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ドラゴンボール「戦闘力のコントロール」に関する疑問と考察、ベジータは地球で何を学んだのか?

PS4 ソフト「ドラゴンボールZ KAKAROT」の発売日が 1 月 16 日(木)に決定になって、今、私の中でもドラゴンボール熱が急激にスパーキングしています。発売日が楽しみでしょうがないです。

ドラゴンボールは小学生の頃には週刊少年ジャンプで連載を欠かさずに読んでいましたし、アニメも録画して観ていましたし、単行本も完全版を含めて何度も何度も読み返しました。

今回、「ドラゴンボールZ KAKAROT」をプレイするにあたって予習の為に、ラディッツ編から改めて一気に読み返しました。それで思い出したのですが、小さい頃からずっと、私の中でモヤモヤと残ったままの疑問がありました。それは、

戦闘力のコントロール

についてです。戦闘力のコントロール……言葉から単純に考えれば、戦闘力を上げたり、下げたり、自在に操る能力のことだと思います。確かに作中でも、その通りの描写になっています。しかし、その、戦闘力のコントロール方法と、戦闘力のコントロールが特別視された特殊な能力であること、そして、戦闘力そのものの概念に、不明瞭な点があります


キュイ戦

ベジータは、地球での戦いで「戦闘力のコントロールを学んだ」とキュイに告げます。

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鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第17巻 P.133

このことから、ベジータは、地球での戦いを経験するまで「戦闘力のコントロール」はできなかった、ということが分かります。

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鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第17巻 P.134

キュイの戸惑い驚く反応から、キュイも「戦闘力のコントロール」ができない、ということが分かります。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第17巻 P.135

血管を浮かび上がらせ「力む」ベジータ。上昇したベジータの戦闘力に怯えるキュイ。キュイのこれまでの常識からすると、対峙したときにスカウターで確認した戦闘力が、そこから上昇するというのは、有り得ないことだったのでしょう。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第17巻 P.137

ドドリアが、ベジータの戦闘力は 18,000 がやっとだった、と具体的な数値を口にします。キュイは、ベジータは自分と互角の強さのはず、と認識していました。そのことから、キュイの戦闘力はこのとき 18,000 だったと考えられます。

キュイはベジータと対峙したとき、ウデを落としたようだな、その戦闘力じゃキサマに勝ち目はないぜ、と余裕の態度を取ります。スカウターに表示されたベジータの戦闘力は 18,000 よりもずっと低かったのでしょう。

「戦闘力のコントロールができない」ということは、その戦闘力は意識的に下げ抑えられたりすることがなく、そのままスカウターの数値に表れる、ということにります。だからこそのキュイの余裕の態度です。キュイにとって、スカウターに表示された 18,000 未満の戦闘力が、ベジータの強さそのものであり、キュイも同じく 18,000 がキュイの強さそのものなのです。しかし、ベジータは「力む」ことで、キュイのこれまでの常識を打ち破ります。「力む」ことで、キュイよりも低かったベジータの戦闘力は 24,000 まで上昇しました。

キュイ戦において、「戦闘力のコントロール」とは、平常時に下げ抑えていた戦闘力を、「力む」ことで一気に上昇させる能力、と考えられます。「力む」前のベジータは戦闘力が 18,000 未満で、ここぞという場面で、戦闘に臨むとき、「力む」ことで、戦闘力を上昇させています。このときのベジータが 24,000 の戦闘力を出すには、血管が浮き出るほど「力む」必要がありました。元々、ベジータの戦闘力は 18,000 なので、下げ抑えた戦闘力を 18,000 に戻すだけの能力なら、「力む」必要はないはずです。

つまり、このときのベジータはベース 18,000 以上 24,000 未満の戦闘力であり、学んだ「戦闘力のコントロール」で平常時は 18,000 未満まで戦闘力を下げ抑えていて、又、同じく学んだ「戦闘力のコントロール」で「力む」ことで、24,000 までの一時的なパワーアップを実現していると考えられます。

・平常時に下げ抑えた戦闘力 → 18,000 未満
・力むと上昇した戦闘力
24,000
・下げ抑える、力む=戦闘力のコントロール?
・ベジータは地球で「
下げ抑える、力む方法」を学んだ?

