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R3.3.27 西教寺

丸亀市垂水町「西教寺」さまにて、春季永代経の御法話を務めさせて頂いた。

こちらではご住職より予め「詩や物語を引用したお話を」とのご要望を頂いていたので、昭和の大スター「植木等」さんを用いてのお取次ぎをさせて頂いた。

「戦後」という動乱の世を笑い飛ばして生き抜いたその姿から、人間が本当に大切にするべきこと、「私にしか出来ないこと」とは何か。

「わかっちゃいるけど、やめられない」

植木等といえば、不朽の名作「スーダラ節」である。

失敗や不満を軽快なリズムで笑い飛ばし一世を風靡した名曲だが、当初はこの曲を歌うことに植木自身は複雑な気持ちだったのだという。

生来真面目な気性であった植木は、この歌詞の不真面目さ、そしてコミックバンドとして売り出されることに抵抗を隠せなかった。

そんな悩みを、僧侶でもあった父に告げた。

最初は、こんな不真面目な歌を歌おうとしていることを怒られるのではないかとビクついていた植木だったが、実際に受けた言葉は予想だにしないものだった。

「素晴らしい歌だ」

ちょいと一杯のつもりで飲んで
いつの間にやらハシゴ酒
気が付きゃホームのベンチでごろ寝
これじゃ身体に良いわきゃないよ
わかっちゃいるけど、やめられない

ア ホレ スイスイ スーララッタ

そんな馬鹿らしい歌を厳格な父が肯定、どころか讃嘆した。
一体どういうことだ、意味が分からない。

その言葉に戸惑う植木へ、父はこう続けた。

この歌詞は、浄土真宗の開祖「親鸞聖人」の教えそのものである。
聖人は、その生涯において肉食・妻帯をはじめとした当時の僧侶における様々な禁忌を打ち破られた。
人類が生きている限り「わかっちゃいるけどやめられない」事柄と真摯に向き合い紡がれたのが真宗の教えだ。
この歌は、正にその心をあらわしている。
上出来だ、頑張ってこい!

その言葉を聞いて、植木はスーダラ節を歌うことを決意した。
そして、社会における様々な艱難辛苦を笑い飛ばす「無責任男」というキャラクターを責任を以てやり遂げた。

戦争や貧乏・犯罪といった人間が人間である以上、決して離れることの出来ない社会苦と戦う心を、その生き方を人々へ届けるために。

明らめる

真宗は、煩悩を無くすのではなく、抱えたままに生きる道を説く。

戦争において、人々は大きな傷を負った。
自分自身、大いに傷つき、大切な人や物も失ったことでしょう。

そんな出来事を、教訓として後世へ繋いでいく。

とてもつらい出来事だった。

だからこそ、後の世では起こらないように、起こさないように。
うらみつらみをぶつけたり無くすのではなく、抱えたままで生きていく。

その為の器を育てるのが、真宗の教え。

聞即信

「聞く」とは、自分以外の存在に出遇うこと。

自分とは違う道理で生きる者の存在に出遇い、受け入れる。
納得は出来ずとも、理解はする。

そうして、共に生きる存在、己の一部を少しずつ増やしていく。

相容れないものも相容れないままで。

そうして、共に「生きられる」ということを我が身を以て証明していく。

同じ世界で言葉を交わし、心を交わし、共に生きることは、今ここにいる私にしか出来ないことだから。

前に生まれん人は後を導き 後に生まれん人は前を訪え

「色々あったけど、大丈夫だよ」

先に生まれ生きた人の幸福は、後を行く者にとっての浄土に等しい。

社会に生きていると、眼前の不安や苦悩に捉われて「もうだめだ」と心折れそうになってしまう時もある。
けれど、社会はそんな苦しみを乗り越えて今日まで繋がれて来たこともまた事実。

先に生きる人の姿は、苦を「乗り越えられる」ことの証でもあるのだ。

そしてそれは、文明が発展し、社会がどれだけ変化しても変わらない。

「わかっちゃいるけど、やめられない」

人間が社会で生きる以上、人間同士の争いやそれによって起こる苦からは離れられない。

ならば、それを抱えた上で生きる為の教えを、笑い飛ばせるだけの大らかさを、在り方を、後世の人々にも繋いでいきましょう。

それが、何百年の時を経てお念仏に出遇った真宗門徒の歩み方なのかもしれません。

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南無阿弥陀仏


ありがとう、だいすき。