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『デイアンドナイト』

『週刊ポスト』の映画コーナーで「予告編妄想かわら版」という連載をやっていて、今週は本日公開の『デイアンドナイト』を取り上げた。予告編だけを見て内容を妄想するというものなので、実際問題多少作品のオチが予想できても外していくこともあるし、時事問題をぶちこんだりもする。紙媒体なので文字数も限られているのだが、今回はこんな妄想をした。

 阿部進之介が企画と主演、藤井道人が監督、プロデューサーを俳優の山田孝之が務める『デイアンドナイト』(01月26日)。主人公の明石(阿部)に女子高生(清原果那)が、「復讐するためにここに来たんでしょ」と言い、「人を守るために作られた法律を信じて、明石君のお父さんは命を落とした」と言っている児童養護施設の男(安藤政信)の姿を予告編で見ることができます。どうやら明石の父は悲劇的な亡くなり方をしたようです。「大切な人が殺された。あなたなら、どうしますか?」という予告編のテロップが作品の主題なのでしょうか。
 ここからは妄想です。「自分の正義を信じないと、大切な人を守ることはできない」との台詞があります。これは多くの人が思い当たるのではないでしょうか。例えば人を殺さなくても、組織を維持するために不正に目を瞑り、自分の大事なものを守るために誰かを陥れたり、そんな場面はどの時代にもどんな場所にもあります。僕たちは加害者にも被害者にも、どちらにもなりうる存在です。法律というルールは集団で生きるために必要な社会規範です。しかし、このルールを簡単に踏みにじり、自分たちの都合のいいものに改正しようとする人たちは民主主義を崩壊させてしまいます。これって妄想じゃなくて、今の日本社会のことでした。

たいていこんなこと書いてます。妄想だからさ。

朝起きてから途中まで読んでいた芥川賞受賞作である上田岳弘著『ニムロッド』を最後まで。上田岳弘作品では三島賞受賞作『私の恋人』のほうがいい作品だと思う。あと書評家の豊崎由美さんがツイートされていたけど、直木賞・芥川賞の選考委員は数年に一度入れ替えたほうがっていうのは本当そう思う。亡くなるか自分で辞めるまでって、それだと既得権益にしかならないし、文学ってものが本来向き合うものや敵だったものってそういう権力みたいなものだったんじゃないの? 

歩いてシネクイントで公開初日の『デイアンドナイト』を鑑賞。山田孝之プロデュースでも話題だけど、僕としては安藤政信さんが出演してるから観に行くっていう。14歳ぐらいの時に安藤さんカッコいいって思って、安藤くんピアス開けてるしっていうので16歳の誕生日に自分で開けた。
安藤くんが雑誌とかのインタビューで単館系映画がおもしろいって話をしていたので興味を持つようになって映画を自分で観に行くようになったとガッツリ影響を受けている。あの時、単館系で邦画を引っ張っていたのは永瀬正敏さんと浅野忠信さんでほんとうに彼らがいたから僕ぐらいの世代の連中は単館系が、映画が好きになったんだと思う。


『デイアンドナイト』は正義と悪についての話であり、自分の大事なものを守ること、そのために悪になってでも守り抜こうとする人たち、あるいはそのどちらかがわからなくなって苦悩する人たちが描かれている。
山中崇史さんや深水元基さんや田中哲司という園子温作品にも出ていた好きな役者さんたちも出ていて、ドンピシャなキャスティング。10年ぐらい前に園監督と田中哲司さん若い頃の顔が似ているって話をしていて、今回田中さん見てやっぱり似てるよなって思った。園子温×田中哲司だと『夢の中へ』がやっぱり最高。

キャスティングの杉山さんは園組でもキャスティングされている人だ。『東京ヴァンパイアホテル』でもキャスティング担当されていて、その時に森七菜さんが選ばれてデビューしたけど、今年は岩井俊二監督『Last Letter』に、新海誠監督『天気の子』ではヒロインで大ブレイクするだろうなって去年から言っているけど、どっちも川村元気案件だよね。
映画の中に出てくるセリフで「自分の正義を信じないと、大切な人を守ることはできない」というのがある。正義も悪も、正史も偽史もごちゃまぜな世界で生きることはやっかいなことばかりだ。

みんな守るべきものがあり、そして勝ったものだけが正義という世界になってしまった。それぞれの正義がぶつかりあって、数の論理で動いていくと感情では理解できているのに、負けたものやマイノリティという「個」を「集団」の一部になった途端に僕らは簡単に踏み潰してしまう。大事なものはとうの昔に失われてしまったのかもしれない。予告編にも出てくるけど真っ白の雪の中で泣いている安藤くんの涙が物語るものがこの作品の核になっていると思った。

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