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燻る炎と心の器

喜怒哀楽といった、誰もが持つの存在。

仏教では煩悩とも呼ばれ、これを無くすことが悟りにもつながると言われている。
何故なら、これによって人は争い、傷付き、苦しむからだ。

そんな心の痛みや苦悩は己を燃やし、擦り減り、いつしか我が身を焼き尽くしてしまうだろう。

しかし、私たちの心は、そんな感情の炎と共に、それを包む「」も備えている。
焼いて固める陶器のように、こころを燃やすことで育てられ、硬く頑丈になるだろう。

言いたいことを言いたいときにいわず、我慢出来るのが大人だ」という言葉をどこかで聞いた。

想いを焦がし、心を燃やしたからこそ得る器。
身を焼きかねない狂気の炎も、器を介せばぬくもりへ変わるだろう。

痛みを知ったからこそ優しくなれる」は、そういうことなのかも知れない。

ことあるごとに身を焼かれ、傷付き、苦しむ毎日。
もう想いのままにみんな焼き尽くしてやりたくなるけれど、そこをグッと堪えることで、器は育つ。

我慢は「無かったこと」にするんじゃない、未来の自分へ「贈る」努力だ。
綺麗ごとかも知れないけれど、そう想えば幾分か生きやすくなる気がする。

堪えた炎がいつか私を暖めてくれる

そう信じ、燻る炎を心に抱いて今日もゆく。

ありがとう、だいすき。