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ひとりで食べるごはん、みんなで食べるごはん

「ごはんは、みんなで食べる方がおいしい。」

私は、小さい頃からよくそう言っていたそうだ。
でも私は今でもそう思っているし、そう実感している。

ひとりで食べた方がゆっくりと味わえそうな気もするのに、なぜひとりで食べるごはんは味気なく感じてしまうのだろうか。
そのことについて考えてみた。

私はおいしいものを食べるのが大好きだ。
それなのに、ひとりだと「ご飯だけに集中して食べる」ことはほとんどないように思う。

現在はひとり暮らしなので、家でひとりで食べるときはテレビや配信サービスでドラマやアニメなどを見ながら食べるからだ。
無音でひとりで食べるのは楽しくないような気がしてしまうのだ。

だからひとりで外食するのも苦手。
ひとりで美術館や映画館や買い物に出かけるのは好きだが、ひとり外食は未だにあまりしたいとは思わない。

かなり空腹だとひとりでも食べるけれど、基本は外でひとりで食べるなら、家で動画を見ながらひとりで食べる方が良いなと思ってしまう。

だから食べることが好きな私でもひとりで出かけるとお昼を食べないという珍しいこともある。
(ひとりで食べるご飯にあまりお金をかけたくないというのもある)

でも例外もある。

・朝ごはん
・カフェ
・仕事のとき(平日)

はひとりでも全然平気だ。

朝ごはんは小学生の頃からひとりで食べていたからなんとも思わない。
カフェでひとりでお茶しながら作業したり、本を読んだりをすることは好きだ。

仕事のとき(平日)は、コロナ前はよく先輩たちとご飯を食べに行ったり、キッチンカーにお弁当を買いに行ったりしていたけれど、今はリモートワークの日が多く、出社してもひとりコンビニ飯をデスクで食べることが多い。
平日はお腹がすくと仕事にならないので、ひとりでも絶対に食べる。


友達たちにも同じ考えの人がいるか聞いてみたことがある。

そうすると、私と同じくひとりでご飯を食べるのは寂しいという人もいれば、ひとりで食べる方が味わえるし気をつかわなくていいから、家でNetflixを観ながらひとりで食べたいという人もいた。

ではなぜ、私はひとりで食べるごはんより、みんなで食べるご飯の方がおいしいと思うのだろうか。
なぜ、朝ごはんとカフェ(と仕事)は例外か。

考えを掘ってみることにした。

まず考えられるのは、私は高校生のときまでは18年間ずっと実家で家族と一緒に晩ごはんを食べていたから、ということ。
お昼ごはんも学校だとひとりで食べることはなかった。

高校生の頃の晩ごはんのときでも、バイトで少し帰るのが遅くなったときに家族が先に食事を終えていて1人で食事する日はなんかいやだな〜と感じていたことを覚えている。

約18年間、ほとんど毎日昼ごはんと晩ごはんを誰かと食べてきていたら、さすがにひとりで食べることにすぐには慣れないだろう。

さらに実家には週イチくらいで近くに住む叔母が来ていたり、月イチくらいで祖父母やおばたちとうちの家族で集まっていたり、たまに父と母の友達が来たりとお客さんが多い家だったと思う。

お客さんが来るとごはんのメニューが豪華になる。お酒のおつまみもたくさん出るのでおかずが増える。それも人数が多くなるとごはんがおいしく感じていた理由のひとつかもしれない。


次に考えられるのは、誰かとご飯を食べると会話しながらになるからということ。
会話をしながら食べると、その分記憶に残るのではないか。

また、誰かと会ったときのことを思い出したときには「あの料理食べながらあんな話をしたな」と、味と記憶が結びつく気がする。
人と会うときは外食になることが多いので、「あの店で誰とどんな話をした」という場所の要素が入ってくるというのもあるだろう。

これまで一緒にごはんを食べた人たちのことを今思い返してみても、あのお店でこんな食事をしたなあというのが次々と思い返される。

でも、もちろん「誰かと」というところの「誰か」はやっぱり誰でも良いわけではないのだと思う。

全く知らない人や初対面の人と緊張しながらたべるごはんは、ひとりで食べるよりおいしくないかもしれない。
気を遣わなければいけない人がいるとおいしいごはんでも味がしなかったりすることもあったかもしれない。
一緒にいて楽しい人ほど、おいしさは増すのではないかなと私は考えている。

私の結論はこうだ。

ごはんの味は、ひとりだと「ただ目の前にあるそのごはんの味」だが、 誰かと一緒に食べると「ごはんと、自分たちのつくる楽しい雰囲気の味」になる。

そして「楽しい雰囲気の味」は人数が増えたり、どれだけ相手を親しいかだったり、楽しければ楽しいほど、美味しくなるものなのではないだろうか。

このコロナ禍で、人とご飯を食べる機会がかなり減ってしまったことで「記憶に残るごはん」も減ってしまったように感じる。

やっぱりリモートでの会話は、親しい人たちと同じ空間で同じものを食べ、同じ時間を共有することにはかなわないなと個人的には思ってしまう。

大好きな人たちと集まって、わいわいと一緒にごはんを食べられる日が心の底から待ち遠しい。




(この文章は3年前に書いたエッセイを加筆したものです)

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