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生活を送る


自分の食事や休息よりも仕事を優先しがちなため、「自分のご飯を3食作れる生活を送る」ことを指標にしている。

予定内の外食はいいのだけど、なんだか疲れて昼ごはんのおにぎりを準備できない日は、黄色信号だと思って生活を立て直すようにしている。


外食については、休日の昼ごはんのみ可能としている。
外食費は1人で月4,000円と決めていて、いいランチだと月に2回、安めのランチだと月3回か4回いけるかどうかというところ。


全国チェーンの外食を愛しているので、月に一回はミスドやらケンタッキーやらモスバーガーやら山岡家やらロイヤルホストやら回っているお寿司や牛丼を食べに行きたい。
けれど今はお金の優先順位的にその愛する外食チェーン店にお金をかけられないのだ…。

(なおわたしは「ミスドが食べたい、今日はミスドを買って帰ろう」と思った日に、自分で買わずともミスドがわたしの元にやってくる能力がある。
会社の人が差し入れをしてくれたり、家族が買ってきたり、家族の会社の人間が「かぷちさんにどうぞ」(存在は知られているが面識はないのになぜ?)、ミスドをくれたりする。わたしはその間誰にもミスドを食べたいとは一言も口に出していないのに、わたしが本気でミスドを買おうとした日にプレゼントはやってくる。)

ラッキーもふんわりとあり、わりと楽しく生活ができている。

極力買わない生活

過去のわたしは、飽きっぽい性格に加えて、ストレスいっぱいな現状を打破するべくコンビニでちょっとしたお菓子を買い、ネットショッピングをする毎日だった。

化粧水や日焼け止めなども使い切らずに新しいものを買っては途中で放り出していた。
途中で放り出す自分も嫌だったのに、ショッピングをしないことにはどうにも体も心も動かない自分が嫌だった。

ストレスが減ってから片付けを始めて、たくさんの未開封のハンドクリームに苦笑いするも、「(しめしめ、しばらくハンドクリームは買わなくていいぞ!)」と、財宝を見つけた感覚になった。もちろん出てきたのはハンドクリームだけではない。大量の未開封の下着にタオル、ノート類。

今は、極力買わない、と決めて、過去の自分のストックを消費期限に気をつけながら、使い切る生活をしている。
使い切る生活をすると、とても清々しい。
捨てるよりもまず使い切る。

可愛いマグカップを見つけても、まだ家にあるマグカップを飽きるまで使い倒していないと思うので買わない。

新しいものを買う楽しさも知っているけれど、「今あるものを使い倒す(味わいつくす)」という、自分だけにわかる楽しさにやっと気づく。


家計簿を絵で描く

買わない生活を心がけているけれど、全てを自給自足している訳ではないので日々何かを買って生活を送っている。

家計簿の数字だけ見ていると「こんなに使ってしまった!」と嫌気がさして、楽しくない家計管理になっていた。

数字に注目してしまうので、買ったものを絵にして残している。
絵に残すと(暇を疑われるが)、たしかに必要だよね!とか、計画的に購入してて偉い!とか、映画観に行ったよね〜楽しかった!となるのでとても良かった。
絵に残したいものしか買いたくないな、と思う。絵に残せるのは、きっと愛があるからなんだな。
絵に残せる、愛のある買い物をしていきたいところ。

ストレスとはどこからやってくる?

そんな生活を送っていて最初は穏やかに過ごしていたのに、だんだんと他人にイライラを感じるようになってしまった。

SNSで(どなたが発信されたものだろうか…わからなくて申し訳ないのだが)「誰かにイラッとしたのならば、その人や物事に依存し過ぎているのかもしれない」というものを見た。

「あの人ならこうしてくれるだろう」
「普通お客さんならこうしてくれるだろう」
「待ち合わせに遅れないように準備するだろう」
「約束は守るだろう(忘れていないはずだ)」
「歩行者優先だからわたしが優先だ」

みたいな期待感や思い込みや社会通念などが知らず知らずに蓄積されていて、自分の思う通りの行動をしてくれないとイライラしていたのかもしれない。
社会のルールも中にはあるけど、もしかしたら外国の人で日本の暗黙のルールを知らないだけかもしれないのに、だ。


イライラするのは相性の問題なのか??とも考えたけど、わたしが相手に過剰に期待をしていたなと気づいた。
「(自分がやっているのだから)あなたもやってくれて当然」「わたしの生活範囲に入ってこないで」というのが根本にあることに気づいた。

それからイラッとすることがあったら、まず内省をするようにした。
何かコミュニケーションで齟齬が生まれていることが原因だとしたなら、伝え方を変えて共通の認識を持てるようにする。
失礼なことを言われたなら、時間差でも「さっきのはどういう意味?」と聞き、それを言えない相手なら距離をおくこととしている。どうせそういう人はトラブルの元凶となるだろうから早めに対処する。

ストレスと思っていたイライラはほとんど幻だった。ストレスとは受け取り方でずいぶん変わってくるものだ。
イラッとしたとき、わたしは「これはわたしの勝手な依存心(或いは傲慢さ)に気づくチャンスかもしれない」と思ってニヤリとする。

イラッとしてはいけないということではなくて、考えの凝り固まった自分や新しい自分に出会うのは楽しいし、自分とは全く違う考えを持つ人間がいるということも楽しい。

ストレスは外からやってくるものだと思っていたけど、自ら生み出していたストレスもあった。自分の受け取り方でストレスは増減するし、本当にやばい人からは全力で逃げるようにするのが大事なのだなと学ぶ。


そんな感じで生活を送っている。


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