『SSSS.GRIDMAN』 感想 作品のメッセージを考えてみる

※※※ネタバレをがっつり含みます※※※
※※※考察というよりは感想です※※※

こんにちは,S軍曹です.SSSS.GRIDMAN 最終回『覚醒』を見ました.
あまりに無限の感想と感情を抱いてしまったため,徒然なるままに感想を述べたくなり今この記事を書いています.卒論は書いていません.
とりあえず言いたくなったことからつらつらと述べていくので,読みにくかったらごめんなさい.
ちなみに私は特撮のオタクではないので,そちらの面からのお話はありません.ご了承ください.

最終回のラストについて

衝撃的なラストだったと思います.ストーリーとしてはこういう感じで〆るのかなあくらいには思っていたのですが,あのラストの描写には舌を巻きました.実写で表現する,ここまで思い切った描写はあまりに秀逸です.
もちろんそれは,この作品が『電光超人グリッドマン』という特撮作品のオマージュであったことや,そも原作の円谷プロのポリシーにも起因しているでしょう.しかしただそれだけであったなら,アニメのオタクである私はこんなにも心を動かされていないのです.しかしてそのエッセンスは「アカネのいた世界って,僕らのいるこの現実だったの?」と思わせることにあったのではないでしょうか?
そも私のラストシーンの解釈としては,「自らの作り出した世界に閉じこもっていた新条アカネが目を”醒まし”,元いた自分の世界に戻ってきた」という意味だと捉えています.そしてそれはすなわち,アカネの呼称であった「神」とは, 我々のいるこの世界の「普通の人間」である,ということを示唆します.
とはいえこれはあくまで私の推測でしかありませんし,私は作品を見るとき,ぼかされた設定の正誤にあまり価値を感じません.大事なのは「そうなのかもしれない」と思えることだと私は思います.
では,アカネが「普通の人間」だったかもしれないという可能性を感じたことが一体どんな意味を持つのか,それを次に述べていきたいと思います.


「目を醒ませ 僕らの世界が何者かに侵略されてるぞ」

OxTは神 ──────────── 間違えました,アカネが神だとか普通の人間だとかそういう話をしているのでした.
少しふざけましたが,OPのあまりにキャッチーなこの歌詞にこそ,SSSS.GRIDMANという作品のメッセージがあったのではないかと私は考えています.
皆さんは最終回を踏まえ,この歌詞をどう捉えましたか?裕太や六花・内海ひいてはアカネに向かって,「世界」が「何者か(アレクシス)に侵略されてるぞ」と警告している,シンプルにそう捉えるのが普通でしょう.しかしアカネが「普通の人間」かもしれないという可能性によって,この歌詞が我々に向けたメッセージへとなりうると私は考えています.
新条アカネという「普通の人間」かもしれない存在が作り出した世界,その世界がアレクシスという「怪獣」を生み出す外敵に侵略されていく────これがそのまま,我々のことを示していると捉えることはできないでしょうか?

我々は我々の作る世界に生きています.ユリウス・カエサルという偉いオタクやデカルトという頭のいいオタクが遺した言葉のように,我々は我々の認知のもと世界を作っているのかもしれません(私は哲学に詳しいわけではないので,曖昧な引用だったらすみません).それゆえに,我々は認知や情動といったものにとても流されやすいものです.ひとたび絶望的な気分になると世界が終わったかのように感じることもあるでしょう.そうならないために我々は皆自らの作る世界,ひいては情動をうまくコントロールして生きています.
しかしそのコントロール能力は,外的なものですぐに機能が低下してしまうわけです.人間関係や社会的な責任,まわりからの圧力に,降り積もるタスク ──── それらによって芽生える負の感情は,その抑圧から解放(アブリアクション)されたとき,我々を良くない方向へ振り回します.そう,それはまさに怪獣のように.厳しい現実社会を生きる我々(特にオタク)は,その社会がひどく"退屈"に見えるときがあります.そしてときには異世界への転生を夢想し,ときには今ある現実から目を逸らします.

ゆえに,「目を醒ませ」なのではないでしょうか.夢想から目を醒まし,現実に立ち向かえと.いえ,見方を変えてみようと言っているのかもしれません.今自分がいるべき「世界」は,何者か ──── それは外的な負荷であるかもしれないし,逃げ出そうとする自分自身かもしれない,曇った色眼鏡かもしれない ──── に侵略されているぞ,と.「新条アカネは胡蝶の夢から醒めた,次に目を醒ますのは君だぞ」と,SSSS.GRIDMANという作品はそんなことを言っているのではないかと思う次第であります.


