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人はどっからでも変わると思う

なんでもそうだと思うんだけど、
創意工夫って何か事象を起こしたときに起こるものだと思いました。

目の前に大きなラックがあります。

例えば、この目の前のラックについて考えてみる。これは僕が飽き性だからか、A型だからかわからないけど、とりあえず型を崩してみたくなる。  服の配置を変えたり、お気に入りの本をかざしたり、リードディフューザーを置いたりみたいな感じに原型をなくすように崩していく。何でもいい。

なんか昨日のままだとなんだか物足りなくて、だから、少し触ったり、動かしたり壊してみたりする。そうすると、これは微妙、これはありだなみたいに発見があり、手が動き続ける。基本的には元に戻らないことが多い。

というのも、変わらないことがすごい気持ち悪く感じるというか、どうせやるんだから、とりあえずは変わってくれないと困るみたいな感じになっていく。もしかしたら、変えてみておかしくなるより、変わらないことの方が気持ち悪く感じてしまうのかもしれない。

変わるって、変えるってなに。

まあなにを思ったかというと、変わることだったり、変えることって結構大きな枠組みで考えちゃうけど、実はそれって楽しくないというか、結局は動けなくて変わらないで終わってるってことは多いと思う。実に多いと思う。

もっと身近に、その「変わる潜在的なエッセンス」は転がってたりする気がしている。それってなんでもよくて、とりあえず型を崩してみること。そうすると、些細だけど発見があり、試行錯誤が生まれてくる。気分が新しくなって、思考も動き出す気がする。朝頑張ってベッドから起きて、さすがにそのまま寝に戻ることはないみたいに。動き始めたからには、自分の行動だろうが、それなりの責任感が伴うもんだと思う。これは避けられない。   セレンディピティもあるかもしれないしね。

社会人になってちょうど一年だけど。

時間も環境も着る服にも制限をかけられてしまっていて、色味がない、これが社会の溝かと痛感している。この3点の自由が効かなくなるだけで、創造性と主張性は欠落していくばかり。それでもって、その流れは止まらない。

だから、こまめに自分のペースを掴んで、思考を整理して、全体を見る時間が必要だと思うんです。それが戦略的とか合理的とかでは危なくて、そういうのは社会の枠組みに取って代えられてしまうから。

だから、とりあえず先ずはこの部屋を自分なりに、最大限カスタマイズしていきたいと思ってる。ユーモアでミタシタイ。内側から、溢れ出すように無駄なものをデトックスしていきたい。

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