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2019.3.15「 L 」ライブレポート by 大滝のぐれ

(こちらは2019年3月15日に行われたmanent初の自主企画「 L 」のライブレポートです。今回の執筆者は大滝のぐれさんです。丁寧に当日の様子を切り取り表現した文章になっておりますので、お楽しみください。)


 初めまして。大滝のぐれというものです。普段はチョコミントとうんこに翻弄されたり、顔を取り外したり、好きな人のゲロを見るためにあの手この手で嘔吐させようとしたりするような小説を書いています。
 このたびベースの藤井くんにお誘いいただき、去る3月15日に開催されましたmanent初の自主企画『 L 』のライブレポートを書くことになりました。こんな変な名前の人間に対して、こんな、こんな素晴らしい……とてもありがたいことです。
 専門的なことはともかく、私が抱いたイメージと絡めながら進めていこうと思います。なにぶんこういったことは初めてなので、暖かい目でお読みください。

 会場にはスタートの五分前に到着。余裕を持って行動していたのになぜ。道に迷ってしまったからだ。おまけにハーツとは逆口にある別のライブハウスに行ってしまう始末(ついこの間、宮田食堂の主のバンドをそこへ見に行っていた)。
 会場に入り、まずは藤井くんを探す。すぐ見つかった。なんか普段の五割増しでテンションが高く少しびっくり。
 何回かホールとバーカウンターを行き来して友人と話しつつ、開演を待つ。どうやら押しているらしい。その時間を使い、物販で「done/はなして」を購入。どうでもいいのだけど、彼らがよく物販で敷物として使っているカイオーガのナプキンがすごい好き。私はグラードン派だが。そもそもあまり伝説ポケモンに興味がない。今回のライターの一人である岡嶋さんとホール後方の隅に並んで陣取っていると、照明がゆっくりと落ちていった。

Chaton on the Note

 初手の爆音から始まり、否応なくホール内の空気が塗り替えられていく、いや、支配されていくのを感じた。照明によって淡く照らされているバンドメンバーは全員、髪の毛やそこにまとわりつく陰によって表情がよく伺えない。しかし、それがいい。曲に込められたメッセージや造形が、ノイズなしでこちらに流れ込んできてくれる。人間の表情をまじまじと見るのは、昔からあんまり好きではない。

「楽しい曲を真顔で、暗い曲を笑顔でやられてもどうしていいかわからない。顔ファンとかいう人種も嫌いだ」
 ライブ中はもちろん、終演後にも思ったことを逐一叩き落としていたメモにそう書いてあったので、多分当日の私は卑屈スイッチが入っていたのかもしれない。 

 しかし、曲が始まった後のメモにはそのようなテイストの文言はなかった。いや、携帯の中に書き残されていなくとも覚えている。ホール中に飽和する轟音に、私のくだらない自意識めいたものは洗い流されていた。
 彼らのことは、実はこのライブの前に一度見ていた。前述の宮田食堂の主が率いるバンドの対バン相手が、このChaton on the Noteだった。

 かっこいい。単純で簡潔ではあるが、それが正直な感想だった。後で聞いたのだが、今回はキーボードの方が体調不良のため、急遽そこに穴が開いた状態で本番に臨んでいたらしい。
 だが、それを感じさせない、見る者を引き込む圧巻のパフォーマンスだった。ただそれに身を任せていると、ああ、このバンド好きだな、という気持ちと共に、イメージがすんなりと浮かびあがってくる。

 水色と紫の中間の色をした綿。聴く者すべてを柔らかく包み込むそれの中に指をうずめると、ときおり見え隠れする冷たく輝く無数のとげで指を切ってしまう。カッターのものだろうか。それが、甘そうな色をした曖昧な塊の中でうごめき、もがいている。要所要所で形を変えつつも、三曲目が終わるころには、そのイメージは完全に私の脳内に鎮座していた。

