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まんまみーまMBTI心理機能定義書 - Fe「契」


はじめに

以下参照。


定義(Definition)

外向的感情(Fe) = 契(Contract)

副次的解釈:
約束、絆、友情、尊重、愛情、無批判


概要(Overview)

外向的感情とは、プライドを守「らせる」能力なんだと思います。

あるシーンを用意して考えてみます。

「Dさんの誕生日を祝うパーティにて」
Aさん「Dさん誕生日おめでとう!」
プレミアの高級財布をプレゼントする。
Bさん「あ、財布に傷ついてる」
Cさん「ほら、でも革財布は味が出てナンボでしょ、どうせ汚れたり傷つくんだからさ、いいじゃん!」
Dさん「いやいや、いいんだよ、むしろこんな高くて珍しい財布ありがとうAさん!」
Aさん「あー、よかったー!」

このやり取りにはFeがいっぱい潜んでる。

まず、Feの数を整理する。

Aさん(5個)
・誕生日にプレゼントを持って行かないと相手が傷つくかもしれない
・本人だけでなく、同じように思う他の参加者が不安になるかもしれない
・あまりに安すぎたり、どこでも簡単に手に入りそうなものでは、相手を軽く扱ってるように思われて相手が傷ついてしまうかもしれない
・財布の傷のことでCさんとDさんに気遣いをされてしまったので、本当は謝りたい気持ちが強かったが、ここで自分が謝ると更に気を遣わせてしまうので、相手のありがとうという言葉に素直に肯定的な反応を返す
・Dさんが主役のパーティでDさんを気遣わせるような発言をしたBさんのことを内心よくは思っていないが、不和を起こさないためにBさんの発言についての言及は控えた

Bさん(2個)
・傷ついた財布を貰った相手は迷惑ではないのかを気遣った
・後で傷ついている財布を貰った事にDさんが気づいたら、色んなことを疑ってしまう可能性があるのでその場で指摘した

Cさん(1個)
・Aさんの財布が傷ついているというBさんの指摘に対し、傷がついてることは否定的な側面ではないことを打ち出し、DさんとAさんに否定的な側面を見せないようにした

Dさん(3個)
・Aさんが何かを選んでくれた気持ちを傷つけない(Aさんが信じたものを否定しない)為に、肯定的な反応を返す
・CさんがAさんをフォローしたので、AさんをフォローしないとAさんを不安にさせるし、フォローしたCさんが間違った事をした気持ちになる可能性があるので、肯定的な反応を返す
・Bさんが悪気がないのは雰囲気で感じ取れたので、Bさんの意見をなかったことにしないよう、傷が目立たない等の発言を控え、あくまで別の観点がそれを上回って問題ないという論調をした

合計5+2+1+3
=11個

想像力豊かな人なら、もっといろんな気遣いを見出すかもしれないし、逆に深読みのし過ぎと考える人もいると思う。

数の多さや気遣いの質の話はともかく、ここで伝えたかったのは、

ここに登場した気遣いは全て相手の気持ちを守っていると同時に、
他者に守らせてもいる。
守っているのは、叶わないという無力感である。

ということです。


確かに、結果的にこのやりとりは誰かの気持ちを尊重したことになったかもしれない。でも、よく考えれば、わざわざ目で見て、耳で聞こえるような言動を取らないことで相手の気持ちを損なわずに済むこともある。それどころか、何もしないことの方が、言動の矛盾を気にしないで済むので、余計な傷を生むリスクは低いと言える。今言ったことはBさんだけに当てはまる事ではなく、CさんがAさんをフォローしたことで、DさんがCさんのことを気遣う必要を感じてしまったことにも言える。

結局気遣いとは、相手が信じたい何かを否定しないことであることが読み取れると思います。そう考えると、言動を起こすことは必ずしも最適ではない、ということも理解いただけると思います。

つまり、沈黙も言動も、それが肯定的に働く希望を込めて行うのでその行為自体が信仰対象になっているのです。

信じたいものがあるとき、人は無意識にその信仰への強制参加を望む。
信じたいものが沈黙ならば、相手に不干渉を強制し、
信じたいものが言動ならば、言動への共同を望む。

