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そして伝説へ

去年の11月にジャカルタに行って"伝説のDJ"ジョッキー・サプトラ師にインタビューして来た。

伝説のDJと会うことが出来て、今まで不明だったFUNKOTのルーツや謎の部分がさらに解明されたり、いろいろ音楽面での新発見や事実が明らかにされた。

とりあえず、伝説のDJを目の当たりにして思った事は、伝説は目に見えないから伝説なんだろうけど、「伝説の」って、言われてなければ、割と普通の優しいインドネシア人のおじさんだと言う事だ。

しかし、「伝説の」という肩書き、そして、その「伝説」について詳しく知らなくても何か畏敬の念を抱いてしまうのである。

もちろんインドネシアのDJ黎明期から活動しており、かの国のディスコやダンスミュージックについては生き字引のような存在ではあるが、「伝説の」と言われるとまたそれが一層輝きを持って見えるのである。

ここで思ったのが「伝説の」って肩書きが改めてスゲえなということだ。

世界広し、西洋、東洋合わせたと言えども、「伝説のDJ」と呼ばれているDJは少ないだろう。

伝説と聞いて皆んなが思い浮かべる事はなんだろう。

「財宝」とか「ドラゴン退治」とか「武器」とか、どうしてもファンタジックな連想をしてしまうではないか。

ジョッキー師に「何故、伝説と呼ばれてるんですか?また、伝説と呼ばれることについてどう考えていますか?」と質問した。

そしたら、「86年にアジアのDJ大会で優勝してから、ずっと長い間プロでDJをやっていて、周りが引退して行く中で、俺だけが現役だから周りがそう呼ぶようになったんだよ」と言っていた。

別にジョッキー師が村人を困らせていたドラゴンを退治したとか、いにしえの魔法を使って客を盛り上げた、とかではなさそうであり、DJ大会の優勝があったもののそれ自体が「伝説」と呼ばれるきっかけになったわけでもないのだろう。

「気がついたら伝説と呼ばれていた」と言うことなのだろうか?カッコイイ!
俺も伝説って呼ばれたい!

しかし「伝説」という言葉の得体の知れないロマンと説得力って何なんだろう。

いわゆる辞書的な意味だと

伝説(でんせつ; 英語: legend; ドイツ語: Legende)は、人物、自然現象等にまつわる、ありきたり日常茶飯事のものではない異常体験を形式上「事実」として伝えた説話の一種。とある。

また、wikipediaを見るとヨーロッパや、日本の伝説の種類が書いてあり、例えば、アーサー王伝説、アトランティス伝説、人魚伝説、ノアの箱船伝説など、誰もが知っている神話や英雄など歴史レベルの物が並んでいる。

日本だと、『古事記』や『日本書紀』に繋がる伝説が多く、ヤマトタケル伝説、義経北行伝説、菅原道真伝説、平将門伝説、宮本武蔵伝説など、神から武将、剣豪といった凄まじい名前が並んでおり、聖者系だと、青森の戸来村に伝わるキリストの墓伝説であったり、聖徳太子伝説が有名で、その他、昔話やUMAに関する浦島太郎伝説、ざしきわらし伝説、河童、天狗なども伝説と言えるのだそうだ。

これが伝説!!

なんとファンタジックでロマンチックで壮大でケレン味溢れた言葉だろうか。
日常生活ではあまり使わない言葉である。
どちらかと言うとそのファンタジー感ゆえ、子供達や、中二病的な価値観の中で使われる言葉だと思う。

作品名だと「伝説巨神イデオン」(ロボットアニメ)「ゼルダの伝説」(ゲーム)「影の伝説」(ゲーム)「聖剣伝説」(ゲーム)銀河英雄伝説(小説)「伝説の教師」(ドラマ)「伝説の少女」(観月ありさ)「ハリマ王の伝説」(菓子、ビックリマンのパチモン的なやつ)、「アイドル伝説えり子」(アニメ)、「モアナと伝説の海」(映画)といったように、壮大なものからショボいものまであるが、やはり子供向けの物が多いので、主に子供だましに使われるワードとしては、かなりパワーがあるように思えるし、やはりタイトルに「伝説」が入るとむやみにハッタリが効いている。