フリーザはこのベジータに対して、地球で何かコツを掴んだのでしょう、と口にします。戦闘力を上昇させる、という点に関して、何らかのテクニックがあるように思わせる発言です。

では、ベジータが学んだという地球での戦いを、振り返ってみます。地球での戦いの随所に、その学ぶべきポイントがあったはずです。


ラディッツ戦

キュイや、かつてのベジータにとって、戦闘力を意図的に下げ抑えたり、上昇させたり、「戦闘力をコントロール」することは、常識の外のことでした。戦闘力が下がるということは、ウデを落とした(弱くなった)、ということであり、スカウターに表れる戦闘力は、強さそのものでした。

では、そもそも、戦闘力とは、どのような概念のものなのでしょうか。戦闘力が初めて登場したのは、ラディッツ戦です。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第14巻 P.72

ピッコロが、着ていた重いやつを脱いだだけで、戦闘力が 322 から 408 までアップします。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第14巻 P.73

同じくカカロットも、戦闘力が 334 から 416 にアップします。

気の増減、気の大小ではなく、単純に身に着けていた重いやつを脱いだだけで、二人とも戦闘力がアップします。身軽になり、俊敏性、機動性などが向上し、戦う能力が総合的に改善されたというだけで、戦闘力がアップしたということになります。

戦闘力とは、まさしく、戦闘する為の総合的な力、ということなのでしょうか。この理屈からすると、例えば、両手両足を何かで拘束し行動を制限してしまったら、戦闘力は下がるということです。

以下も、戦闘力がアップする場面です。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第14巻 P.92

ピッコロが、魔貫光殺砲の為に、気を溜めます。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第14巻 P.98

408 だったピッコロの戦闘力が、1020、1030 と上がり続けています。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第14巻 P.104

最終的に、ピッコロの戦闘力が 1330 になります。魔貫光殺砲の為に気を溜めることで戦闘力が上昇し、ラディッツは、力を自在に操りやがる、と驚愕しています。

気を溜めれば、戦闘力がアップします。戦闘力がアップすることが、ラディッツには驚くべきことです。ということは、気を溜めることが、ラディッツにはできない、ということになります。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第14巻 P.97

かめはめ波をカカロットが構える場面でも、ラディッツはその戦闘力が 416 から 924 まで上がっていく様子をスカウターで確認しています。戦闘力を一点に集中させて高める、とは、気を溜める、ということでしょう。魔貫光殺砲と同じです。やはりラディッツには、気を溜めることができない、ということです。

しかし、ラディッツも同じようなエネルギー波は使っていました。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第14巻 P.85

この所作で明らかに違うのは、やはりラディッツは気を溜めていない、という点です。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第14巻 P.102

エネルギー波を放つことと、気を溜めることは、全く異なる能力のようです。

・魔貫光殺砲 → 気を溜める → 戦闘力がアップ
・かめはめ波 → 気を溜める → 戦闘力がアップ
・エネルギー波 → 気を溜めない → 戦闘力が不変

個人の総合的な戦闘に関する能力が高まっているというよりは、一時的な攻撃力が高まっているという印象です。かめはめ波も魔貫光殺砲も、放ってしまえば、戦闘力は元に戻ります。「戦闘力のコントロール」とは、この気をどう扱うか、どう扱えるか、というところにポイントがありそうです。キュイを前にしたベジータは、「力む」ことで、全身に気を溜めていたのかもしれません。気を溜めれば、本来のベースとなる戦闘力に、気を溜めた分だけ戦闘力が上乗せされるということです。

ただ、魔貫光殺砲によってピッコロの指先の戦闘力が 408 から 1330 という三倍以上に跳ね上がったのとは違い、気を溜める先が肉体であることで、その肉体の基本能力は大きく関係してくるのだと考えます。キュイ時点のベジータでは、24,000 が、肉体に気を溜められる限界値だったのではないでしょうか。これは、何かに似ています。そうです、界王拳です。

ラディッツ戦、最後は悟飯のケースです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第14巻 P.66

ラディッツに誘拐され、宇宙船に閉じ込められた悟飯は、710 という戦闘力を示します。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第14巻 P.123

お父さんを痛めつけられ、怒った悟飯は、1307 という戦闘力でラディッツを驚愕させます。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第14巻 P.124

気に包まれラディッツに向かって突進する悟飯。かめはめ波や魔貫光殺砲と同じように、1307 という戦闘力は、瞬間的に悟飯の肉体に溜められた気なのでしょうか。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第14巻 P.127

