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源氏物語とは何?

こんにちは!
よろづの言の葉を愛する古典Vtuber、よろづ萩葉です。
今回お話しするのは源氏物語
名前はほとんどの方が聞いたことはあるかと思いますが、
その内容や、どんな状況下で書かれたものなのか、ということは
あまり知られていないように思います。
そこで今回は、源氏物語とは一体どんなものなのか、そしてその作者や背景について、深掘りしていきたいと思います。


源氏物語の概要

源氏物語は、平安時代中期に書かれた恋愛小説です。
作者は紫式部
モデルとなった人や出来事はありますが、フィクションです。

源氏物語は正しくは「源氏の物語」と呼ばれます。

「源氏」と言われると平清盛たち平家と戦った源頼朝や義経といった人たちを思い浮かべるかもしれませんが、源氏物語とは全く関係がありません。

源氏物語には、主人公の光源氏とヒロインたちの様々な恋が描かれています。
藤壺の宮、葵の上、六条御息所、夕顔、紫の上…聞いたことのあるヒロインもいるでしょうか?

フィクションではありますが、宮中の様子が細かく描かれているのでその時代を知るための資料としても用いられます。
光源氏の恋愛が話の中心ですが、当時の政治背景が強く反映されているんです。
宮中の人々に取材をしながら書かれたのではないかと考えられています。

構成

源氏物語は全部で54帖あり、70年近い時間のお話になります。

「桐壺」から「幻」までが、光源氏のお話。
「匂宮」以降は光源氏の息子、薫のお話になります。
「雲隠」という巻が「幻」と「匂宮」の間にあったとされていますが、
巻名だけ残っていて本文はありません。
消失してしまったのか、初めからなかったのか…源氏物語の謎の一つです。
もしかしたら光源氏の死について書かれていたのかもしれません。
あるいは、主人公の最期を敢えて書かなかったのかもしれません。

さらに「橋姫」から「夢浮橋」までは舞台が宮中から宇治に移るため、宇治十帖と呼ばれます。
宇治十帖はそれまでの巻と文章の特徴が異なっているんです。
紫式部が出家後に書いたのか、それとも他の人が書いたのか…
娘が書いたのでは?という話もあったりしますが、これも謎に包まれています。

全54帖で、登場人物はなんと430人前後
ほとんどが架空の人物ですが、中にはモデルがいる人もいます。

光源氏のモデル

たとえば主人公の光源氏のモデルと言われているのは、源融と源高明
源融は嵯峨天皇の子で、源高明は醍醐天皇の子でした。
「源氏」とは、天皇の子でありながら臣籍に下り「源氏」の姓を与えられた皇子のことで、母親の身分が低いために親王になれなかった人です。
光源氏と似た境遇だったこともあり、この2人がモデルとして挙げられています。
他にも、平安時代いちの色好みと言われる在原業平や、
紫式部の雇い主であり時の権力者・藤原道長もモデルの1人ではないかと言われています。

源氏物語の魅力

登場人物の詠んだ和歌が800首近く登場します。
それぞれのキャラクターが詠んだ和歌として、そのキャラクターらしい和歌になっていることが源氏物語の魅力の一つです。
心理描写も細かくて、本当にその人物が実在しているかのように描かれているんです。

この時代の物語といえば「昔」や「今は昔」から始まり、いかにも架空のお話、という感じのものばかりでした。
そんな中で、源氏物語は「いづれの御時にか」…どの天皇の時代であったか、と現実に起きたことを語るかのような口ぶりで始まります。
とある女房が宮中で見聞きしたことを話している、という形で物語が綴られているんです。
これは当時の物語としては珍しいものでした。
創作だけど、なんだかリアリティがありますよね。

作者と制作背景

紫式部の障害について詳しくはこちらの記事で紹介しています。


作者の紫式部は、自身の日記や歌集に身の回りで起こったことを多く記しています。
そのおかげで1000年経った現代でも当時の状況を知ることができるんです。

紫式部は受領階級の父を持ち、若い頃は父の赴任先である越前国で過ごしました。
受領階級というのは中央から派遣されて地方へ赴く中級貴族です。
父・藤原為時は漢学者で、弟が勉強をする横で紫式部も自然と知識を身につけていきました。