ほかにも、最近流行りの「都市伝説」も伝説の一ジャンルだ。
神秘的な事にしろ、ファンタジックな事にしろ、「伝説」を字面のまま判断すると「伝わる説」となる。つまり「人づてに伝わる逸話がある」「語り草になっているエピソードがある」と言うことだ。
それは自分で言い出すこともなく伝わっている、自称でないことも重要なポイントだといえる。

たとえばAさんが、この間、酒を飲みすぎて、クラブで大暴れして客を殴って病院送りにした、としよう。

その話がその場に居合わせなかった人達の間で伝達していれば、それは文字通り伝説となったと考えてもいい。
これだけで考えようによっては「伝説」と呼んでも良いのではないだろうか?

たとえば、

「あいつ喧嘩強いらしい。」
「あいつ、怒ると怖いらしい」
「あいつのお母さん浮気してるらしい」

これらも伝説…いや、ちょっと待て!

これでは「伝説の」ではなくて、「噂の」だ。伝説というにはスケールが小さい!ショボい!

このスケール感のなさ プラス 自称というところで違和感を感じたものが1つあった。

「伝説のすた丼屋」

すた丼が美味いか不味いかは問題ではなく、
この店名を見る度に何か違和感を感じてはいたが、伝説というには、すた丼によって、奇跡レベル(不治の病が治った、臭いだけで人が死んだ、等)の事が起きるとは思えなく、あまり壮大さが感じられないこと、自称してしまっていること、この2つが違和感の正体だったに違いない。
これが「噂のすた丼屋」だったらまぁ、しっくりくるかなとも思う。
この違和感を狙って店名を付けているのであれば、余計なお節介かも知れないが。

これをうまく利用した名前だと、サイプレス上野君のDJをする時の名義、「DJ レジェンド オブ 伝説」が、インパクトもあり気が利いている名前だと思う。

先ほどの「噂の」レベルのものが例えば、「喧嘩強い」が、素手ゴロ最強、生涯無敗だったら伝説。
「怒ると怖い」が「怒りのあまり、一晩で村人30人を殺した殺人鬼」だったら伝説。
「浮気してる」が「生涯300人の男をたぶらかした毒婦」だったら伝説である。

やはり、伝説になるにはそれなりにエクストリームなエピソードが必要なのだ。
なかには伝説と呼ばれたいがあまり、エピソードを捏造してしまうという事もあるだろう。

ガキの頃、学校に一人くらいは、「俺、ファミコンソフト1000本持ってるぜー!」とか言ってしまう奴がいたと思う。
これは伝説になるどころか、その場ですぐバレる。
第一、そんなにゲームタイトルが出てない。

でも、彼は無意識に伝説になりたい。一目置かれたい、という承認欲求から嘘をついてしまったのだ。

おそらく「一目置かれる」ことの究極系が「伝説の」であるとすれば、伝説になった人間は承認欲求が完璧に満たされていると言えるのではないだろうか。
そう!今最も根深く恐ろしい欲求であるところの「承認欲求の呪い」から現代人が解き放たれるには、皆が伝説になるしかないのだ。

しかし、伝説を作りたいなら、スケールのでかい事を成し遂げ、自ら語らずに、他人に語らせるべきで、簡単に成し遂げられるものではない。

そういえば身近に伝説がいた。
毎月モーリーナイトに出てもらっていたテキーラガールのRumiちゃんは、雑誌か新聞に「一時間で300杯売った伝説のテキーラガール」と書いてあった!
たしかにこれは生半可な事では達成できない事が素人にも分かる。
こういうのを現代の伝説と言っていいだろう。

いやー、伝説ってスゲえな〜!いいなァ〜!と思っていたら、俺も伝説の男になってました、テヘ!

高野政所 ノーパンで宇多丸らに謝罪伝説
https://miyearnzzlabo.com/archives/39216

ありがとうの一言です。本当にありがとう!