ラディッツへの攻撃後、悟飯の戦闘力は 1 になります。平常時の悟飯の戦闘力を 1 と考えるならば、やはり気を一時的に溜めた戦闘力の上昇だと考えられます。その瞬間的に溜められる気の爆発力が、悟飯の潜在能力の高さを表しているのです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第14巻 P.128

ただ、悟飯の場合、ベースの戦闘力が 1307 で、無意識に 1 まで下げ抑えていたという可能性もあります。四歳で、初めてこのようなことに巻き込まれ、混乱し、感情的にも不安定なので、手加減の仕方が分からない、全力の出し方が分からない、ラディッツの言う通り、そもそも人として、年齢的にも、肉体のコントロール自体がよく分かっていない、という状態なのかもしれません。

・身軽になる → 戦闘力がアップ
・気を溜める → 戦闘力がアップ
・ラディッツは気を溜められない
・気を溜める=戦闘力のコントロール?


ナッパ戦

ベジータにできなかったのですから、ナッパが「戦闘力のコントロール」をできたとは思えません。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第15巻 P.65

ナッパが確認した戦闘力から、ラディッツ戦での 1307 という悟飯の戦闘力が、一時的にアップしたものだったということが分かります。もしも 1307 がベースの戦闘力だったのなら、ピッコロとの修行を終えた悟飯は、その状態でサイヤ人を迎えたはずです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第15巻 P.102

この場面が、「戦闘力のコントロール」とは何なのかを、最も混乱させました。「はああああ」と「力む」ナッパ。大地が震え、「そんな」とクリリンに、「うわあああ」と悟飯に、「これほどまでとは」とピッコロに言わせます。

これほどまでとは?

「戦闘力のコントロール」は、ナッパにもできないはずです。キュイ戦から分かったのは、戦闘力は、意識的に上げることも、下げることもできないということです。ピッコロたちは、何に戦慄したのでしょうか。ナッパと対峙して、ピッコロたちが感じるのは、気です。その強さ、大きさです。「はああああ」と「力む」ナッパの、気が変化したとしか思えません。それは、より強大になったから、これほどまでとは、とピッコロに言わせてしまったのではないでしょうか。強大すぎる気に、絶望を感じた。それしかないと思います。

ということは、気そのものは、戦闘力と直結しない、ということになります。気が戦闘力だと考え始めていたところでした。しかし、「戦闘力のコントロール」ができないナッパは、戦闘力を変化させずに、気は変化させたということです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第29巻 P.104

気を知らず、気のコントロールができなかったビーデルにも、勿論、戦闘力はあります。気は、体の中にある隠されたエネルギーなのだと、悟飯が説明しています。

確かに、戦闘力は、着ていた重たいやつを脱ぐだけでも変化します。気を溜めて、気を戦闘力に活かすことはできても、気そのものが戦闘力ではないということです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第15巻 P.104

気に包まれて、ラディッツに突進したときの悟飯みたいになっていますが、この状態でもナッパは戦闘力がアップしていません。おそらく、隠されていたエネルギーである気が体表面に顕現しただけであって、戦闘力は、その隠されているエネルギーも含めた総合的なものなのだと考えられます。

気を感じているピッコロたちは、その隠されているエネルギーの全容を正確に感じられているわけではなく、こうして顕現したことによって、ナッパの気の全容を初めて認識し、戦慄しているのだと考えられます。ナッパを戦闘力で観測していた人は、この状態のナッパに驚きはせず、ナッパを気で観測していた人は、この状態のナッパに驚くのでしょう。

ラディッツ戦の悟飯と見た目は似ていても、根本的に全く異なるものであるということになります。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第15巻 P.111

ラディッツと同じく、ナッパも気を溜めるような攻撃は全く行いません。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第15巻 P.184

気を溜めると戦闘力がアップするので、やはりそのような「戦闘力のコントロール」はできないようです。あくまでも、そのときの戦闘力に応じた、力任せのエネルギー波を放つだけです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第15巻 P.195

この悟飯の魔閃光は、かめはめ波や魔貫光殺砲と比べると気を溜めるような様子がなく、すぐにナッパに向けて放たれるのですが、ナッパのエネルギー波では戦闘力が上がらず、悟飯の魔閃光では戦闘力が上がるということは、根本的に、地球で培った攻撃体系は宇宙のそれとは大きく異なるのかもしれません。

・ナッパ:エネルギー波(速攻)→ 戦闘力が不変
・孫悟飯:魔閃光(速攻)→ 戦闘力がアップ
※気での攻撃体系が根本的に大きく異るのか?