 そんな折での、manentの曲『soda girl』のカバー。刃がすっと綿の中に引っ込み、友愛とリスペクトを溶かした空気が、manentとは違うアプローチで再構成されて広がっていく。manentのメンバーが前列のほうで体を揺らしているのが少し微笑ましい。

 MCでは、ボーカルの方が「熱を出していたが、ライブが始まったらアドレナリンが出てどうでもよくなった」というようなことをおっしゃっていた。一度スイッチが入ったら、体など諸々の事情を置き去りにして、どこまでも行きたくなる。そんな感覚を抱けるほど熱中できることがある人間は、とても美しく見える。

 新曲二つ目だという次の曲が、個人的には一番好きだった。爆ぜるような轟音の中、ステージ上の人影がゆらゆらとうごめく。包み込むような音、息遣い。そこに混ぜ込まれた憎しみや悲しみのようななにか。それらが混然一体となって、生きもののようにのたくってくる。喉元にそいつの牙が当てられているのがわかる。でも、それが閉じることはない。

 そして最後の曲。歌詞をすべて聞き取れたわけではないが、深い悲しみと焦燥感が溶かしこまれている曲だと思った。決して明るい曲ではないのに、私の脳裏に漂っていた綿が、ばらばらと崩れて落ちていき、その隙間から日が差していくような心地がした。イメージが崩壊した、というマイナスなものでは決してなく、綿自体が納得して消えた、というような感じだった。
 だが、中にあったはずの刃はなくなっていて、あたたかな光だけがそこに布のごとくはためいていた。その光景を転がしているうちに、ホール内の照明が再び灯り始めた。

 演奏中、メモをしながらずっとアマレットソーダをすすっていたので、カウンターへ空のカップを返しにいった。THE NOVEMBERSの『アマレット』という曲がきっかけで飲むようになった。ちなみに、ドクターペッパーとコカ・コーラのピーチ味がジェネリックアマレットコーラになるので(後者は個人の見解です)、もし好きな人がいたらお試しください。

kasa.

 この企画において唯一、私が前情報を持っていなかったバンドだった。メモ帳がわりの携帯を握りしめた手が、緊張のためにこわばる。そんな不安をよそに、ステージ上ではろうそくの光がふわふわと揺れていた。やがて始まる環境音。耳をくすぐるころころとした水の音がホールを満たすと、白い服を身にまとったkasa.の皆さんがステージ上に現れた。おもむろに演奏が始まる。

 聴くものを貫くような勢いを持った轟音が四方八方に散らばっていく。当然ながら、その質感はChaton on the Noteのものとは違う。彼らの音が闇の中でわだかまっているやわらかな光だとするのなら、kasa.の音はもっと鋭さを感じるものだった。包み込むようなものではない。だが、優しくないわけではない。暗がりや静けさを引き裂いて差し込んでくる、白色の光のようだ。

 三曲目が始まるとき、急に曲の持つ質感がふっ、と変わる瞬間があった。うまく文章に落とし込むことができないのだが、とにかくそういう『境目』のようなものをたしかに感じた。前半部分は真新しい傷口から極彩色の花がこちらに伸びてくるような、生の感情をそのままぶつけるような楽曲イメージがあったが、三曲目以降になるとそれは鳴りを潜め、心象風景や情景を想起させるような印象を含んだ手触りに姿を変えた。

 今思えば、これらはすべて彼らの生み出す世界に、知らず知らずのうちに引き込まれていたからこその体験だったのだと思う。私の他にも、きっとこれに近い体験をした人はいたはずだ。それほどまでに、彼らのライブは見るものをステージの上、彼らと同じ場所に『溶かしこむ』ような力があった。
 環境音。ステージに置かれたろうそく。楽器の音。曲前に差し挟まれる朗読。メンバーの一挙手一投足。それらすべてが細い繰糸となり、観客の精神をkasa.の世界に引っ張り上げていくのだ。
 
