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【障害者はいなくなればいいのか】

下記文章は、相模原やまゆり園で起きた戦後最悪のテロ事件が起きた数日後に書いたFacebook記事の再掲です。当時想像を超えてたくさんの人に拡散されました。

そして、いまこの記事が私にとって一つの出発点でもあったことから、ここに記録として完全な形で再掲しておきます。

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(たくさんの人に届いて欲しいです。シェア歓迎します。もっと届け、できるだけ遠くまで)《追記》シェアの仕方によってははっつけたリンク先しかシェアできない事態があるみたいなので、リンクを削除しました。

どうにも、こればっかりは何か吐き出して形にしておきたいと思い、(ここのとこ余裕がないのですが)少し考えてみました。ほんとに言葉の使い方がとても難しいですし、もしかしたら気を害するかたもいるかもしれませんが真剣に書いた文です。僕は一応、くくりとしては「身体障害者」にあたります。同じ病名で重度な方も多くいらっしゃります。ですので、ひとつ進んだ時間が違ったならば、わたしは今回亡くなった方々に近しい所にいたかもしれません。

「障害者はいなくなればいい」、という言葉を私達はどの様に受け止めればよいでしょうか。すごく複雑な気持ちになります。障害者がいなくなればいいのだとすれば、僕はいなくならなければなりません。生まれて来なければ良かったのでしょうか。社会保険で税金を使って医療を受けています。それは全く無駄なお金だったでしょうか。僕は実は何度も考えています。「障害者はいなくなればいい」のか、否か。そしてこれは僕個人にとって究極の問いであります。

この問いに対し、「いなくなればいい」と答えるとき、僕は僕のいのちの意義を、殺す事になります。大袈裟だと思われるでしょう。けど、何度となく目にする(とりわけネット上で)この手の言説に何度も僕は悩まされていました。そして、「いなくなっちゃいけない」と答えるとき、初めて僕は、生きることができます。この問いを通じてぼくは既に、何度も自分を殺しています。容疑者の言葉を擁護する意味では決してありませんが、そこには様々な含意があります。

これはまさに人間本性に直接問いかける重大な問いであります。そもそも、「障害者が生まれて来ない世界」は悪い世界でしょうか?「障害者が生まれて来ない」ことは、望まれることではないでしょうか。何故、産婦人科は「健康」な子供を産むことに最善を尽くすのでしょう。この世界から「障害」がなくなればいいと願うことそれ自体は、捉え方一つで、全く歓迎される考え方でしょう?

僕は自らの生きる意味にナイフを突き立てながら、次の事を、やはり言いたい。

「障害を持って生まれてくる事それ自体は、誰にも望まれてなどいなかった。」だれも、自分の子供が積極的に障害者になってほしいと思うわけではない、と思います。当たり前の事じゃないですか。だから障害者をGifted(与えられた人)と考える文化もやはりおかしいとおもう。生活に支障があって医療の世話にならねばならないならば、なおさら自問しなくてはならない。そこを誤魔化して、見ない事にして、綺麗な言葉で繕って、そんな事ないなんて、絶対におかしい。現実を無視して「生きてていいんだよ」なんて綺麗事だよ、偽善者だもん、それは。

僕は、自分を一度「殺す」事で、随分楽になったと思う。それは結局現実を認めた事だから。僕は、「健康」に生まれる事を暗黙のうちに望まれ、「障害」をもって生まれてくる事は、望まれてなどいなかった、そうでしょう?嘘言ってる?それでも僕は「望まれない形で」生まれて、それでも僕は、ちゃんと、「生きている」。

これも現実ではないでしょうか。そのことを実感したときはじめて、本当の意味で、人の本性を、見たような気がしているのです。重度障害者たちもまた「望まれない形で」生まれて、なお、それでも、「生きている」。ひとは思ったよりずっと、優しい生き物じゃないですか。望まれなかった生を、それでも尊重し、生命として認め、守るんだもの。だから僕はギリギリのところで、信じていられる。生まれた「人」はみな「人」として大切にしているのだろう。

その上で、「障害者はいなくなればいい」という容疑者の言葉を受け止めようと思います。やはりこれは、核心をついた一人の人間の証言であります。大麻の陽性反応がでたとか、精神病で入院していたというような情報で、煙に巻いてはいけません。彼は、ある意味でひととして真っ当な「ひずみ」の中にいたのではないか、と思います。彼が以前に施設で勤務していたということは非常に重要なことであります。

障害者施設での勤務というのは精神的にも肉体的にも決して楽なことではなく、現在の日本の制度上極めて不遇な勤務形態をしていると言わざるを得ない。社会福祉を単なる慈善事業としてしか捉えていない。社会福祉を、労働の底辺に置く今の日本が生んだひとつの「ひずみ」。そして彼らの生きる意味を自明なものとして疑わない「ひずみ」。障害者が「生きていていいのか」という問いを置き去りにして、制度の上でつくろって、臭いものには蓋をするようなやり方で遠ざけてきた。

みんな逃げてるだけなんじゃないですか?障害者の生きる意味を問うことから。歩けない立てないしゃべれない、そういうひとにどんな労働価値があるんだ。この問いから逃げれば逃げるほど、「ひずみ」は大きくなる。「障害者」と向き合うひとが減れば減るほど、「障害者」と向き合う立場のひとが巨大な絶望に向き合わなければならない。「生かさなきゃいけない」ことを無思考に押し付けられる絶望。「望まれなかった」障害という現実に出すべき答えを切実に問わなければいけません。
「生きていてほしい」から「生かさなきゃいけない」に変わった時、僕達は間違いなく死にます。

ぼくは、人間です。人間に条件などありません。

亡くなった彼らもまたいのちを持った、人間でありました。ひとりの友人に「生きていてほしい」と願うのと同じように、彼らには「生きていてほしい」と願う人々がいたはずです。生きている人間と向き合う時間を持たなければ、彼らはただ労働力を持たない社会の荷物になってしまうのです。そうしてしまったのは誰でしょうか。気づかないうちにみなさんは障害者は「生きるべき」ひとたちであると思ってはいないでしょうか。なぜひとは障害者を守り、生かし、大切にするのでしょうか。「生きていてほしい」という答えを出すには相当に考えなければならないと思う。障害者の現実を、彼らを支える矛盾を、なにもかも無視して、ただ「生きているべき」と述べるのはただの偽善者でしょう。

かなしいほどに隔たったその距離をみつめて、みとめて、明らかにする。そしてそれでも、いのちの価値を尊重できるとき、はじめてその言葉に嘘がないように聞こえる。その時、僕は心から「生きていられる」。ひとの道徳を根底から問い直す言説であると、僕は考えています。「障害者はいなくなればいい」のか。これに一定の答えが出ることはないでしょう。

だからこそ、その不安定なギリギリの問いに真摯に向き合い続けなければいけない。ずっと。

僕は少なくとも、今日もひとを大切に、「生きています」

僕が障害でできないことがあった時にはみなさんは僕に手を差し伸べてくれますか?僕は胸を張って言いましょう。今も僕にはできないことだらけです。そしてそれを「見て」ください。僕は助けてくれる友人がいることを信じて生きています。

そして僕自身は、「友人」にはいつでも手を差し伸べていたいと思います。

たったこれだけのことです。

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