地球では、気を溜めるか、新たに気が増幅され、それを放出するという仕組みで、宇宙では、現時点で持っているエネルギーをただ放出するだけなのでしょうか。だから前者は必ず戦闘力が増し、後者は戦闘力に変化がない。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第15巻 P.197

ナッパたち「戦闘力のコントロール」ができない側のエネルギー波は、戦闘力の消費を感じさせないが、ピッコロはラディッツ戦当時、魔貫光殺砲を 2 度しか使うことができなかったし、この悟飯の魔閃光も、大きな戦闘力の低下を伴っています。気を溜める、増幅する、という地球側の攻撃は、自身の能力値を一時的に超える為、そういった反動を伴う完全に別種の攻撃方法であると考えられます。

気そのものは戦闘力ではないが、気を自在に操り、戦闘力に転換できる能力こそが、「戦闘力のコントロール」ではないでしょうか。

・気は戦闘力ではない
・気を溜めるなどして戦闘力に転換する、活かす能力

そして、気を戦闘力へ転換する能力、その究極の奥義が、界王拳なのです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第15巻 P.205

歩きながら下げ抑えていた戦闘力を上げ戻す孫悟空。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第15巻 P.212

キュイ戦でベジータが見せたように、「力む」ことで限界まで戦闘力を上げる孫悟空。気を増幅させ、戦闘力に転換。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第16巻 P.31

界王拳によって戦闘力が激的に変化。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第16巻 P.35

界王拳は、身体中の全ての気をコントロールして瞬間的に増幅させる、と孫悟空は説明しています。増幅させた気が作用して、力もスピードも破壊力も防御力も全て何倍にもなるというのです。

戦闘力が、総合的な戦闘する能力を表しているのなら、界王拳はまさに、戦闘力を高める究極の技です。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第15巻 P.31

そして界王拳が、「戦闘力のコントロール」の究極なのです。

ベジータは、地球で何を学んだのか?

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第16巻 P.34

それは界王拳です。「戦闘力のコントロール」の極意です。界王拳に倒れるナッパを、ベジータは目の当たりにしました。カカロットが到着するまで、戦闘力が激しく変化する悟飯たちの戦闘も、一部始終を眺めていました。


ベジータ戦

ベジータは天才です。「戦闘力のコントロール」の究極を体感し、己のカラダで学習したのです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第16巻 P.80

界王拳 3 倍を繰り出す孫悟空の戦闘力に、驚きを隠せないベジータ。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第16巻 P.89

ベジータは、その確かなダメージから、孫悟空が己の戦闘力を超えたことに怒ります。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第16巻 P.64

気そのものは戦闘力ではありません。「戦闘力のコントロール」がまだできないベジータは、孫悟空を震撼させるほどの気を発揮しますが、これを戦闘力に転換することができません。このベジータの状態は、戦闘力 18,000 の根拠ともなる隠されたエネルギーが体外に顕現したに過ぎません。

・気の高まりは戦闘力の高まりではない
・ベジータの戦闘力は変化していない
・カカロットは気の高まりを感じ戦慄した
・戦闘力はスカウターでしか知ることができない

この高まった気を自在に操り、身体能力に作用させるのが、「戦闘力のコントロール」です。このときのベジータにはそれができません。カカロットの界王拳 3 倍による攻撃を受けることで、フリーザが言った通り、何らかのコツをベジータは掴み始めたのではないでしょうか。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第16巻 P.93

気を溜められないベジータのギャリック砲は、戦闘力 18,000 の威力を超えることができません。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第16巻 P.100

ベジータのギャリック砲と、カカロットのかめはめ波は、見た目はそっくりでも、その性質は全く異なります。気を溜め、戦闘力をコントロールしたかめはめ波には、それができないベジータは敵いません。

仮にこのとき、カカロットとベジータが二人とも同じ戦闘力 18,000 だったとしたら、気を溜めて放つ攻撃ができるカカロットは、戦闘力が 18,000 を大きく超えるはずなので、圧倒的に有利になります。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第16巻 P.63

ベジータは「戦闘力のコントロール」ができないので、見せられる圧倒的パワーとは、隠されていたエネルギーである気をどれだけ表に顕現できるか、ということになります。気はパワーの源ではあるが、直結した戦闘力ではないのです。

