【あなたの死をもって、私の人生が輝いた】先輩が亡くなった。
こんにちは、こんばんは、まにょです。
皆様あけましておめでとうございます。
年末の挨拶もせず、新年の挨拶も遅れてしまって申し訳ありません。
年末年始は仕事納めや帰省等でバタバタとしており、今日に至ってしまいました。
突然ですが、以下、書き殴りのような文章になるかと思います。
じっくりじっくり記事を精査したいのだけれど、
この心の赴くままに書く言葉達が、
今の、そしてこれからの私にとって必要な言葉になる気がして。
なので、この記事はまにょ自身に向けた記事だと思って、広い心で読んでいただけると幸いです。新年1記事目なのに、自己中心的で申し訳ありません。
年末、ショッキングな事実を知った。
12月に、以前勤めていた会社の先輩が亡くなったと。
その方はまだ40代の女性だった。(以下Kさんとお呼びさせていただきます)
小動物のような愛おしさをもった女性。
小柄で、声も小さくて、ご飯をはむはむと食べて。
人の悪口は言わず、淡々と、黙々と仕事をこなすKさん。
ミスはほとんどなく、その仕事ぶりで社長も一目置く存在だった。
そんなにたくさん笑うタイプではなかったから、Kさんが笑うとこっちまで嬉しくなってしまう。笑わせたいなと思わせるような女性。
「Kさんに笑ってもらえると嬉しくなるから、最近その人をいかに笑わせるかを個人的なミッションにしてます!!」と仲良しの先輩に話してしまうほど、Kさんが笑うと私は嬉しかった。
去年の夏の甲子園の際には、息子の同級生が出てるから応援してるんだ〜最後だから頑張ってほしいと言って、珍しく業務中にテレビの方の目を向けるKさん。その目は笑っていた。
私が新居の冷蔵庫のサイズに悩んでいると、翌日、「うちの大きさは500Lだったよ、4人でもなんとかなってるよ。」だなんて言って、わざわざ自宅の冷蔵庫の容量を見てきてくれてアドバイスをしてくれた。
そんなに飲み会とかは好きじゃなさそうだなぁ勝手に思っていたもんだから、私の送別会に来てくれたときは本当に嬉しくて。その日はいつもの何倍も笑わせて、「してやったり」なんて勝手に誇らしく思っていたあの日。
それがまだ去年の5月だというのに。
8月頃に体調を崩し、
精密検査をした結果、ガンが発覚。それが10月のこと。
状況を調べるために開腹手術を行ったところ、
すでにガンは手の施しようの無い状態。
それが11月のこと。
そして、12月に逝ってしまった。
5月に、か細い高い声でくすくすと笑っていた可愛らしいKさんは、ものの半年であっという間に天国へと旅立ってしまった。
こんな人だ、あんな人だと話したいのに、
こんな人だった、あんな人だったと、
すべて過去形で話す今この状況を、私自身まだ受け止めきれていない。
受け止めきれていないというより、現実味が湧かない。
息子さん何歳だっけ?
甲子園のとき息子さんのお友達、これで最後って言ってたよね?てことは受験生なんじゃないの息子さん?
娘さんもいたよね?まだ中学生じゃなかったっけ?
あれ、Kさんがいないとあの店舗どうなっちゃうの?Kさんがいないって相当の痛手じゃない?
