がそうなんじゃないですかね。


でもそれで虚無主義とか絶対的な孤独を感じてたかというとそうでもなく、宇宙の外はどうなってるんだとか、ビッグバンの前は何があったのか、というレベルで考えると、やっぱりその外に何か人知を超越した存在を何となく思い描いていました。

アインシュタインでさえ、ビッグバンはなぜ起きたのかという問いに対して、神の偉大な一撃だ、としか答えられなかったといいます。人知を超えていると。

別にその超越的なものは人型の神様とか、意思を持った何かというわけではなく、法とか摂理とかそういった概念のものかもしれないですけど。

全くの無秩序な、ただの偶然の、冷たい世界に自分が放り込まれているとまでは感じていなかったわけです。


フラットアース後

今、フラットアースを仮説として受け入れ始めて、何らかの創造主みたいなものが世界や生物を生み出したのかなと思い始めてるわけですが、ではそれで「ああ我々は神によって生み出されたのだ」とか「見守ってくれていたのだ」とか感じているかというと、全くそうなっていません。


どちらかというと、最近では何となく収まりの悪い感じというか、冷めた感じというか、そういうやや暗い気分になっています。

むしろ、「え?いたのにこれまで何もしてくれなかったの?」と思ってしまっています。

存在していたとすると逆にそれがショックに感じるわけです。


創造主と神様

以前、悪い連中の正体は何かの考察として、聖書の記述を参考にしたことがありました。

このときは、創造主が生み出した人間は2種類いるという仮説を取り上げました。

その後聖書も少し勉強してみるかということで、概要の概要みたいなものを朗読本というやつで聞いてみたりしました。


その結果、よくよく感じたのは、最初にこの世界と人類を作り出したとされる主というものと、その後イスラエルの民を導いていったイスラエルの神というものは、あまりにも性質が違うなあということです。

これについてどこかでちらっと誰かが書いているのを見た気がするのですが、原書ではそもそも創世記の最初の方で「主」を指す単語と、それ以降のどこかから後の「主」を指す単語が違う、ということがあるそうです。

ほんとうにうろ覚えで適当に書いてるので、間違ってたらすみません。


ただ、それが真実だろうと感じられるくらいに、イスラエルの神のやってることというのは独善的に感じられるのです。


イスラエルの神

一番最初は、産めよ増えよ地に満ちよ、といって世界を治めるものとして人類を生み出したはずなのに、なぜその後イスラエルの民だけを優遇して導くのか。

なぜいちいち戒律や細かい取り決めを守らせようとするのか。

さらにはなぜ他民族やその信仰する神をやたらと敵視して攻撃するのか。

戦わせるくらいだったら生み出す際に調整しようよ、とか、偶像崇拝を禁じるくらいだったら偶像崇拝しないように創造しようよ、と思ってしまいます。

やっぱり最初の創造主とその後のイスラエルの神は違う存在なのではないか、と強く感じるわけです。

開発者

僕なりの解釈としては、創造主はこの世界と設定を創った存在ではあるけれども、そこで役割を終えて後は関わっていないのかな、です。

映画マトリックスでいうアーキテクトみたいなものですが、

もっというと、ゲームの開発者みたいなもののイメージが近いかもしれません。

世界の基本的な原理と、フィールドと、そこに存在するオブジェクトやキャラクターの設定とかシステムを創った人。

この人はあくまで開発者だから、その中で何が行われるかとか、そこの世界がどうなるかとかキャラクターがどうなるかにはノータッチ、と。


そう考えると、最初に触れたような「見てたなら何とかしてよ」状態になるのもわかります。

この人は仮にこの世界を見ているとしても、それはあくまでサーバーが安定稼働しているか、とか、バグは起きてないか、とかそんな目線でしか見てないはずです。

なのでそんな存在に救いを求めるのが間違ってるのかもしれません。


神様とは

では、創世記第一章で主と呼ばれる存在が開発者だったとして、イスラエルの神は何なのでしょうか。

僕の解釈では、その開発者が創った世界で遊ぶプレーヤーではないか、ということになります。

存在のレベルとしては創造主と同じかそれより上位でもいいと思いますが、まあ少なくとも我々の認識を超えた存在。

そんな存在になると、おそらく退屈なんだろうと思います。

なんでも知っていて、何もかも見通していて、死ぬこともなく、感情みたいなものに振り回されることもない。でも意思みたいなものはある。

なので開発者に遊び場を作らせたのではないかと。

文字通り、暇を持て余した神々の遊び、ですね。


遊び方

リアルタイムシミュレーションゲームみたいなものをイメージしてもらえればと思います。

プレーヤーがアクションゲームのようにキャラクターを直接操作するのではなく、間接的にユニットに影響を与えて目的達成を目指すような内容ですね。

イスラエルの神の、直接手をくださず、回りくどくいちいち契約を交わして、人類の指導者に指図してものごとを為そうとするその手口が、まったくゲームっぽいわけです。

人知を超えた力があるなら、直接敵対陣営を滅ぼせばいいのにそうしないわけです。

それがいかにもゲームっぽいなあと。

おそらくこの世界の設定というか仕様上、そういう制限があるのだと思われます。

ただ、ごくたまに、モーセが海を割ったり、神の雷で敵国を直接焼いたときのように奇跡を起こせることはあります。

それは信仰ポイントが溜まったり奇跡ゲージが溜まったりして、何らかの条件を満たすと発動できるようになってるのかもしれません。

他の神々

ここまではイスラエルの神のみについて触れてきましたが、要は世界中の他の神と呼ばれる存在も、同じくプレーヤーとして参加してたのではないでしょうか。

勝利条件はわかりませんが、一つには他の神様の信仰を途絶えさせて自分は生き残るとか、イスラエルのように自らの王国を建国させるとか、そんなところかと。

で、おそらくですが、少なくとも今回のプレイにおいてその多くはイスラエルの神に敗れて退場していったのではないかと。

キャラクターモード

さらには、暇を持て余した神様の中には、プレーヤーとしてゲーム内のユニットに間接的に働きかける立場ではなく、もう一歩踏み込んで、ユニットというかキャラクターそのものとしてプレイしている人もいるのではないかと思ってたりします。