執筆理由

越前国へついていったために婚期を逃してしまった紫式部でしたが、親子ほど歳の離れた藤原宣孝と結婚をし、1人の娘・賢子を産みます。
幸せな時間も長くは続かず、結婚後数年で宣孝は亡くなってしまい紫式部は生きる希望を失っていました。
でも娘のために自分は生きなくてはならない。

そんな時に書き始めたのが、源氏物語でした。
元々物語が好きだったこともあり、物語の世界に生きる希望を見出したようです。

書かれた順番

54帖という超大作ですが、
はじめは「箒木」「空蝉」「夕顔」の三部作だった、というのが有力な説です。
光源氏や頭中将を含めた男性四人が集まって女性の品評をする「雨夜の品定め」から書かれた、というものです。
さらに初めに登場するヒロイン・空蝉は紫式部自身をモデルにしているとも言われています。

他にも、大津市の石山寺に参籠した際に書かれた「須磨」「明石」が源氏物語の始まりだったという説もあります。

源氏物語が注目される

趣味で書き始めた短編小説でしたが、評判が評判を呼び、光源氏の誕生を描く「桐壺」が書かれて長編小説へと変わっていったのです。

そしてついに時の権力者である藤原道長・源倫子夫婦の目に止まりました。
この夫婦の娘は、一条天皇の中宮・彰子です。
文才のある女性を彰子の女房として雇いたいと考えていた道長は、紫式部をスカウトします。
紫式部は彰子のもとで働くことになりました。

彰子の家庭教師になる

この時代、女性は漢文の勉強をしないほうが良いとされていたのですが、
紫式部は漢文の知識が身についていました。
宮中ではその知識を隠して生活していたのですが、源氏物語には漢詩のネタが散りばめられているんです。
彰子の愛読書だった源氏物語を一条天皇が読んだ際、「紫式部は漢文の素養がある」と評価したそうです。
漢文の勉強に熱心に取り組んでいた一条天皇のその言葉で、彰子は紫式部に漢学の家庭教師を依頼することになります。
彰子は一条天皇と共通の話題を楽しみたかったんですね。
源氏物語はこの夫婦の仲を取り持つという役割を担ったんです。

それを知った彰子の両親、道長と倫子は、紫式部のパトロンとなって執筆活動を後押しします。
当時、紙はとても高価なものだったので、金銭的な支援がなければ書き続けるのも難しかったんです。
元々趣味だった源氏物語の執筆は、こうして紫式部の仕事となっていきました。

源氏物語の立場

当時の物語はひらがなで書かれるのが普通でした。
源氏物語もひらがなで書かれています。
同じようにひらがなで書かれていた日記や和歌集と比べると「物語」というジャンルは地位の低いものでした。
漢字を読めない女性が娯楽として楽しむものとされていて、所詮は作り物…という扱いだったんです。
でも源氏物語は物語でありながら、男性貴族、さらには天皇までが読んでいたのです。

公任とのエピソード

紫式部日記にはこんな話があります。

詩・歌・管弦のすべてに優れていると言われた藤原公任が、
「あなかしこ、このわたりに、若紫やさぶらふ」…「このあたりに若紫はいる?」と紫式部に声をかけたのです。
若紫とは源氏物語のヒロインの名前で、公任が源氏物語を知っていたことがわかります。
紫式部はそんな公任に対して「光源氏もいないのに若紫がいるわけないでしょ」と心の中で呟いたようで、さすが紫式部だなといった感じですが、その日が​​1008年の11月1日だったことが日記の記述からわかります。
源氏の物語についての初めての記事であることから、この11月1日は古典の日とされています。

源氏物語の原本

源氏物語は1000年以上も前に書かれたもので、残念ながら原本は残っていません。
この時代は印刷技術なんてないので、回し読みか、写本をして読んでいました。
おそらく、書いていた時すでに原本がどこにあるのか紫式部自身も把握できていなかったのではないかと考えられます。

菅原孝標女によって書かれた更級日記には、源氏の物語をどうしても読みたいと願い続けてようやく手に入れた時の喜びが記されています。
それだけ、読みたい本を読むことは難しかったんです。