いやそんなことよりKさんの・・・Kさんのご家族・・・・こんな・・・・・・こんな半年で急にこの世からお母さんがいなくなるなんて・・・・・・奥さんがいなくなるなんて・・・・・・どうやって受け止めてるんやろう・・・・・・いや受け止められてないかもしれない・・・・・・
頭にはKさんの笑う顔と、
見てもいないKさんの遺影やお骨が家に飾られている様子が頭に浮かんだ。
信じられない。
あんな、あんなに当たり前のように存在していたKさんが。
もうこの世にいないだなんて。
「死」自体に意味なんてないのだと思う。
Kさん自身が神様から与えられた寿命を全うし、その日を迎えた。ただそれだけ。
でもその死の意味を考えてしまうのは、
その死に意味がなければ、残された私達があまりに辛いから。悲しいから。
なんとかその死に意味を見出して、命の尊さ、今を生きる輝かしさを学びとって、そうして生きていかないと、Kさんが生きた意味・出会った意味・亡くなった意味がなくなってしまう。
私なりの、必死の弔いなのだ。
自分の情けなさに、脱力してしまう。
「当たり前のことは当たり前じゃない」
こんな大事なことを、右から左に受け流しながら過ごしていた毎日。
Kさんが亡くなってやっと、立ち止まって、当たり前の尊さに気づく。
Kさんの死がなければ、立ち止まることもなくまた右から左へと当たり前の奇跡を受け流し、きっと、自分の当たり前がなくなったときに後悔をするのだろう。
人の死をもってしてやっと、こんな当たり前のことに目を向ける自分がいやになってくる。
私のすぐ隣には死がゆらいでいる。
夫のすぐ隣にも、両親のすぐ隣にも。
いずれ必ず迎える死。いつやってくるかわからない死。
今回の年始の地震のような形で襲うこともあれば、
「天寿を全うする」と言わしめる、ゆっくりとした穏やかな形で死に包まれることもある。
愛おしい夫に、
大切な両親に、
会いたい友人に、
いつその死が襲いかかってくるのかわからない。
それなのに私は、
夫の話をないがしろに受け流したり、
両親への電話を後回しにしたり、
いつか会えるだろうと言い訳をして友人に会いに行きもしない。
当たり前の奇跡を空気のように扱うまだまだ未熟な私。
Kさんが亡くなって、悲しいことに、
私の人生はより輝いた。
夫が今日もおはようと起きてくる。
行ってらっしゃいとお見送りができる。
夫が帰ってくる。
夫と眠りにつく。
両親へ電話をすると、「はーい」と陽気な声が帰ってくる。
友人がインスタでストーリーをあげている。
昨日買った花が生き生きと背筋を伸ばしている。
蕾が咲いている。葉がひらいている。それに気づく。
私が生きていなければ気づかないこと。
みんなが生きていなければこの現実は存在しないこと。
私の今は、みんなの存在のもとで輝いている。
私の幸せは、みんなの存在のもとで花開いている。
こんな当たり前のことにやっとこさ目を向けた私の人生は、なにもかもが目新しく、新鮮で、愛おしく、暖かい。
私にとって人生が輝くとは、こういうことだ。
まるで私が一生懸命に幸せを探しているかのように生きていたけれど、一生懸命なのは周りのほうだ。
みんな懸命に生きている。
雨のように、それはそれは土砂降り、嵐のように降り注ぐ雨を見上げて、なにを一生懸命に雨を探しているというのか。
全身びしょぬれで、目も開けれぬほどの降り注ぐ雨の恵みに気づくこともなく。
自分がほしいものが手に入らないからといって、
もっとほしい、もっと幸せがほしいと、もっと雨をふらせてほしいと言う私が、どれだけ滑稽で未熟なのか。未熟という言葉ではたりない、未熟のもっともっと下。最下層。地の底。
今私には、幸せの雨が降り注いでいる。
私ができた人間でも、なにかをなしとげた人間でもないにも関わらず、
無条件の愛が降り注がれている。
私はこの無条件の愛を受け取るにとてもふさわしいとは思えないけれど、
ふさわしい人間に一歩でも二歩でも、
いいや1ミリでもいいから、
毎日毎日少しずつ近づいていかなければいけない。
少しずつ花を開かせなければいけない。
受け取った恩は返さないといけない。
今、今私ができること。
こんな、まだまだ未熟にも満たない私からの気持ちが、
こんな人の死をもってやっと今の輝きに気づく愚かな私が、
こんなことをして意味があるのかとさえ思ってしまうのだけれども。
母に電話をする。
母は笑う。
父に電話をする。
父も笑う。
夫とゆっくりと話し合う。
心の緊張が和らぐ。
会いたい友人に連絡しよう。
会える今こそ会おう。
次のディズニー旅行の予定をしっかりたてよう。
みんなが楽しんでもらえるといいな。
今回の地震の募金をしよう。
ほんの少しでも誰かの、なにかの傷を癒す手助けになればそれでいい。
祈りを捧げよう。
少しでもみんなに、たくさんの幸せが降り注ぎますように。
誰かのために生きる。
誰かのために祈る。
今日が当たり前じゃない。
今日は奇跡が積もり積もった奇跡よりも奇跡に近いもの。
あまりにもキラキラと輝く、
愛おしくて涙が溢れる、
そんな当たり前の今日。
Kさんの死を境に、
私の人生は輝いた。
あなたは亡くなっても尚、生きている。輝きをはなって。
私が私の人生を輝かせ続けることで、
あなたは輝きとして生き続ける。
ありがとうございました。
まにょ。
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