よりリアルにこの世界のキャラクターになりきって遊びたい、という神様向けのモードがあるような気がします。

キャラクターモードというか、没入型モードというか。

これはプレーヤーとして遊ぶよりも更に縛りがきついハードモードですね。

我々と完全に同じ立場で、いち人間として、おそらく神としての意識はなく過ごすわけです。

そういう人が、歴史上の英雄や偉大な人物として名を残してたりするんじゃないですかね。

英雄キャラの数

ちなみに、そういう遊び方をしている神様が世界に何人くらいいるかというと、144,000人ではないかと予想しています。

ヨハネの黙示録第7章に、神に印を押された人間が144000人いる、と記述があるのですね。

これは終わりのときに救われる人の数だそうです。

これについてはもうそれこそいろんなところであらゆる解釈と考察がなされていると思いますが、僕としては「神の印」とはまさにこの解釈そのものじゃないかと思うわけです。

NPC

そう置いてみると、そこから導き出される我々の存在の意味ですが、神様が転生して演じている144000人を除いて、人類の大部分はNPCではないかということことになります。

つまり神様に遊んでもらうためのモブです。

シムズというゲームをご存じの方はイメージしやすいのではないでしょうか。

僕達はこれを遊ぶときに、キャラクターに感情移入してその発展を喜んだりすることもあるかもしれませんが、それは必ずしも彼ら自身の幸せが嬉しいというよりは、それが勝利条件だったり達成目標だったりするからですよね。

つまり開発者である創造主はもちろん、プレーヤーである神様からみても僕達はそんなもの、自分の勝利条件である限り大切にするけど、別に一人一人の幸せなんて願ってないのかなと。

話が長くなりましたが、それがずっと上の方で書いた、僕が感じている冷めた感覚の正体だと思うわけです。

NPCとして

そうすると、僕達の認識しているこの意識とか自由意志とか、感情とかそういったもの一切合切が、設定上そう作られていて、与えられたパラメータ上そうなっている、というだけなのかなとも感じてきます。

つまり、僕達の意識は確かに脳という物体、肉体によって生じているかもしれないけど、それってAIと何が違うの?ってことです。

脳によって生み出された思考はAIとは違う?

それって程度問題であって、十分に高度化された電子頭脳によって生み出される思考って脳による思考と違わないんじゃないの?って思うわけです。

だからといってこの生に意味がない、とかすべて虚無だ、とか絶望しているわけでもありません。

生きる意味、生きる理由など、作られたモブであろうがシステム的に用意されただけのNPCであろうが、考える力が与えられてる以上、自分で見い出せばいいと思うのです。


ちなみに、20年ほど前に見た映画で、すごく示唆的で今でも印象に残っているものがあったのでご紹介します。

この記事自体が半ばネタバレみたいなものなのでアレですが、なかなか面白かったのでお暇な方はどうぞ。

人類削減計画

まったく話は変わるのですが、ビルダーバーグ会議とかジョージア・ガイドストーンとかに関連して語られている、人類を10億人にまで減らす云々の陰謀の話についてです。

最初は感染症を用いて実行するのかと思いましたがどうもそうではなく、例の遺伝子治療薬を接種させることで実行だったのか、とも一瞬思いましたが、それにしては進行が遅すぎでとても10億まで減らせないですよね。

今のところその方法論についてはまだ良くわかりませんが、それ以上に気になっているのがその目的です。

すでにあんたたち超絶支配的な位置にいるじゃない?、なぜこれ以上人類を追い込もうとする?というのがずっと気になっているのです。

もしかしたら本気で環境的な持続可能性を考えているという可能性もありますが、それだけだったらこんなに急進的なやり方で人口を減らす必要ある?というのがどうにも腑に落ちないわけです。

目的

ここで先程の考察で挙げたいくつかの設定がもしかしたら当てはまるかもしれないな、と。

仮説1.実はこの世界には処理できるキャラクターの数にシステム上の上限があり、それを超えるとシステム的に不具合が起きる。それを知っている一部の連中がそうならないように対処しようとしている(リソース圧迫説)

仮説2.逆に、一気に人類を削減することで、キャラクターの死という処理を短期間に大量発生させてシステムに負荷をかけ、何らかの不具合を起こさせようとしている(脆弱性攻撃説)

仮説3.イスラエルの神あるいはプレーヤーたるいずれかの神に、何らかの奇跡を起こさせために、信仰ポイントや奇跡ゲージを貯めようとしている。そのための大量の生贄として捧げられている(奇跡ゲージ説)

仮説4.まだまだプレーヤーたる神同士の戦いは決着がついていなくて、いずれかの陣営が相手方の陣営に対して殺戮を仕掛けている(単なる戦争説)

まあどれが正解かなんて全くわからないし、どれも正解じゃない可能性も大いにありますが、単純に「支配したいから」とか「支配を強化したいから」とか「支配を永続させたいから」とか「ゴミと思って見下してるから」とかそんな凡人が思い描くようなくっそくだらない理由ではないような気がするんですよね。


その理由に正当性があれば削減される側として受け入れられるのか、というとそれは全く別の話で、決して受け入れるつもりはありませんが、でも連中がなぜそんな事をしようとしているのか、本当の行動原理にもう少し迫れたらいいなあと思います。


冒頭にも書いたとおり今回は本当にとっちらかった内容になりましたが、そんなところです。

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