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最後の宇宙船 想像力が曲を完成させる

 この記事では、私が作曲した「最後の宇宙船」の作曲経緯やテーマについて解説します。


作曲経緯

 「最後の宇宙船」は、2021年5月に行われたクリスタルスピンオフコンサートで初演されました。

 クリスタルスピンオフコンサートは急遽決まった企画でした。
 ある別企画のコンサートの開催がコロナの影響で難しくなり、その代わりとして企画され、その際に演奏できる新曲を、ということで頼まれて書きました。
 作曲期間もそう長くはなく、重い曲を書くと練習も大変ですから、5~6分の長さで曲を書くことは最初から決めていました。

 曲を作る前に漠然と思い描いていたのは、悲しい内容を優しい曲に、とか、寂しい内容を綺麗に、とか、ギャップを意図的に作ろう、という計画でした。
 ギャップ演出は映像的な発想ではよく使われるもので、凄惨な映像に綺麗な音楽を合わせると心がかき乱される感じがしますが、それと狙いの方向性としては同じです。(例:プラトーンなど)
 それ以上は深く考えずにとりあえず作り始めて、きらめく感じ、漂う感じ、どこか切ない、お別れのような印象が出てきたので、「今回の舞台は宇宙だ」と方向性が固まりました。

舞台は宇宙だ

 では宇宙を舞台に、どうしたら先ほど述べたようなギャップを演出できるだろうかと考えて、地球をどんどん離れていく宇宙船のイメージが湧いてきました。
 その元ネタはおそらくこれかな、という漫画があって、それが「まんが版小倉百人一首 (まんが攻略シリーズ)」です。(原作 浅野拓/まんが 堀田あきお)

 おそらく姉が昔買ったもので、百人一首の内容をわかりやすくまんがで紹介する…といった内容です。その中に、宇宙船に一人乗り込んで遠い星の調査に行くという男が、遠ざかって行く地球を眺めながら涙を流す、という話がありました。
 なんの歌を元にした話かは忘れてしまいましたが、子供の頃に読んだこともあってよく印象に残っていて、地球を離れる悲しさ、寂しさというイメージはここから来ているものだろうと思います。

 続いて、なぜその宇宙船が地球を離れることが寂しいのか、その理由を考えました。
 宇宙船がただ飛び立つのであれば、むしろ高揚感や喜び、達成感などが出てしまいますから、ギャップが生まれません。(映画で言えば「アポロ13」、「王立宇宙軍 オネアミスの翼」のようにロケット発射の高揚感があってはいけない)

どうして"最後"なのかを考えてもらう

 そこで考えたのが、何らかの理由で地球に人間が住めなくなって、どこかの星に逃げなくてはいけない、というシチュエーションでした。
 これは特に元ネタはないですが、そこまで珍しい設定でもないと思いますので探せば似た話はあると思います。

 人類滅亡・終末論などの物語は昔から人気です。といっても恐怖の対象になるものもあり、日本でも鎌倉時代に仏教系の末法思想が社会を動揺させました。
 私は小さかったので記憶にないですが、ノストラダムスの大予言も世間を賑わせたそうですね。 
 その他にも、私が作曲家を志すきっかけとなった「新世紀エヴァンゲリオン」も人類が滅亡するか否か、という話ですし、エンタメでも定番のモチーフです。

 さらに滅亡までの騒動を描くのではなく、ほぼ滅亡してしまって、少数の生き残った人間を描くような作品もあります。
 例えば「ヨコハマ買い出し紀行」(芦奈野ひとし)では、人類の衰退と滅亡が決定的になった状況でも、人々が穏やかに暮らしていく様を、ロボットである主人公の視点からゆったりと描いています。
 「少女終末旅行」(つくみず)では、ほぼ完全に文明が崩壊し、地球上に何人の人が残っているかもわからない、とにかく食料を探しながら旅を続けるしかない、という絶望的な状況を描きながら、主人公の二人には悲壮感がなく、落ち着いたテンポ感は特徴的です。

 こういったほんのりとした絶望を感じさせるために選んだワードが"最後"です。
 「最後の晩餐」「最後の審判」など、最後と名のつく題名は、「なぜ最後なんだろう?」と疑問を抱かせる効果があります。
 宇宙船はもう飛ばない、これで最後なんだ、という状況が、理由を説明しなくても何か良くないことや予想外のことが起こったのでは?などと想像させ、そこに綺麗で優しい音楽をぶつけることで、ギャップを生じさせ聴衆の心を動かし、それぞれの解釈で音楽を彩ることを期待しています。

聴いた人の想像力を借りる

 人間の脳は、欠けた情報を補完することができます。
 しかしその補完は実は正確で無いこともあり、それらしい何かを捏造している、といった方が良いかもしれません。
 例えば視覚でいえば、盲点は両眼にあるのに、普段それを意識することはありません。片目をつぶっても、意図的に確かめないと盲点はわかりません。

 このようなそれらしく補完する、という機能が、人間が物語やキーワードを断片的に聞いたときにも起こります。
 この場合は連想といった方がわかりやすいかもしれません。
 例えば「熊・黄色・蜂蜜」と並べれば、一定数の人はあるキャラクターを思い浮かべると思います。

 では「最後・宇宙船」と並べれば、どのような想像をして、そして音楽を聴いてさらにどんな想像をするのか。

 私は細かい設定を決めず、プログラムなどの解説文には書かないことで、聴衆の想像力を存分に働かせたいと思いました。「最後」と「宇宙船」という関連性のない単語の間を補完するストーリーを考えてもらおうということです。

 そうやって生まれたストーリーは、たとえ漠然としたものであっても、作曲者である私が決めて押し付けるよりも、よりそれぞれの理想や好みが反映されたものになるのではないかと思います。

終わりに

 SFなのかファンタジーなのか、私が他に作った曲と比べると、若干毛色の違う曲になりました。とは言っても普段から興味のない分野ではなく、小学生の時の自由研究は惑星を題材にしたりなど、下地はあったのかもしれません。(ちょうど冥王星が惑星から外された時期です)

 音楽面では、完全にポピュラーの文脈に則り、今回はAメロ・Bメロ・サビの他にCメロも作りました。
 個人的にCメロは、単なる尺稼ぎにしかなっていないような曲も多いと思っていますが、この曲に関してはそれなりに必然性を持たせられたと思います。
 このあたり、クラシカルな編成の方が、展開に不自然が起きにくく、むしろCメロは入れやすいのでは、と感じました。

 音楽とタイトルの完全一致ではなく、ちょっとしたズレを起こしてそのギャップを想像力で埋めてもらう、という手法はなかなか良かったのではないかと思います。
 ただ再現性となるとなかなか難しく、今後またその手が使えるかはわかりませんが…。

 というわけで、解説を読んでくださいましてありがとうございました。

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