岡崎京子原作、二宮健監督『チワワちゃん』試写

『チワワちゃん』試写鑑賞。
岡崎京子さんの『チワワちゃん』という原作の枠を借りながら、現在にアップデートし、ハーモニー・コリン監督『スプリング・ブレイカーズ』をやったという印象。絶対に『スプリング・ブレイカーズ』好きだろ、この監督。
感想としてはおもしろかった。

二宮健監督の他の作品は観てないので、他ではどうかわからないが、映画監督志望のナガイ(村上虹郎)がいちばん重要な役どころであり監督の化身のような存在としているように思えた。SNSが隆盛を極め、もはや当たり前のものとなった世界では「撮る」側は同時に「撮られる」側になる。
ずっとビデオカメラを映像作品を作るために回し続ける彼だけが、チワワちゃんを知る仲間たちとして当事者であり、同時にフィルター越しに一緒にいた時間の観察者≒(半分)部外者≒客観性を持つことになる。だからこそ、彼だけが主要人物の男性の中でチワワちゃんと関係を持っていない。もう、ひとり関係してなさそうな、家に何日か泊まられた彼はたぶんやってるはずだ。
「撮る」と「撮られる」が入れ替わり、当たり前に誰もがどちらにもなる時代に、彼は「撮る」側でいようとする。その批評性みたいな部分こそが、実は岡崎京子作品にあったものをきちんと二宮監督がこの映画に持ち込んだ部分なんじゃないだろうか。

しかし、途中の浅野くんとチワワちゃんのシーンは急に作品を破壊しようとしたのかと思った。あのシーンいらないと思った。笑いそうになりそうでならない。観ながら『ラブ&ポップ』のヤバイやつで出てきた浅野くん思い出した。

『ゴドーを待ちながら』的な要素がある作品だが、空虚な中心であるはずのチワワちゃんわりとずっと出ているので、最後に出てくるニット女子(有名女優)とチワワちゃんがまったく絡んでるシーンないけど、いなくなった彼女の思い出を語るなら関わらせてないと何者かよくわからない。原作に出ていても、映画で長い尺でやるなら不自然。

チワワちゃんというのは、わたしたちにとってそれぞれが誰もが思い当たるいつかの誰かのことであり、わたしたち自身のことでもある。
パリピ的な感じもあるからテラハ好きとか『メイビー』辺りを読んでる子に届くと強いのか、でも、十代に届いて岡崎京子作品に出会うきっかけになればいいけど。
こんだけ書いたけど、めっちゃ楽しんで観ました。
https://chiwawa-movie.jp/sp/

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