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告発の勇気が社会の希望② 命がけでたたかう若者たち(上)

311子ども甲状腺がん裁判
「安定した生活ができるように補償して」

原子炉建屋が吹き飛び、一気に噴煙が立ちのぼる。東日本大震災直後に相次いだ東京電力福島第一原発の爆発。「たいへんなことが起きた」。テレビ画面に映し出された恐怖の映像は、いまも多くの人の脳裏に焼き付いているだろう。
ところが当時、枝野幸男官房長官はテレビカメラに向かい、「直ちに健康被害は出ない」と繰り返した。その後の13年の間に起きたことと照らし合わせ、この発言の欺まん性を、私たちは強く問わなければならない。 

事故後、若者320人超が甲状腺がんに

 事故当時18歳以下だった子どもを対象にした福島県民健康調査では現在、321人が悪性もしくは悪性の疑いがある小児甲状腺がんと診断されている。小児甲状腺がんの有病割合は100万人に1~2人程度、その数十倍にもなる数字だ。しかも、リンパ節転移が認められた症例は約80%と非常に高く、甲状腺の一部、または全摘などの手術をおこなった人は262人にものぼる。全員が31歳以下の若者である。
 国や県、東電はこの多発を「スクリーニング効果」や「過剰診断」の結果であり、原発事故と甲状腺がんとの因果関係はないとする。本当にそうなのか? 
 当事者やその家族は「なぜ?」「どうして?」と苦悶するが語ることができず、さらに深い苦しみの淵に追いやられている。発言すると、原発を推進したい人びとや、復興の妨げになると考える人などからのバッシングにあったり陰口をたたかれ、さらに傷つけられる恐れがあるからだ。
「事実を知りたい」。2022年1月27日、事故当時6~16歳で、現在小児甲状腺がんとたたかう6人(その後1人が加わり7人に)が、東電を訴えた。 

意見陳述のあとの記者会見に臨む原告=写真右

奪われた未来の可能性に大きく羽ばたくはずの青春時代

 裁判では一人ひとりの声を聞いてほしいと、7人全員が法廷に立ち、意見陳述した。
 のちに結成した原告団の団長を務めるちひろさんは、事故当時、中学3年生だった。楽しみにしていた高校生活は、校庭に汚染土が入ったフレコンバッグが積まれ、被ばくを日々意識させられるものだった。部活もできず、屋外で遊ぶこともできない。
 それならと、テストで学年トップになったことを弾みにし、勉学に励むという目標を立てた。そして、志望する東京の大学に、晴れて合格。友だちがたくさんできて、充実した大学生活をスタートさせた矢先、体調不良と喉に違和感があり、福島県の県民健康調査を受ける。乳頭がんだった。
  「早急に手術をしなければ、全身に転移する可能性がある」。医者から告げられた。その帰り道、気が動転して車の運転ができなくなった母親の目は、真っ赤に腫れていた。
 大学3年の夏休み、がん摘出手術を受けた。「元の自分に戻れる」。そう期待したが、術後は体調を崩しやすくなり、体を気遣う注意深い生活を余儀なくされる。大学を卒業し、社会人になると、頻繁にある会社の飲み会やストレスで肺炎を起こし、1年半で会社を辞めざるを得なかった。
 どんな逆境下でも目標を見つけ、積極的に自力を磨いてきた彼女だが、甲状腺がんは希望の仕事に就くことを諦めさせ、やりたい仕事もわからなくなった。いまは体に負荷のかからない事務仕事をしていると言う。
 未来の可能性を追求しながら大きく羽ばたこうとする青春時代をがんに奪われ、自分に「自信がもてない。社会人6年目になるけれど、それに見合った能力がなく、何も成長できていないと感じる」と語る。【(中)に続く】

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