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大人になってASDってわかって、愛の視点をもてた話

こんばんは。
私は25歳になって、ようやく自分がADHDとASDという発達障害をもっていた、と東京ブレインクリニックで判明した女です。

東京ブレインクリニックでは、QEEG検査という脳波検査を行っていて、自分の脳の状態がサーモグラフィーのような絵で可視化される。
それによって、自分の脳みそにどんな特性があるのかがわかるらしい。


障害にきづいた

私の脳波はこんなかんじ

私の場合は、「ADHDとASDの傾向、脳のオーバーワーク気味」という診断だった。ほかにも、脳のある部分が赤くなりすぎてると鬱の傾向があるとか、文字が読みづらいなどの学習障害があるとか、パーソナリティー障害の傾向があるとか、様々な診断が可能だそう。

いや~~自分にこんな特性があるなんて、いままで気が付かなかったよ~~!でもすごくすごくしっくりきて、腑に落ちて、「なんかうまくいかない自分」を、やっと受け入れられた感覚がした。

もともと私は無口な方だった。表情もあまり出ないタイプ。外から見ても「内向的な性格の子なのかな」とだけ思われていたらしい。

 また、IQは高かった。幼稚園の頃から漢字を読めたり、九九がわかったり。記憶力もよくて、運動以外は大体何でもできた。
(運動だけは全くできなくて、足の遅さも体力テストも学年最下位だった!)
 大学生の頃も、なんかPCの大会で表彰されたりとか。企業インターンで優勝も何回かしたし、学生時代優秀ですねと言われることも多くて、勉強には全く問題なかったので、発達障害、と疑われることがなかった。

大学生の頃に受けたWAISの検査結果。
あとちょっとでMENSAいけるかもしれない、いつか再チャレンジしよう、とか思っている。


でも、確かにいままで漠然とした生きづらさ、は感じていた。
悲しいことに、人とのかかわり方が、あまりわからんのだった。
人と一緒に過ごす楽しさ、というのがいまいちわからなくて、孤独感というか、モヤモヤ感、はずっと抱えていた。

社会人になるとやっぱり困った。ひとりでなにかに取り組む分には全く問題ないのだが、仕事となると、必ず誰かと協力して進める必要がある。

ASDは、自閉症スペクトラムという名前の通り、たったひとりで閉じた世界に生きている感覚がある。
 私は、自分の感じていることについて、発言して人に伝えるのが苦手だった(より本質的には伝える意味が分かってなかった)し、「人に聞く」とか「相談」というものの意味がわからなかった。

 社会人になって、相談や共有は積極的にしてくださいね~と教えられた。「よくわからないけど、それが必要なのか」と素直にとらえ、2,5,8割のタイミングで共有や相談をするようにはする。ただし、内心、相談の必要性がわからず、人からのアドバイス=自分の存在の拒否、くらいにまでとらえたりしていて、不安感や緊張感が半端なかった。
 作業の不明点があったときに、「人に聞く」ことの意味も、分からなかった。Googleスプレッドシートの使い方でわからないことがあったときなんて、Googleで検索した方が絶対早いでしょ。

 当時の私は、「相談する」「人に聞く」ことで生まれる、人と人とのつながり、連帯感、心理的負担の軽減、というメリットの視点がなかった。ASDは、周りの人=味方ではなく、周りの人=自分の外部の存在(他人、意味不明な敵)、とみなしやすいようだ。

 
その視点がなかったからこそ、私はひとりでなんでもやろうとする優秀な人、と映っていたのだが、内心緊張ばかりで仕事をしてたことは否めない。自分も周りもその特性がわかっていなかったこともあり、当時週5で働くことは、あまりにストレスだった。

 対人関係については小学生のころからずっと悩んでいて、自分は愛着障害なのかなとか、社交不安障害なのかなとか、すごくすごく悩んで、自分一人で研究していたのだけれど、ASDというフレームは初めてで、でもとても腑に落ちて、気が楽になった。

あー、普通の人は、人との連帯感とか、つながりというもの、人への相談の必要性、それが暗黙知として共有されているのだろう、なんてあたたかな世界なんだ、と、ちょっと思えたのだった。

とらえかた

自分がASDだったんだ、とわかり受け入れられたとき、
自分一人で生きて戦っていた感覚はやわらいだ。
「相談」「人に聞く」ことの温かみ、人のありがたさ、というのを最近学んで、なんだ、意外と周りの人ってあたたかいんだ、ということを学んだ。

自閉症の閉じた世界から、外へ関心が向いた。
ブレインクリニックでTMS治療を受けていることも、その変化に貢献しているかもしれない。

たったひとり、世界から切り離されていたあの独特の感覚は、ASDの脳の特性によるもので、実際はそうでない世界がある、そういう愛のかかわりができるんだ、という希望としてとらえている。

 割とポジティブにとらえているのには、私自身、魂の使命とか、運命思考が強いのはあるかもしれない。
この障害も、個性も、きっと自分が生まれる前に、「この地球でこんな体験がしたいから」と決めてきたものなのかなと。そう受け入れている。

 そもそも、人はロボットではないのだから、すべての人が個性があって当たり前で、その多様性こそが素晴らしい。私も不完全で、あなたも不完全。でも、地球全体、宇宙全体で見たときには、きっとそれらの凸凹がかみ合うようにできていて…すべてが循環している、そんなスピリチュアル的な全体思想を持って生きています。

だから、「自分はこういう特性があるんだ」と自己理解することはめちゃくちゃ大事なのだけど、そのうえで「周りに合わせよう」とか無理に矯正する必要はないと思う。(もちろんしたいなら、してもいい)

すべての人が、ありのままを表現して、ありのままでつながる世界。

そんな世界を促進したいし、見てみたいな、と思っております。

発達障害のとらえ方から、こんな運命思考にまで発展しました。
なにか参考になれば幸いです。

ここまでお読みいただきありがとうございました。




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