 後半部分で私はずっと沈みゆく太陽を頭の中に思い浮かべていた。それは夕焼けではなく、かといって朝焼けでもない。
 時が形を変える瞬間。何者でもない瞬間。そのときの光景が、楽曲を通して流れ込んできたのだ。
 そして、揺らぎながらもたしかな救いの気配を持った光は、白い包帯がきつく巻かれた肌の上に降り注ぐ。よく伸び縮みするやわらかいものではなく、きっちりと固定をするための固いものだろうか。つるりとしたその表面にはわずかに血がにじんでいる。だがそれは、直に乾いていくだろう。
 この曲をmanentに捧げます。その言葉と共に披露された最後の曲の終盤、曖昧などっちつかずの黄昏にそのようなモチーフが足され、その風景が固定されていく気がした。ようやくイメージが掴めた。そう思ったのも束の間、ろうそくの光を残し、彼らは演奏を終えた。

 生々しい傷はいずれ乾き、治っていく。死んでさえいなければ。

 そのような言葉が、なぜか脳裏にひらめいた。

 お腹がすいたので宮田食堂の『ぬくもり』を食べた。『わさび菜の夢』も捨てがたかったが、なんだかんだ前者がいちばんおもしろいと感じた。(名前が)
 正直、ここから先は転換中のできごとをあまり詳細に覚えていない。ライブレポートを書く、ということで肩に力が入り過ぎていたのと、出演者の表現が放つエネルギーに圧倒されていたというのが大きい。表現は、受け取るだけでもかなりの力がいる。しかし、きちんと向き合うぶんだけ、自分の中にそれ以上の大きなものが残る。

向こう側

 彼らの『インソムニア』という曲が、私はかなり気に入っている。以前、manentを見に、彼らと別のライブハウスとが合同でおこなっていた企画に足を運んだとき、メロディーと『悲しい言い訳をして』というフレーズが妙に頭に残ったのだ。それ以来、たびたびSoundCloudにあげられているスタジオ音源を聴いている。

 今回の彼らのパフォーマンスは、その『インソムニア』の静謐なピアノの音で幕を開けた。メモにも「インソムニア始まり(歓喜)」という一文が残されていた。個人的な興奮がうかがえる。すっと溶けるような楽器の音や印象的な歌詞を歌い上げる声などが、彼らの持つ『表現』のすべてを余すことなく広げていく。
 前2バンド、そしてトリのmanent。それらとは、彼らの音像は明確に形が異なっている。それは単純に電子音が多様されているということもあるだろうし、曲に込められた思いの表出におけるアプローチが異なる、ということもあるだろう。しかし、私が一番強く感じた要素は『温度感』だと思っている。

 彼らの音楽は、空間支配能力が高い。演奏中、色とりどりの音がフロアに広がり、それがサイダーやシャンパンの泡のようにぱちぱちと躍るさまは美しい。だが、涼しげなそのイメージとは裏腹に、それらは多量の熱をはらんでいる。
「盛り上がろうぜ!」「ウオー!」というような曲調ではもちろんない。だが、心のやわらかいどこかが暖かく膨らんでいくような、他のバンドとは異なる、不思議な質感がある。前2バンドの演奏で揺さぶられた部分とは違う部分が、強く刺激されていく。

 『それ』と明確に言い表すことのできない複雑な感情、それこそ涙のようなものにしか内包されないであろうものを、向こう側の音楽は理性と情熱を持って繋げ、織り上げている。その要素は、特に五曲目『明かりを灯せば』に顕著だったように思う。過ぎ去ったなにかを取り返そうとするような切実さを楽曲に感じるにつけ、中学時代、学校に行きたくなかったときのことをなぜか鮮明に思い出した。

 私の家は学校が徒歩30秒のところにあり、予鈴を聞いてから家を出ても充分間に合った。しかし、私はそのときクラスで孤立していて、とにかく布団から出たくなかった。制服に着替え、準備もしてあったがぎりぎりまでその中でうずくまっていた。
 予鈴が鳴り、否が応でも体を引きずって嫌な思いをしにいかなくてはならないあの感じ。銀色の鍋の中で煮え立っている湯のような、あのときのどうしようもない物騒な気持ちが、私の中に再構成されていく。銀色の光を跳ね返しながらうごめくそれは冷たそうに見えるが、たしかな熱さ、ぬくもりがある。絶望、悲しみ、怒り。それらに暖められ、たしかに熱されている。