今回の例は、参加者各々が参加者全員に共同を望みました

信じたいものを守ることは連鎖を伴う。批判は不和を生むが、批判はその連鎖を反転させる行為だからと考えれば単純です。

そもそも信じるとは、確かであると共有不可能なことにこそ働く現象であり、信じる気持ちを前に人はいつも無力であるというのが重要なポイントだと考えます。疑わしいこと以外に信じようとする気持ちは生まれませんよね。自明なことには信じるも何も、そうでしかないと思うのが人間です。

以上から、信じる気持ちを守ることは、無力感を守ることであると考えます。


守りの連鎖はいつからはじまったのか。

Bさんが財布の傷を指摘したとき、
Aさんが財布をプレゼントしたとき、

いや、そもそも誕生日パーティを設定したときから、そこにはしっかりとした契が結ばれてるように私には見えました。

見えないものを守り、守らせようとする態度、その「契」を外向的感情(Fe)であると定義します。


小噺「外向的感情は善か?」

人の気持ちを守り、守らせようとする態度、それがFeであると定義しましたが、この心理機能と縁の無い人からすれば、なぜそんな気持ちを抱くのだ?
と思うかもしれません。

善人だからか?そう思わない自分は悪人なのか?
この疑問にはハッキリとNo!!!と言えます。

まず、人には他人などに関係なく譲れない我儘があるはずです。Feを使う彼らにとっての我儘は何か?それを内向的思考から考えると彼らの言動に説明が付くと考えます。

Feを持つタイプ(xxFJ,xxTP)には、必ず第一機能から第四機能までのどこかに内向的思考が存在します。

内向的思考は、原理を重んじる心理機能と定義しましたね。それを基に考えると、自分の中にある原理に忠実な一面があるはずです。となると、違ってくるのは、内向的思考の回で話したように、
①自分が思えればそれでいいか
②他人の承認があることが大事か

この内②であるとすれば、答え見えてきませんか。
つまり、自分で思う事よりも他人と同じ内容を共有することで、自身の疑いを確かなものとして整理するということです。

これを前述の心理機能解説に当てはめると、気遣いによる他者のプライドの保護は、それが実現すると自分と他者との間に共通認識が生まれ、自分も一つ確かな真実を獲得するという、内向的思考の願いを達成できるのです。

xxTPは①の方法を重んじやすく、xxFJは②の方法を重んじやすいというその程度違いなのではないかという考えです。


小噺「友情には外向的感情が不可欠」

ここまで語れば言うことは少ないですが、友情には外向的感情がマストアイテムと考えてます。

友情の定義は人によると思いますが、少なくとも互いの邪魔をし合う関係を友情と呼ぶ人は多くないはずです。邪魔の定義とはとなるとそれも色々解釈が分かれるので一旦そこは触れません。

邪魔をしないためには、お互いの考えを理解してウィークポイントを刺激しないことが必要です。手助けを行うならば、助け方を心得なければ、かえって迷惑になることもあるはずです。どちらにせよ、相手の思慮に対して理解を求められます。どんな思慮が必要かも状況により、時として訳を敢えて深く聞かずに助けることがその相手にとって最も理解ある対応となる場合もあるでしょう。

同時に、助け船を差し出すことは、相手の意図に加担することを意味するため、責任を伴います。責任を伴う以上、手を加える正当性が欲しいものです。何を以て正当とするか、それもその時々で違いますが、いずれにせよその相手に対して批判的な思いがあるままでは助けなど出せないでしょう。

そもそも、自分の思っている事が叶う方向に物事が進んでいるならともかく、他人の願いを叶えることはビジネスでもなければ明確なリターンなど無いので助け船を出すことは自分にとって損であると考えるのは自然です。

敢えてネチネチ書いてみましたが、こんなに考慮する事が多いイベントに参加出来るには、他者の願いを叶えることにやりがいを感じる事が出来るマインドである必要があると言いたいのです。


あとがき

なぜ、原理(Ti)と契(Fe)が対の関係なのかは、今回の内容と内向的思考の回を合わせて読むと分かりやすいと思います。


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