ちなみに現存する最古の写本は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて活躍した歌人・藤原定家によるものです。
定家は古典の写本に力を入れていました。
彼のおかげで現代まで残っている古典がたくさんあるんですよ。

あらすじ

源氏物語は光源氏と数々のヒロインたちとの恋物語です。
1巻「桐壺」では、光源氏のお母さんの話が描かれます。

ある帝の後宮には、女御や更衣が大勢いました。
この時代の帝の結婚は恋愛結婚ではなく、完全に政略結婚でした。
女御や更衣たちは家族を背負って嫁ぎます。
そして帝は、権力者の娘を正妻にするか、あるいは何人かの女御たちと平等に接することが求められていたんです。

それなのに、そんな常識を無視して帝は後ろ盾のない桐壺の更衣だけを溺愛しました。
そんな2人の間に美しい皇子が生まれますが、帝には、それより前から後宮にいて権力者の娘でもある弘徽殿女御との間に長男がいました。
この長男を差し置いて桐壺の更衣との子を東宮にするつもりなのではないか、と弘徽殿女御は気が気ではありません。
桐壺の更衣は女御や更衣たちからいじめられ、やがて亡くなります。
争いを避けるため、帝は桐壺の更衣との子どもに源氏の姓を与えて臣籍に降下させます。
その子どものことを人々は「光る君」と呼びました。
これが物語の主人公、光源氏です。

その後、帝の元に桐壺の更衣にそっくりな若い女性・藤壺の宮が入内します。
母親代わりとして光源氏は藤壺の宮に懐きますが、2人はたった5歳しか違わず、次第に源氏は彼女に惹かれていきます。
父親の妻を好きになってしまうという禁断の恋が始まるんです。

やがて葵の上という女性が光源氏の正妻となりますが、彼女は元々、東宮の妃になるために育てられていたためプライドが高く、夫婦仲は良くありませんでした。
光源氏は運命の相手を見つけるために、いろんな女性たちと恋をしていくことになるんです。
帝の子でありながら親王になれなかった光源氏の政治的な戦いも、物語の魅力の一つです。

国宝 源氏物語絵巻

では最後に、国宝の源氏物語絵巻についてもお話ししましょう。
源氏物語を絵画にした源氏絵はいくつもありますが、その中でも現存する最古の源氏物語絵巻は国宝に指定されています。
これは平安時代後期に描かれたものです。
紫式部によって源氏物語が書かれてから約150年後のことです。

54帖それぞれから3場面ずつ選び、絵と詞書(本文)を交互に並べたもので、全部で10巻の絵巻物だったのではないかと考えられています。
現在は全体の約4分の1が残っていて、巻数にすると4巻分になります。
そのうち尾張徳川家伝来の3巻分が愛知の徳川美術館に(蓬生・関屋・絵合・柏木・横笛・竹河・橋姫・早蕨・宿木・東屋)、
阿波国の蜂須賀家に伝来した1巻分が東京の五島美術館に所蔵されています(鈴虫・夕霧・御法)。
また、東京国立博物館所蔵の「若紫」はその断簡であるという説もあります。
作者は明らかになっていませんが、絵画部分を描いたのは藤原隆能(たかよし)ではないかと言われています。

昭和7年に保存のため詞書と絵を離し、巻物の状態から額面装へと姿を変えていましたが、平成28年から令和2年にかけて、徳川美術館所蔵の源氏物語絵巻は巻子装へと改装されました。
徳川美術館の源氏物語絵巻について詳しくはこちらの動画をご覧ください。

その後も源氏絵は様々な絵師によって描かれ続け、江戸時代にはかなり多くの源氏絵が生まれました。
源氏物語が時代を超えて愛され続けていることがよくわかりますね。


源氏物語についてお話ししましたが、いかがでしたか?
読んでみたいけど原文は難しい…という方は、
現代語訳や漫画もたくさん出ていますのでそちらから入ってみるのも良いと思います。
自分に合った方法で、源氏物語を楽しんでみてはいかがでしょう?

ご覧いただきありがとうございました🖌️

動画で解説


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