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ふたりの私が向き合うとき、左手の中指をみる

「あーやばい、あのメールに返信しなきゃ……」

子どもたちが「みてーみてーみてーみてー」と壊れかけた人形のように迫ってくるのに生返事をながら、私はだめだと思いつつもスマホを見てしまう。

「あれ、明日の保育園に持っていくシーツ洗ったっけ?」

目の前の原稿に集中せねば……と思うほどに、やり残した家事や子育ての用事ばかりが思い浮かぶ。

心ここに在らず。

この言葉がぴったりな状況で、子育ても仕事も中途半端。私を求める子どもたちの相手も全力でできず、がんばりたい仕事にも全集中ができない。「両立」なんて言葉は嘘だ。どちらも倒れないように必死で、なんとかしゃがみこんでる、みたいな感じじゃないか。全然、“両方とも立てて”ない。

子育ても本気で楽しみたいし、仕事だって100点を取りたい。けれど、1日24時間でひとつしかない身体をめぐり、「母である私」と「ライターである私」が戦っている。限られた脳内の陣地を奪い合って、結局どっちも満たされることがない。そんな感じ。

2人目の育休を終えて仕事復帰をした2022年の春。私はめちゃくちゃ焦っていた。子育ては20年がかりのロングプロジェクト。これから、ずっとこうなのか……?

「私は今、“ここ”にちゃんと居たい」

同じ年の秋、私は机の上に広げられた大量の石の前にいた。別に怪しい宗教にハマったわけじゃない。「NUDGE」でオーダーメイドの指輪を作りに来たのだ。

NUDGE」は、「ありのままの自分を生きる」をコンセプトに指輪やネックレスなどのオーダーができるブランド。代表のたまちゃんとのセッションを通して、自分らしさってなんなのか、どう生きたいのかを考えながら「自分らしい石」を選んでいく。

もともと、たまちゃんとTwitterの相互フォローだったので「NUDGE」の存在は知っていて、共通の友人がいたことで一気に身近な存在になった。ジュエリーにはとんと疎く、石の種類もなにも知らない私だったけれど、たまちゃんの想いが込められたこのブランドには強く惹かれた。

「まなちゃんは今日、どんな想いを石に込めたいと思ってる?」

セッションという名の長いおしゃべりを経て、たまちゃんが最後にさらっと聞いてくれたこの質問に、私はあんまり脳を通さずに答えていたような気がする。

「私は今、“ここ”にちゃんと居たいんだと思う。目の前の子どもたちの成長を見逃さずに感じたい。依頼してもらえる仕事に全力で取り組んで楽しみたい。欲張りだよねえ」

それは、今までちゃんと言語化したことがなかった本当の願いが、たまちゃんの手によって引き出された感じで、なんだか不思議な体験だった。私はそんなふうに思っていたのだね。

最後の「欲張り」のくだりは、「そんなの無理なのにね」という気持ちが出てきてヘラヘラと笑いながら言った気がする。でも、たまちゃんは笑わなかった。「すごく、よくわかるよ」と言いながら、ぽつぽつと出てくる私の願いをたくさん聴いてくれ、最後に言った。

「私がまなちゃんにピッタリだなって思った石、紹介してもいいかな?」

黄色とピンクがほどよく溶け合う石

たまちゃんは絶対に「この石がいいよ」とは言わない。じっくりと話を聴いて、表情を見つめて、こちらが石を選びやすいように少しずつ必要な情報をくれる。それは、石の持つ特徴や加工のしやすさ、指輪にしたときのデザインだったり、石にこめられた「石言葉」だったりする。

紹介してくれた石、トルマリンの石言葉は「和を見いだす」。ひとつの石の中に複数の色が入っているものが多い石で、いくつかのものが調和の中でおさまっているようなイメージだそう。

ひとつの鉱物グループの中で最多の色を誇る、色彩豊かな石。ひとつの石にふたつの色を持つバイカラーも。自分とひと、体と心、思考と行動など、あらゆるものごとのバランスを取り、調和をもたらします。

NUDGEウェブサイト「トルマリン」のページより。

ピッタリすぎてびっくりした。こんな石があるんだ……!ほかの石の石言葉もどれも素敵だったけれど、ここまでしっくり来るものはなかった。すぐに「トルマリンにする!」と決めたものの、そこから“どの”トルマリンにするかを決めるのは、なかなか時間がかかった。石マニアのたまちゃんのカバンの中、なんてったって数が多い!

最終的に選んだのは、透明感のある黄色ベースにほんのりピンクが混じったような石。真ん中に金色の筋みたいなものが入っているのも、「芯がある」という感じで気に入った。2色が無理なく融合しているグラデーションを見ると、切っても切り離せない「ふたりの私」が手をつないでいるような気持ちになった。

いろんな自分、全部でまるっと「私」である

保育園帰りのベビーカーを押しながら頭の中で仕事を振り返るとき、私はふと左手の中指を見る。仕事中に「今頃はお昼寝の時間だろうか」と子どもの顔を浮かべるときも、私は中指に光るトルマリンに目をやっている。

私が想像していた「イマココ」は、子育てなら子育て!仕事なら仕事!と、それ以外の自分を外に追い出してしまうようなものだった。それが全集中ってもんだろう!!と。

でも、金色の枠でぐるっとまわりを囲まれたバイカラーの石を見ると、それは到底無理だったのだと気づく。

だって、母である私も、ライターである私も、全部まるっと「私」だから。なんなら、娘である私、妻である私、姉である私、友人である私……いろんな「私」が、この体と心のなかにギュギュッと詰まっているのだ。

全部合わせてまるっと「自分らしい100点」を目指せばいいんだと、今は少しだけ肩の力が抜けている。焦ることや落ち込むこともあるけれど、今の私には「こんな自分でいいんだ」と思い出させてくれるお守りが、たしかに手元にある。


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