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『戦下のレシピ』と『すてきな奥さん』と。

7年前に買った『戦下のレシピ』(斎藤美奈子/岩波アクティブ文庫)。幾度も読み返していたらページが綴じ目から外れてばらばらになり始めてきた。
読むたび、人間の本質は変わらないと感じる。社会情勢が変化することにより境遇が変わると、人間自体が変わったように見えるだけ。

『戦下のレシピ』が資料として用いたのは戦時中の婦人雑誌3誌(『婦人之友』『主婦之友』『婦人倶楽部』)。紙面の文章や挿絵から読み取れる、家庭料理に表れた生き方。真摯で、ひたむきで、不平不満を言わず、与えられたもの・入手可能なもので工夫して努力する姿。贅沢はできなくても家族に心を込めた食事を食べさせたい、幸せな気持ちにさせたい。絶望的な窮乏状態にあってその努力は超人的だ。

1990年代の後半あたりだったか、『すてきな奥さん』という婦人雑誌があった。今もあるのだろうか?(調べてみたら、2014年頃に休刊し、後継雑誌の『CHANNTO』に引き継がれたのち、『CHANNTO』も休刊していて、『すてきな奥さん』の書名で年に1度、新春号だけは発刊されているらしい。付録の家計簿が人気だとか。)
底値ノートを作り、底値以外では買わない。
収入を用途ごとに袋に小分けして予算管理する『袋分け』。
週に1度のまとめ買い(予算5000円とか)で、その週いっぱいの食材を揃える。工夫で乗り切り、栄養のバランスが取れた食膳を調える。世帯収入が月額20万で、専業主婦・子どもが3人いても頭金を貯めて念願のマイホームを購入した。等。
社会現象と言えるくらいに読まれていたと思う。私も読んだ。

『戦下のレシピ』の取材源である婦人雑誌と『すてきな奥さん』は、そっくりだ。
戦時中に配給の玄米が少なくても、『炊きぶえ』:炊飯技術で増やすことができて、家族全員お腹いっぱい食べられる、という。米の絶対量が増やせるわけではないから、増えたように見えるだけではあるのだけれども。
「我が家からすっかりお米不足の悩みが解消しました」「お客さまにも大いばりでおすすめできます」…紹介文が魅力的なので、読む方としてはわくわくして、一瞬悩みが解決したような気がしてしまう。

ひたむきな姿。しかし、もしその健気な努力が利用されて結局当事者たちをもっともっと追い詰めていくとしたら…?
不平不満を口にすることを恥じて、黙って微笑んで努力する行動パターンが、それを美徳とする感性が、権力者や支配を目論む者に読まれて利用されるとしたら?

超人的なまでの努力や我慢は、美しいばかりではない。そのように生きない人や、能力的に同じレベルにできない人、自分よりも弱い人・だめな人だと判断したら冷たい目・厳しい目を向ける。「私ができるのに」「みんなこれくらいのこと、やっているのに」と。


置かれた場所で咲く。不平不満を言わず、植えられた場所で、精一杯に咲く。
常に心に留めている言葉だけれども、あまりに一心に一面的にこれを思い詰めると、考え方によっては危険な思考にもなり得る場合がある。

なおこさま。執筆なさった意図が、私が書いているこの記事とは相容れないものだったら申し訳ありません。
偶然拝読して、心に響いてしまったのです。記事を見失いたくなかったので、引用させていただきました。『刑務所のルールブック』、観てみようと思います。もし、なおこさまの執筆意図とあまりにもかけ離れた引用に使われて苦痛をお感じになるようなことがあったなら、コメントいただければ引用部分を削除しますのでお知らせくださいませ。今、4話の途中まで観ました。考えさせられることが多々あります。


木工作業に打ち込むこと。「あなたの本業じゃないでしょ」。

食糧不足に陥ったときには、命は生きようとあがくので昆虫でも食べるだろう。きっと、争って取り合ってでも。だからといって、今国家が自国の農業を大切にせず低い食糧自給率を高める政策を取らないことや、コオロギ粉末を学校給食に仕込んだり昆虫食の話題をことさら言い立てることには薄気味悪さを感じる。


スピリチュアルや自己啓発で言われがちな「他人は変えられない。自分を変えることはできる」「あなたが変われば、世界が変わる」
これも、深い真実ではありながら、危険でもある。
他人は自分ではないし、他人には他人の事情や都合があるから仕方がないと考えてある程度のところで割り切って自分にできる方策を考えることは生きるにおいて大切な技術だが。「あなたが変われば世界が変わる」となると信仰の域に入ってしまう。安直に肯定するわけにはいかない。

純粋すぎること、丸呑みしてそのことだけを一心に思い詰め過ぎることは、危険なことにもなりうる。
個人の生き方として健気で美しく、価値があるとしても。

知るべきこと・考えるべきことはさまざまある。

今、歴史に学ぶ必要をひしひしと感じている。一面ではなく多方面から俯瞰的に今を考えて生きるために不可欠であると感じる。

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