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白いドレスに麦わら帽子の女の子:1981年フランスの夏

40年経ってもまだ脳裏に残る美しい記憶と後悔がある。

当時の手帳によれば、1981年8月5日のことだ。ナンシー (注1)での用務を終え、14:39発のSNCFの列車に乗った。1時間半ほど経って強烈な睡魔に襲われたが、列車がとある田舎駅(注2)に停車したとき眠気が一気に覚めた。

白いワンピースを着て麦わら帽子をかぶった一人の少女が、何もない田舎のホームで老人と並んで立っていた。列車が停止すると、祖父らしき老人は少女の頬に軽い口付けをして見送った。あたかも映画やドラマの一シーン、あるいはモネやルノアールの絵画を見ているようであった。

その白いドレスの少女は籠バッグ一つを持って、後方のドアから乗車し、なんと私の左横の窓側の座席に着席した。私は胸がときめいた。何か話しかけようと思ったが話題が見つからなかった。

そのうち車掌がチケットの検札にやってきた。チケットを手渡すと、車掌は私の顔を見て、「エトランジェ?」と聞いた。私は「ウイ」と答えた。その瞬間、私は少女の視線を感じた。

しかし、私は会話のキッカケにこのタイミングを利用することができなかった。列車は定刻18:02にパリ東駅に到着した。通路側の私は席を立ちながら、「オウルヴォワール」と小声で彼女にささやいた。彼女は微笑みを返した。

以下は1981年8月と2018年5月に鑑賞した、アリスティッド・マイヨールの「日傘をもつ娘」です。この絵画、現在はオルセー美術館に展示されています。しかし、1981年当時の展示がパリ市立近代美術館だったのか、ポンピドゥセンターだったか、ルーブル別館の印象派美術館 (Jeu de Paume)だったのかは定かではありません。

画像11981年8月(おそらくパリ市立近代美術館にて)

画像22018年5月(オルセー美術館にて)


当時なぜこの写真を撮ったのか。。。少女のイメージはかなり違うのですが、何となく「白いドレスと麦わら帽子の女の子」の残像があったのではないかと思います。

帰国後、何人かの友人や同僚にこの話をすると、「そりゃ、気の弱いあんたの勝手な妄想やろ!」。
いいえ!夢や幻では決してありません。間違いなく現実でした。

画像3上の画像は当時のパリで携帯していたSNCFのパンフレットの表紙内容はSNCFで行けるフランス各地の観光案内です。


ん??

「やっぱり夢見たんだろう」って? いやいや、私の見た光景とはまったく違いますよ。車中の「まどろみ」の夢ではありません。
絵画のように古風な装いでもなく、パンフレットのようにモダンでもなく、もっと清楚でした。

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注1)  パリの東280 km、ストラスブールの西110 km。当時はParis EstからTERで3時間強、現在はTGVで2時間弱。ナンシーはアールヌーヴォーの町として有名。スタニスラス広場は世界遺産。

画像4スタニスラス広場の金装飾の門とネプチューンの噴水 (1981)

画像5凱旋門 (1981)

画像6スタニスラス公の像が立つ広場 (1981)

画像7スタニスラス広場に面して立つオペラもしくはホテル (1981)


注2)  当時の時刻表から、白いドレスの少女が乗車した田舎駅は、Vitry-le-FrancoisかChalons-sur-Marneのどちらかと想像される。

画像8

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(お断り)1981年のイメージはネガフィルムをスキャナーでデジタル化したもので、画質不鮮明になっています。その点ご容赦ください。

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