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2年ぶりのフィレンツェ

イタリアに2年ぶりに戻ってきた。
あの頃は、このままイタリアに住んで、いい人に出会って国際結婚して、、、なんて考えて、週6で制作缶詰と、当たり前の生活リズムを大切にすることを続けていた。

ひょんなやりとりから日本にいる主人と仲良くなって、1人も彼氏がいたことがなかった私に唐突に遠距離の彼氏ができ、そしてイタリアの急なコロナ蔓延で日本にいる彼の家に逃げ込み、そのまま結婚まですることになった。
そして、今、一緒にフィレンツェに一時的に戻ってきている。
人生どう転ぶかわからないことを身をもって思い知る。


フィレンツェにいた頃は、ここで生きていくくらい頑張るぞ!と色々切り詰めていたし、強くいよう!と自分を律しているような気持ちでいた。
それが今では、家のある子になれた安心感というか、不思議な自分でフィレンツェにひょこんと立っていた。

ここは変わらず時が流れているし、街を歩くとイタリア語の大きな声が飛び交っているし、すごく狭い街なのに、凄く心地いい。

例えば東京に住んでいる時、五感に飛び込んでくる情報が1日の中で100あるとして、気持ち良い情報は50くらい。
フィレンツェにいると気持ち良い情報が80くらい。100に近い時も結構ある。

多分歩いてる人の楽しそうさだったり、街が素敵な景色だったり、川が綺麗だったり、流れる音楽が心地良かったりするからなんだけど、やっぱり1番は人。
みんな楽しそうだし、ここで生きているよって顔をしてるというか、流れる日常時間の中でそれぞれの人がちゃんと主人公で生きてる感じがある。

主人公っていう例えで言いたいのは、自分の人生を不特定多数の人に認めて欲しいとかではないってこと。
周りの人とか家族とか、カフェの人とか毎朝通る散歩の知り合いとか、ちゃんと生きてる世界の主人公というのかな?
上手く言葉にするのが難しい。

東京でそれを感じることが少ないのはなんでか?、とか、それが悪いことかはわからない。

日本で結婚もしたし、多分、結構しばらくはフィレンツェに来れないと思うけど、また暮らすように、来れたらな、いや来るぞ!

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