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どうしようもなく嫌な自分を「好きだ」という人がいたら、どうする?

どうしようもなく自分で自分が嫌なときに「このままでいて欲しい、今のあなたが好き」って言われたら、どうしますか?


ーこういう図式って、結構世の中に溢れている気がする。

男の頼み事を断れない女、会社を辞めたいけど妻に反対される夫、優等生のふりをしている子供…。漫画やドラマでもよくある。

かく言うわたしは「母でしかない自分に嫌気がさしている女」と言ったところかな。

変わろうと思った時によぎる顔

わたしはこの春から働き始める。今まで専業主婦だったけれど、子供を幼稚園と保育園に預け、週3くらいのペースで働くことにした。(詳しくはマミートラップ~スタートラインに立てない私

わたしは、母でしかない自分が嫌で、仕事をすることで変わりたいと思った。でもそう決めたとき、やっぱりよぎったのは2人の子供の顔。今までずっとお母さんは家にいたのに、淋しい思いをするだろうな。特に下の子は1歳で預けられるの、嫌だろうな。わたしは自分のために子供を犠牲にしているのかも…。考え出すときりがない。

そのときふと思った。子供たちは、変わったわたしより、今の「自分が嫌だと思っているわたし」のほうが好きなのかも、と。そう考えると頭がぐらぐらした。

嫌な自分にも価値がある

そのことに気づいたわたしは、ガーンとなるかと思ったけれど、意外とシンプルに受け入れることができた。と言うか、こんなにも自分が嫌だったのに、そんなわたしを好きだと言ってくれる存在がこんなにも近くにいたことが、目からうろこだった。(子供が親を好きなのは当たり前と思うかもしれないが、日々に余裕がないと、こういうことに鈍感になってしまいます。)今まで何かをしないと自分に意味が見出せないと思っていたけれど、わたしがわたしであるだけで、母であるだけで、いいと言ってくれる人が2人もいるんだ、と。

理想の自分も、結局は誰かに頼られたいんだということ

自分が変わろうとするとき、誰かがそれを止めることがある。それは大抵、その誰かが自分に依存しているとき。(物理的な面だけでなく、心理的なことも含む)依存って言うとマイナスに聞こえるけれど、人って生きていれば、誰かを頼ることがあって、頼られることもある。そしてわたしを止める人は、たぶんわたしのことを頼っている人なんだろう。わたしの決断を止めるほどに、わたしを必要としてるんだろう。

言い方は悪いけれど、その状態に自分の価値が見出されるかどうか。誰に頼られることが、自分にとって嬉しいと感じるか。歌手になって、ファンをたくさん持つことも、母になって子供を育てることも、最終的に誰かに求められて、自分の価値を見出だしている点では同じ。その誰を大切にするか、それぞれの割合はどのくらいか。

ーそれは人によって違うと思う。

求められるということは、大変なこと。だからこそ価値がある

これまで専業主婦でやってきて、ずっとしんどいなと思い続けてきた。わたしが思うに子を育てることは、かなり責任感のある仕事だ。会社だって何だって、仕事はできる人のところに集まり、より高いレベルを求められていく。わたしは基本的に子供の世話をしているから、子供にまつわるタスクが自然と集まって、子供は当たり前のようにもっともっとと言ってくる。とても大変だけれど、だからこそ求められるし価値があるんだと思う。でもわたしはその価値を少し置き去りにして、新しい価値を探しに行こうとしている。

「自分を変えたい」は都合がいい言葉で、それは「今から逃げたい」とすごく近しいところにあるのかもしれない。変わろうとするとき、少し考える。「今の自分」に価値がないのではなくて「一昔前の理想の自分」のしんどさに、押しつぶされそうになっているだけではないか?と。もしそうなら、押しつぶされない程度に「一昔前の理想の自分」も大切に考えてみる。わたしはママになりたくてママになった。すぐ忘れそうになる「ママである自分の価値」を大切にしなきゃなと思う。



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