ベジータは、圧倒的パワー、気を引き出すことはできても、それを身体能力に作用させることまでは、できません。カカロットに出会うまで、思いつきもしなかったのではないでしょうか。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第16巻 P.62

界王拳は戦闘力を 2 倍にします。「戦闘力のコントロール」の究極である界王拳は、身体能力への作用効率が最も高いのだと考えられます。

・気そのものは戦闘力ではない
・圧倒的パワーの気を引き出す → 戦闘力は変化しない
・気を溜める → 戦闘力がアップ
・気を自在に操り身体能力へ作用する → 戦闘力がアップ
・界王拳は気の
身体能力への作用効率の極み

ベジータはカカロットとの戦いの中で、気と戦闘力の関係を知ったのでしょう。隠されたエネルギーである気を身体能力へ作用させることで、総合的な戦闘に関する能力の向上を実現していた、それが戦闘力というものだったのです。

その仕組みを把握し、逆に意識的に気を身体能力へ作用させないようにできれば、平常時の戦闘力を下げ抑えることもできます。それは普段のエネルギー消費も抑えられるようになると分かります。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第19巻 P.172

下げ抑えた戦闘力も、気を身体能力に作用させれば元に戻ります。一時的に限界を超えて身体能力を向上させ、戦闘力を上昇させることも可能になります。

キュイと対峙したベジータは、これらができるようになっていました。18,000 よりも低い戦闘力で行動し、戦いでは 24,000 まで上昇させた戦闘力。気の身体能力への作用を、ベジータは間違いなく学んだのです。

・気の身体能力への作用を減らす → 意識的な戦闘力ダウン
・気の身体能力への作用を増やす →
意識的な戦闘力アップ
・気の身体能力への作用ができない → 戦闘力がコントロールできない


ナメック戦

「戦闘力のコントロール」は、気の身体能力への作用能力ということですから、とても高度なセンスの要る能力だと考えられます。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第17巻 P.200

戦闘力をコントロールできる種族は、滅多にいないタイプだとドドリアが語っています。種族は関係がありません。ドドリアにはできないのでしょう、だから種族による特殊な能力と割り切って、諦めてしまったのです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第20巻 P.190

フリーザは「戦闘力のコントロール」ができます。ベジータは驚いていますが、フリーザほどの強者が、できない方が不思議です。変身によりベース戦闘力が上がり、「戦闘力のコントロール」でさらに戦闘力がアップする。本当に絶望的なバケモノです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第20巻 P.24

変身前のフリーザの戦闘力は 530,000 です。「戦闘力のコントロール」ができるフリーザが、常に全力の 530,000 で過ごす必要はないように思いますが、周囲を威圧する為にその状態でいることは、不自然でありません。

ただ、この 530,000 という戦闘力は、この姿での MAX を示しているはずです。キュイ戦のベジータのように、「戦闘力のコントロール」で戦闘力を上昇させた結果、この 530,000 に到達するはずです。フルパワーで戦う気はない、とは、そういう意味でしょう。

つまり、「戦闘力のコントロール」ができる平常時のフリーザ、そのベース戦闘力は、530,000 もないということです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第20巻 P.159

ベジータと対峙したこのとき、フリーザはこの姿でのフルパワー、「戦闘力のコントロール」によって、530,000 の戦闘力を発揮したのでしょう。

不思議なのは、ベジータはこのとき、フリーザが「戦闘力のコントロール」ができたことに気がつきません。この姿のフリーザでは、そこまで激的な戦闘力の上昇を実現できなかったということなのでしょうか。ベジータにとって、想定内の戦闘力だったからでしょうか。

スカウターを利用していないベジータは、相手の気を感じています。戦闘力の数値を知ることはできません。気の感覚では、「力む」フリーザは、そこまでの変化を感じられなかったということでしょうか。

・「戦闘力のコントロール」でフリーザの戦闘力が 530,000 まで高まる
 → スカウターでしか知ることができない
・へジータはフリーザの
「戦闘力のコントロール」に気づかなかった
 → フリーザの気は変化がなかった?
 → フリーザの気は既に 530,000 相当のパワーだった
 → 気が身体能力に作用して戦闘力に反映された

気そのものは戦闘力ではありませんから、戦闘力の高まりと、気の高まりは、別なのです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第17巻 P.195