 しかし、彼らの音楽は手を入れても火傷することはない。あらゆることに傷ついた者の冷え切って縮んだ手を、たしかに暖めてくれるものだ。

 次はいよいよ大本命manentということで、ドリンクを持って前のほうへ陣取る。フロア内も人が増え始め、ああいよいよ次で最後なんだな……という予感に駆られる。フードを食べに外に出るのも一苦労だが、このたくさんの人の多さに感じ入るものがあった。心の中で、この企画を持ってきた友人に心からの祝福を送った。わさび菜の夢、おいしかった。

manent

私が彼らを初めて見たのは、文字通り初ライブをおこなったときだったと思う。ライブハウスの名前は忘れてしまったのですが、それなりに天井が高くて広いところだったと記憶している。私と藤井くんは大学のサークルで出会った仲の良い友人で、自然と「バンド組んだライブやるんだ」「(藤井がやるなら)行くぽよ」というようなやり取りをし、足を運んだ。大学に入ってからの私の聴く音楽は、半分くらいが彼によって形作られていました。そんなやつのやっているバンドが、自分の好みに合わないはずがない。そして、予想通り私は『予感』のサビのフレーズを覚えて帰ることになった。友人が組んでいるバンドを見に行ったことはこれまでにも何度かありましたが、曲を一部でもワンフレーズでも頭に残したことはなく、それほどに衝撃的だった。その後、何回かライブに足を運ぶうちに「私の文章でなんかできないかな」というような感情を抱くようになった。献身したい。広めたい。どうにかしたい。『友達』という、素晴らしいが状況によっては枷になりかねないものはいつの間にか壊れ、私はmanentの音楽の虜になっていたのです。ですから、本当にこういう機会は願ってやまないことでした。書かせて、なんて言うのはまがりなりにも文章を書いている身としてはぼやぼやとしたプライドがあり、なんとなく自分を許せませんでした。本当に声をかけてくれて嬉しかったです。


 まず感じたのは、表情や立ち振る舞いから香ってくる、明確な雰囲気の違いだった。完璧に仕上がっている、とでもいうのだろうか。とにかく、いつもとは違うあふれんばかりの自信がそこにあった。
 そしてそれは、最初の曲『soda girl』で早くも証明された。個人的には薄ら寒さを感じる歌詞(個人の解釈)に乗せ、それこそソーダや水を思わせるようなさらりと爽やかな音が流れていく。

 キメの部分もきれいに決まり曲が終わると、水滴を落としていくかのような澄んだベースの音から、『予感』の演奏が始まる。大宮ヒソミネというライブハウスで見たときから、この曲のドラムの入りにはなんとなく『心臓の鼓動』のイメージがついて回っていた。具体性を欠いたまま迫りくるなにかに対して、確固たる不安を感じる、そんな曲だと思う。だがそれとは裏腹に、間奏からラスサビにかけて、目の前が開けていくような解放感があるのもまた、この曲の特徴だ。街灯を反射しながら低い方へ低い方と流れていく川の水を想起させる。

 『水際の夢』、『白い日』と曲が続く。妙にキラーチューンばかり披露するなと思っていたら、アルバム『宇宙の中で手を振って』の曲順通りにパフォーマンスをしたとのことだった。MCを聞きながらなるほどと思いつつも、個人的には休む間もなく押し寄せるお気に入りの曲たちの連続に興奮しっぱなしだった。

 彼らの楽曲たちには、水色のすりガラス窓に手をつき続けているような手触りがある。冷たくてさらさらとした凹凸を感じつつも窓の外を見ると、黒く塗りつぶされたもやが外を闊歩しているのが見て取れる。そういえばこのガラスもまるでついさっきまで誰かが触っていたかのようなぬくもりがあるようにも思えるが、よくわからない。掴めないまま、それは消えてしまう。

