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片道切符 to Sapporo

10年前、39才。自分が関わってきた業務が札幌へ移転することとなり、薄々感じるところはあったものの仕事がなくなった。アルバイトの身ながら、次の業務も紹介するのは厳しいという。

当時はさしたる能力もないのに分不相応の給料を頂けていたために、切羽詰ってしまった。なので深い考えなく札幌へ異動を願い出た。

今までと同じ業界、業務で東京で仕事してきたという根拠のない自信がありうまく行くはずと思っていたがそんなことはなかった。結局仕事は人との繋がりがほとんど、多少知識があったりなかったりは大した事ではなく頑固でプライドばかり高い自分はまったくの孤独に陥った。

何より気分転換というか、自分を見つめなおしたいとき、原点に戻りたい時、それまでは生まれ育った町や昔働いていた町、母校のある町、行きつけの食べ物屋、本屋とか、そんなところを歩いてみて元気を取り戻した。

けども札幌ではそういうところがない。ある日、自分の中の充電が切れたようになってしまった。変なことを言ってしまうのだが、足元から土地のエネルギーというか、大地と繋がっている回路のようなものが自分の中にある。これは関東~関西あたりにいる分には問題がないのだが、沖縄とか札幌とか日本離れしているような土地にいると充電が途絶えてしまう。同じような感覚を持っている人はいないのだろうか。誰にも言った事はないが、そんなことを言う人も書いている人も見た事がない。

けどいい仕事をしよう、いい人生を歩んでいこうとかそういうことを思えるのはきちんとその充電がされている状況でのみなのだ。

そういう状況で上司とも友達とも関係が途絶えて孤立し、そんなだから仕事も振るわず給料は下がっていき、そうすると東京への往復もできずに困窮して行くという悪循環だった。

どこで生きていくってのは人生の大事なことだ。だから気軽に北海道に移住します、とか言っている人を見ると良くできるなあ、と思ってしまう。自分が環境を変えることに長けてないだけかとは思うのだが。

アウェー戦はつらい。特に今は成果がすべての時代。どんな経験を積んできたかより、とにかく勝つことだ。だからとにかくずるくたってホーム戦になんとか持ち込むしかない。

でもそんな風にみんななったら、あえて冒険して新しいものに挑んでやろうとか、新しい価値を作り出してやろうとかそんな気概はでてこないだろう。

そんなこと思ってみても、自分ひとりでどうなる物でもない。

結局北海道に行って残ったものは、そこに住んでないとなかなか見れないだろう、デジカメの画像データくらいだったなあ。女性に例えれば恋人ではなく妻として付き合った感じだったのかな。ずっと近くにいるとうんざりすることは多々あったが、離れてみるとそのかけがえのなさにうろたえる。見慣れているからこその美しさがあった。

懐かしく思うことはあるが、あの雪の中、冷たさの中しんしんと心を抉ってくるのは一貫した孤独感だった。今、関東のアパートに引きこもっているがあの締め付けるような冷たい感覚はまったく感じない。家族が居るとかそんなことではなくて、それは大地が自分に力を注ぎ込んでくれているからなんだろう。だからもうずっとここを離れないようにしよう。旅はいいけど、居所は持ったままにしておこう。もう旅はこりごりだ。この町の一部として多分死ぬことになるだろう。それが私には何より幸せなのです。

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