私が生きやすい社会は、自動的に発生するものではない。作り上げていくものなのだ。

ロラン・バルトが日本へ訪れたときの考察を記した「表徴の帝国」を発表したのは1970年、今から約50年も前である。およそ、半世紀。

バルトがかつて描いたその帝国は、今終焉を迎えつつあると言わざるを得ないであろう。帝国は、いつかは滅びるものである。バルトがそのことを思って帝国と名付けたのかどうかは知る由もないが、もしこの社会システムの崩壊を見据えていたとすれば慧眼だと言えよう。

ただし、恐れることなかれ、帝国が終焉を迎えようが、常に人々はそこにいるのだし、人がいれば社会があり、社会があれば人間は生きれる。歴史はそのことを証明してくれる良い材料ではないか。

象徴の帝国は、1日にして成ってきたものではない。何百年もの伝統の上に、ある物事一つ一つに意味を与え、その意味を後世に伝え続けてきた労力の賜物である。その意味の共有というプロセスを軽んじた、もしくは外的な要因によってその意味の共有が叶わなくなってきたが故に構造だけが形骸化しているにもかかわらず、その構造の形骸化に気がつかずにそれがまだ有効だと思い続ける。

社会規範の共有は、暮らしやすい社会を作る。そういうことがもともとのアイデアだったに違いない。だって、自分が何を言わなくても人が自分のことを察してくれる世の中、痒い所に手が届く社会システムは、大変に居心地の良いものだから。フランスにいると、ユーザビリティという考え方は日本と比較してものすごく軽視されているように思う。まあ、比較して、という話しなのでこっちにいる人は特に使いづらいとか思うこともないのだろうと思うけれど。

けれど、それが行きすぎて、皆が皆同じことを考えていると錯覚し始めた。この辺りから、だんだんと目的と結果が逆転してきた。みんながみんな同じことを考えているという前提にたって生きてきているから、考え方が違う人のことを変人扱いする。いわゆる同調圧力というやつだ。人と違う考え方をするものを、腫れ物扱いする社会が出来上がる。ついには、違う考え方をする人を恐れ、批判し、攻撃する。

人に攻撃的になる、というのは、ものすごく恥ずかしいことだ。まず自分で自分の怒りをコントロールする能力がない、ということを世間に公表しているということで、加えて、かわいそうだ。臆病で、人と考えが異なることを恐れている。自分と人とは違うということを受け入れたら、世界は色々な発見で満ち満ちていることがわかるはずなのに。いっときの批判で、その人と分かり合えないと決めつけることもまた、限りなく勿体ないことだ。よくよく話を聞けば、方向性は違うけれど、同じ目標を共有しているかもしれないだろう?

フランス社会は、私と相手が考えることが違って当たり前、という前提に立っている社会だ。もちろん、この国でも共有されていることは存在して、それはフランス国民というアイデンティティであったり、フランス語を話す、ということだったりする。しかし、求められる共有するべきことは日本のそれに比べてものすごく少ない。そのために、意志の疎通というステップは欠かせない。これをめんどくさがらないことは、フランス社会でうまいことやる鍵だと思っている。これがうまくできなくて痛い目をみた事がなんどもある。でも、こちらが行動を起こす限り、それをあからさまに無視する人もほとんどいない。あたかも私がいないように振舞われている場合、それは単に、気が付いていないだけだ、と思う。

人との価値観のすり合わせをめんどくさがらないこと。その中で、相手の好き嫌いを知り、お互いにとって生きやすい社会づくりをすること。自分が嫌だと思うことを我慢することでやり過ごそうとしないこと、相手に察することを期待しないこと。自分がしたいことをはっきりと伝えること。結論を急がないこと。何より、話すこと。何年も一緒にいようが怠ってはいけない。私が生きやすい社会は、自動的に発生するものではない。作り上げていくものなのだ。それが、自分の人生に他人を巻き込むときの、最低限の心得なんじゃないだろうか。家族は、一緒に住んでさえいれば家族、というものではない。友達は、一緒に過ごしていれば友達、というものではない。国は、国民が同じ地域に住んでいて、単一民族ならひとつの国、というものではない。

私と私の愛する人たちとの世界が2人にとって居心地の良い世界にし続けたいと思うから、この気持ちを忘れないでいたいと思う。私が生きやすい社会は、自動的に発生するものではない。作り上げていくものなのだ。

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