 とげとげしいギターの音と共に続いて始まったのは、今回リリースされたばかりの『done/はなして』に収録されている二曲だ。『done』は、SoundCloudのほうに別バージョンが投稿されている。披露したのはCD版。「階段を登っている 下っている わからない」という歌詞に象徴されるように、この曲はかなりダウナーな印象を受ける。暗めの色の照明も相まって演者の顔に陰が帯び、その雰囲気はより一層強まっていく。

 しかし、次の『はなして』で溜め込まれた陰鬱は、いったんどこかへ霧散していく。この曲は彼らが過去に出していたepに収録されていた曲だ。告知が出たときから、進化したmanentがどのようなアレンジを施すのだろうかということを考えながら、とても楽しみにしていた。
 光が差すかのようなイメージとは裏腹に、歌詞は決して明るくない。でも、その楽曲やパフォーマンスには闇の中から光へとひた走っていくかのような疾走感がある。
 曲の最後、歌い出しと同じ歌詞が繰り返される。あふれんばかりの光が辺りを包み、その言葉の持つ印象は、歌い出しとは少しだけ形を変える。それによる余韻を残したまま、彼らはステージを去っていった。

 アンコールの後ややあって再び照明が灯っていき、manentの面々が再び姿を現した。幸福感がにじみ出ているのが、手に取るようにわかる。

「ここが最高です」

 フロントマンである高畠さんは、その言葉を咀嚼するかのように何度も口にしていたのが印象的だった。

 アンコール一発目は、『おとしび』で幕を開けた。私が一番気に入っている曲でもある。SoundCloudで聞けるのでぜひ聴いてほしい。
 メロディーはもちろんだが、この曲の良いところはきちんと『夜の浜辺』が自然と脳裏に浮かぶところにあると思う。陸と海の境界線が闇によって曖昧になっているところや、鼻をつく磯の香りまで、驚くほどクリアに浮かびあがってくる。暗い部屋や町でひとりきり、孤独に寄り添ってくれるような曲だ。
 反対に、次の『散弾が外れたら』は、湖に映る朝日を眺めているような気分になる曲だ。どこまでも狭い場所と、光が差し込む広い場所。彼らの作る音楽には、そのどちらかのイメージが差し挟まれることが多い。楽曲の多彩さがなせる技だろう。

 そして、ついに最後の曲。『赤と青』という曲だ。過去に聴いた頃よりその音は進化しており、楽曲が持つメッセージを極限まで高めていた。すっと開けた場所に駆け抜けていくような曲で、この『L』の最後を飾るのにふさわしい曲だった。確実に、トンネルは抜けただろうと思う。

 これから、彼らがどのような道を歩むのかはわからない。しかし、その果てしない道のり、起こしていくことを間近で見て、ずっと応援していたいと思わせるような、素晴らしいライブであった。広がっていく幸福感に酔いしれながら、彼らがたしかな足取りで再び袖にはけていくのを、私は拍手をしながら、ただぼんやりと眺めていた。

 現在、彼らはドラムの稲田さんの脱退にともない、ライブ活動を一時休止している。残念ではあるが、私は一ファンとして彼らがなんらかの答えを出して再びステージに戻ってくる日を信じ、それを楽しみに待つことにする。今回おこなわれた『L』は、そんな未来を思い描くのに充分な『展望』が垣間見えた企画だったからだ。

 長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。このライブレポートが、他の出演者やmanentの楽曲やライブに触れる人が増えるきっかけになってくれたなら、これ以上に嬉しいことはありません。ぜひ、四組のバンドたちが己の表現を目いっぱい輝かせたこの一夜に思いを馳せながら、その『表現』に触れてみてほしいと思います。

 読んでいただき、ありがとうございました

writer……大滝のぐれ
twitter……@Tutibuta_kawa

大滝のぐれの小説はこちら(ぜひご一読ください!!!!)→https://kakuyomu.jp/works/1177354054885805717


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