「定期入れ」と『Youthful Beutiful』

つまるところ『SSSS.GRIDMAN』とは,社会に疲れた大学生~社会人に向けて「あの頃のような」気持ちを取り戻してほしい,というメッセージを持った作品であるように感じました.

そして作品内においてその役割を果たした,つまり新条アカネの心を救ったのは「宝多六花」という存在であったと私は思います.グリッドマンはアレクシス・ケリブという不滅の外的(=消えることのない現実の憂い)を退け,六花の役割はアカネを現実に戻す「定期入れ」を渡しています.このとき六花は,二度とアカネがこの世界に戻ってこないよう最後のお願いをします(このシーンめちゃめちゃよかったですね......).六花はアカネを立ち直らせる最後の決め手としての役割を果たしたわけです.

この点で,六花から最後に渡された「定期入れ」は本当に様々な意味を持つように感じます.定期はいつもの場所へ行っていつもの場所へ帰ってくるものです.その意味で定期とは「繰り返す日常」を象徴するものではないでしょうか.つまり「定期入れ」は,その日常と常に寄り添うものであり,六花の最後の「いつも一緒ってこと」という発言の素晴らしいメタファーであると言えます.素晴らしい~.

同様に定期入れは,異なる時間と異なる空間をつなぐメディアでもあるように思います.
六花とアカネは同じバスで通学していたことが作品内の描写から分かります.つまり定期・定期入れとはこの二人の通学時間を思い起こすものであり,アカネが「神の世界」に戻ったとしても,それを使うたびに「六花たちの世界」を連想することのできる時間と空間を超えたメディアでもあるわけです.

最後に,「定期入れに入った定期」とは,青春そのものではないでしょうか?
EDテーマ,『Youthful Beautiful』はこう綴られています.

君につながれた一瞬はこんなにも
思い出せるよ 何があっても
「大丈夫」だと思えた

明日明後日 その先だって
追い続けた君は僕の光だった

少しずつだけど向かっている大丈夫
無機質の中でも確かに 息をしてる

伸ばす手の先の一瞬を感じたら
そこにいるんだろう?探してたんだよ
心の花を咲かせて いま......

Youthful_Connected

元の世界に戻ったアカネには,また辛いことが降りかかるのかもしれません.それでも,六花たちと過ごした時間を「定期入れ」を通じて思い出し,一歩一歩前へ進んでいくのだと思います.

私にも,そんな風に”あの頃”を思い出せる何かがあっただろうか────
この作品それ自体が,私に昔の気持ちを思い起こさせてくれる「定期入れ」でした.


最後に

『SSSS.GRIDMAN』は,一見すると特撮のオタクが喜ぶ要素満載の特撮アニメでありました.しかしその一方で,ヱヴァのパロディやきれいな伏線の回収・オタクに考えさせる設定など,アニメのオタクが大好きな要素が散りばめられていたと思います.

2018年が終わる今,平成という時代を終えようとする我々が何を思い,そんな我々に何を伝えるべきか ────

原点を思い出し,日常というベールを勢い剥がせ.
目を醒まして,”あの頃”の気持ちを思い出せ.
─── 君を ”退屈” から救いに来たんだ!

そんな力強いメッセージを込めた,2018年の最後にふさわしい作品だったと私は思います.

以上

雑記

・1話「覚・醒」で裕太が目を醒ます=>12話「覚醒」でアカネ(?)が目を醒ます,の対比いいよね
・裕太(グリッドマン)の目覚め=我々のアニメーション作品への没入,アカネの目覚め=我々のアニメーションからの帰還って感じでエモい

・六花はアカネにとってどんな存在なんでしょうね
・「本当の自己像」なのかなあとか思ったり
・自己が介入できない世界において,自己のエージェント(代理)的存在?
・アカネは「自分の代理なんだから,アカネ(理想の容姿をしている)を好きになるのは当たり前」という形で執着していたとか?

・それを好きになった裕太(=自己肯定感)だからこそグリッドマン(=心の免疫機能)が宿った?

・内海の11,12話の弱病みとかもアカネの心情を反映している表現だったりね

・アンチ君は否定する心の象徴で,否定する心はときに自己を成長させ(コピー),自己実現し,自己肯定(グリッドナイト)につながる的な?

・怪獣の中からむき出しの心が出てきたときのあの動きのきもさ,特撮を明らかに脱していてよかったですよね

・アレクシスが10話で言っていた「本当の人間は眠らないよ」ってやつは,「(アカネの言う)本当の人間は(そも本当の人間でないから)眠らないよ」ってことなのかなあ

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