気は、戦闘力とは異なり、抑えられていることを感じることができます。本来のパワーから、今、どれくらい抑えられているのかが、漠然と分かるのです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第17巻 P.199

スカウターの戦闘力が 1,000 を示している状態でも、気の感覚では、本来の 3,000 を漠然と把握できていたということです。 隠されたエネルギーである気を、どれだけ戦闘力に転換するか、その調整・加減が「戦闘力のコントロール」なのです。

なのでやはり、ベジータは変身前のフリーザの MAX 530,000 が、おおよそ気から想定できていたということです。それなら、変身前のフリーザに対して驚きもなかったのでしょう。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第19巻 P.210

ギニューも「戦闘力のコントロール」ができます。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第19巻 P.72

ギニュー特戦隊にとっても、「戦闘力のコントロール」は珍しいものですが、一定レベルを超えた強キャラは、皆、それができるようになっています。やはりドラゴンボールにおける強さの条件は、気を身体能力へ作用できる能力に気がつき、それを実現できるかどうかなのでしょう。それができなければ限界以上に強くはなれないのです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第14巻 P.11

地球人であるクリリンが、ナメック星での戦いについてこれたのは、もろい民族かどうかは問題ではなく、「戦闘力のコントロール」ができたらからだと考えられます。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第17巻 P.91

悟飯がビックリするほどのクリリンの技の多さも、気そのものの扱いに優れていた、気の扱いが得意だったことの現れではないでしょうか。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第18巻 P.150

最長老に眠っている力を起こされたクリリン。その力も、巧みな「戦闘力のコントロール」ができてこその強さです。

「戦闘力のコントロール」ができなければベジータは限界を超えられなかったでしょうし、孫悟空も地球でベジータをあそこまで追い詰められなかったはずです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第14巻 P.10

戦闘力がたったの 5 しかないゴミみたいな民族でも、修行し、誰にでも隠されたエネルギーである気の身体能力への作用を学べば、激的に強くなれるワンチャンがあるということです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第29巻 P.107

なのでビーデルは、悟飯に教わって気を扱えるようになったこの瞬間に、激的に強くなれるキッカケを得たのです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第20巻 P.67

ところでベジータは、戦闘力をスカウターが反応しないほどに下げ抑えることもできるようになりました。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第18巻 P.214

これは、ナメック星でクリリンたちがよく使っていたテクニックです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第20巻 P.42

やつらのようにうまく戦闘力を消さないと、と呟くベジータ。ゼロへの「戦闘力のコントロール」は、ナメック星で学んだことでした。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第20巻 P.54

では、戦闘力をゼロにまでコントロールする、とは、どういう状態なのでしょうか。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第17巻 P.125

クリリンは悟飯に、気配を殺しながら気を溜めておけ、と命じます。ラディッツ戦において、気を溜めることは、戦闘力のアップに繋がっていました。しかし、戦闘力はほとんどねえゴミだと笑われています。

かめはめ波や魔貫光殺砲のように、気を放つ目的ではなく、肉体の戦闘力のアップを目的とした場合、気そのものは戦闘力ではありませんから、身体能力に作用しないような、気だけを体内に溜め増幅しておくテクニックがあるということになります。

気配を殺すことで、ほとんど戦闘力がない状態になる、とはどういうことでしょうか。気配が希薄になり、存在が虚ろになり、極めて存在しない状態のものは、戦闘するような力もない、ということなのでしょうか。

気が、身体能力へ作用しているのが人間の通常の原理・状態ならば、気の身体能力への作用を意識的に極限まで減らした状態が、気配を殺した状態、人間の原理・存在から離れていく状態ではないでしょうか。例えば、解体された動物の肉の塊に、力強さを感じたとしても、そこに生はありませんから、戦闘力は存在しないはずです。隠されたエネルギーが気なので、気の通っていない肉の塊は、存在するただの物体でしかありません。気が身体から切り離された状態は、物体であって、エネルギーを伴う生物ではない。エネルギーを伴わない戦闘力の存在しない肉の塊の状態の人間が、クリリンたちの気配を殺すというテクニックではないでしょうか。

・気と身体能力の繋がりを絶ち極めて物体化することで気配を消す
・物体には戦闘力が存在しない=戦闘力 0 を実現

気と身体の作用が極限まで切り離された状態を実現できれば、いくら体内で気を溜め増幅しても、それが身体能力に、戦闘力に現れることは全くないということです。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第17巻 P.127

