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代わりに刺されたい

どうしてこんなに一生懸命人と会うんだろうと思ったと、大好きな人に言われて、わたしはこの人を見下していたんだなと思いました。

大好きな人は不器用で、泣き虫で、社会では息をしにくいタイプ。片やわたしは、器用とはいえないまでも大きな挫折がないまま、それなりに順応してしまったタイプです。

だから、そんな大好きな人が困っていたら色んな意味で助けたいし、おせっかいをしてしまうことが何度もあります。

でも、いつしか純粋に助けたいという想いから、自分の空っぽを埋めるために彼女の窮地を利用しているという事実、その自分の卑屈さを言い当てられて、自分は間違えたんだと気が付きました。

大好きな人は言いました。一時期、すごく遊びに誘ってくれるけれど、それは自分のことが好きという感情だけではなくて、人と会うという行為への熱心さから来ているもので、不信感をもったと。そして彼女は怒りました。そんな暇つぶしに付き合ってられるかと思ったんだそうです。
彼女はわたしの、人に依存している部分を鋭敏に感じとったのだと思います。

大好きな彼女は言いました。恋人でも仕事でもない、自分のためだけの人ではない依存先を見つけなさいと。
同じことを、最近新たに依存しかけている人にも似たようなことを言われたなと、少しアルコールの回った頭で思いながら、大好きな彼女の本気のまなざしから微妙にそらしました。

不器用で、生きるのがへたくそなのに愛されて、誰もが助けたいと思わされる愚直に近い素直さと、人並みの狡猾さを持っている大好きな彼女は、人生のどん底にいるときですら、眩しい存在で、

彼女と別れた帰り道に、これまでも何度もした想像が再び頭を巡りました。
彼女や、あるいは他の依存している大好きな人の誰かが刺されようとしていて、その人が刺されるか、わたしが刺されるかの二択しか選べない場面。
決まって、わたしは依存している人を突き放して、代わりに刺されるのです。命は奪われないけれど、消えない傷跡が残るところまでを思い浮かべます。

死ぬのは嫌だけれど、ただ刺されるという事実だけならば、自分が引き受けたい。偽善の塊で、その上ご都合主義の妄想です。

大好きな彼女はこうも言いました。わたしは自分のことで手いっぱいだから、君を含めた周りの人をよく見ている人に助けられているけれど、じゃあ君みたいな人は誰が助けるんだろうと。
その場では、助けることで自分も救われているのだと答えました。それは嘘じゃありません。

嘘じゃないけれど、

わたしは、人に依存していると同時に、依存している相手のことをどこかで見下しているのです。彼女に限らず、生きることがへたくそな人に憧れているし、大好きなのに、やっぱりかわいそうなんだと憐れんで、自分の生きづらさを棚に上げて日々を生きているわたしには、どれだけ人に依存しても、助けてと言えません。
だって、弱っている時に助けを求めたら、同時に自分の薄っぺらい虚栄心がばれてしまう。そうしたら、依存先を失ってしまいます。

だから代わりに刺される妄想をくりかえすのかも知れません。刺されたという事実は、傷跡という目に見える形で、わたしの依存先になるかもしれないから。

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