知らんけどが流行ってる
相手も自分も貶めない返し、切り返しの早さ、流行りのものに例えた突っ込み。
不得意というわけではありません。むしろ、浅い関係性であればあるほど上手にやり過ごせるタイプ。
今年の流行語に「知らんけど」がノミネートされました。
もともとは関西の方言だったと記憶していますが、今は日本全国で「知らんけど」が使われているというのです。
両親の出身が関西のわたしも、流行するよりはるか昔からこの「知らんけど」を使っていた1人で。
どんな小難しい理屈でも、テーマが重くとも、最後に「知らんけど」を付け加えればたちまちオチがつくので、よもやま話をする際には大変便利な言葉なのです。
で、「知らんけど」の恩恵を受けている身でこんなことをいうのもナンですが、「知らんけど」が流行る世間ってちょっと冷たい感じがします。
「自分はこう思う。知らんけど。」の、カッコ内には「自己責任で判断してね」の意味が含まれています。
信じるか信じないかはあなた次第、みたいな。
関西に住んだことはないけれど、関西人の感覚を少なからず知っているわたしには、関西人の「知らんがな」と、流行り出してから使いだしたその他地域の人の「知らんけど」の間には、そのニュアンスに隔たりがあるような気がしてなりません。
流行している「知らんけど」を使うたびに、自分の言葉に責任を持っていないんじゃないかワタシ、ということをちらりと考えてしまう。
日々当たり障りない返しを繰り返し、深いところに立ち入らせないし、立ち入らない。これも社会的動物として必要な技術だとは思うのですが、そればかりになって、相手を本当に見つめて絞りだした言葉や、自分自身の割り切れない感情と向き合って出した言葉を忘れつつあるような気がしてなりません。
知らんけど、で区切った言葉は、割り切った考えで、それはとても楽なものです。楽で、責任もない代わりに、相手に寄り添うには乗り越えられない硬さが、見えないけど間違いなく、ある。
だからといって、毎回、本当に寄り添う言葉を出せるわけではないのですが。
でも、言葉はそもそも感情をそっくりそのまま反映できるものではないのですし、ましてや誰しもに当てはまる一言なんてあり得ません。だから、どうしたって伝えようとする言葉は長くなりますし、長い言葉をまとめるには時間もかかる。当たり前のこと。
短くわかりやすく、が流行りの世の中ですが、人の感情がそんな単純になったら、それは、とても気持ちの悪い世界。
だから、ひとり1人のことをよく見つめて考えるしかできることはないですし、知らんけどを、突き放す意味で使ってはならない。
知らんけどは、オチの名役のままでいてほしいのです。
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