身体とは別の次元に切り離し溜めて増幅した気を、急速に身体へ戻し、身体能力へ作用させ、一気に戦闘力を上昇させているのです。

・気は誰にでもある
・気は身体能力と結びついている
・気×身体能力×作用=戦闘力
・作用が 1 固定 → 戦闘力のコントロールができない
・作用が可変
→ 戦闘力のコントロールができる
・作用が 0 →戦闘力をゼロにコントロールできる

ベジータが地球の死闘から回復した時点で、ベース戦闘力が 18,000 から 20,000 に上昇したと仮定すると、

気×身体能力× 1 =20,000

が、これまでのベジータで、「戦闘力のコントロール」を学んだベジータは、「力む」ことで作用を変化させ、

気×身体能力× 1.2 =24,000

という戦闘力の上昇を実現したのではないでしょうか。キュイと対峙したとき、エネルギーを抑えていたベジータは、

気×身体能力× 0.8 =16,000

このように作用をコントロールし、キュイに余裕の態度を取らせる戦闘力まで下げ抑えていたのではないでしょうか。

気を探る場合、仮に 16,000 のベジータとクリリンたちが対峙したら、気を抑えていることは感じられるので、20,000 までの気は漠然と感知できても、そこからどれだけ伸びるのかは相手の力量次第で分からない、となると考えます。だから、フリーザが「戦闘力のコントロール」ができると分かったとき、想定できなかった圧倒的な絶望を感じたのです。


あとがき

現実でも、気功を操る武術家は存在しますが、それを身体能力強化にどれだけ転換できているのか、通常では考えられない能力です。ドラゴンボールにおける「戦闘力のコントロール」とは、身体能力強化の作用法であり、まさにそれは武人たちの極致です。

「戦闘力のコントロール」とは、ババーンと、気を増減させるだけという、単純な発想を持っていましたが、ラディッツ戦から振り返ってみると、とても奥が深く、私自身も想像していなかった結論に至りました。

キュイも戦闘力 18,000 の状態で、「戦闘力のコントロール」を学び、ベジータと同じ作用を発揮すれば、21,600 までは戦闘力を上昇できたということです。それでも死線を越えてパワーアプした 24,000 のベジータには及びませんが、学びがそのときの限界を超えさせてくれる、というのは、何とも少年漫画らしい教訓で、嬉しいです。ドドリアもまた、「戦闘力のコントロール」を種族の問題と決めつけず学んでいれば、ベジータとは互角の勝負ができていて、殺されずに済んだのかもしれません。

「戦闘力のコントロール」が目指す最高作用効率は、界王拳です。界王拳で戦闘力が 2 倍になりますから、作用が 2 という高い値になります。そういえば、超サイヤ人は、さらにこの延長線上にあるのではないかという気がしてきました。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第22巻 P.50

超サイヤ人は、フリーザやザーボン、大猿とは違い、変態ではありません。見た目は頭髪や目の色が変化するだけです。ということは、ベース戦闘力がアップしたのではなく、戦闘力が爆発的に上昇した状態なのではないかと考えられます。それは界王拳を遥かに超越した状態ですが、界王拳と理屈は同じなのではないでしょうか。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第22巻 P.165

フリーザ戦においても、悟空は超サイヤ人を自分の意志で解くことができます。超サイヤ人は界王拳のように、自分の意志で力を作用させる「戦闘力のコントロール」の延長線上に存在する概念のように感じます。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第33巻 P.207

超サイヤ人というのは、身体に無理があり過ぎて、寿命を縮める危険すらあるそうです。身体に無理を強いているということは、身体能力に爆発的な力を強制しているということでしょうから、意識的に身体能力へ作用させる能力、やはりこれは「戦闘力のコントロール」と同じではないでしょうか。

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▲鳥山明 ドラゴンボール 完全版 第27巻 P.12

超サイヤ人になり戦闘力がアップすることでの身体への負担。界王拳を使った場合の副作用と同じです。


これで最後になりますが、小学生の頃、本気で空が飛びたくて、エネルギー波が撃ちたくて、修行ごっこを長い間していました。ランドセルにダンベルを仕込んで近所も走り回りました。でも、できませんでした。せめて、チャパ王の八手拳くらいはできたかったのですが、練習しても腕は二本のままでした。

ビーデルと同じように、気のコントロールから始めなければなりませんね。まずは武術の心得が必要です。


ドラゴンボールZ KAKAROT


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