よくいるひと

日々のこと・頭の中

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最近の記事

ぬか漬けには、「継続した愛」が必要です

いつもではないにしても、ふいに恋人が私のことを、ちゃん付けで呼んでくれるのが好きです。呼び捨てよりずっと親密な感じすらする。友人とは違う雰囲気も好き。でもそれがなくても私は恋人が好き。 凍てつくように寒い、マフラーをまきつけると確かにそこに暖かさはありますが肩がこるから無闇にはつけたくない。やむを得ない、という時に心を決めてつけるものだと思う。 そもそも寒さは肩に来るもの、冬は肩こりの季節。首が冷えると体全体が寒いのはどうして、神経が集まってるところだから血の巡りうんたら

    • 個展などに行く日曜

      撮影の予定が急になくなって手持ち無沙汰になったから個展なんかにきてみた。ずっと見たかった作者の絵を生で見て、グッズなんかも買ったらサインなんかしてもらえて、すみません本人さんだったのですね気づかなくてすみません、なんて口では言えないから心で言って、周りを見渡せば男女の2人組ばかり。一人の女なんて私しかいません、みんな本当に個展を見に来ているのかしら。 美術館や個展なんてものに来るのは本当に見たいからでしょうか。友人が、私は美術館にいる自分が好きで、美術館に行くと言っていたけ

      • 私たちの愛

        気づいたら夏なんかとっくにすぎていて、もうすぐしたらクリスマス、さて私はというとまだ9月が終わっていない頃にいます。 好きだ、とか、大事だよって気持ちを伝えるのって、とても難しいと思う。友達であれ、恋人であれ。仮に口で伝えていたとしても、人間あらが目に付くもので、どうやらすぐに疑いというやつがひょっこり顔をだす。来ていりません、本当に。 ちなみに存外わたしは人のことを信じきれます。もし疑いも、弁明されあればすっかり納得してしまう、善し悪しは分からないけれど精神的には健康だ

        • 短歌たち

          曲がるときちらりと見えるセーラー服 時間だけは手に入らなかった ビーサンとクロックスはいて熱帯夜 缶ビール持つ右手が、あ、好き ほんとうに取り留めもないことだから とりとめもなく受け止めて欲しい 夏が来ますね。 暑い日も今年くらい夜は外に出ないとなって思いながら、どうなるかな、健康に生きるの難しいですよね。

        ぬか漬けには、「継続した愛」が必要です

          主観と客観

          自分が見ている世界と他人が見てる世界って、同じとは限らないよねって不毛なことをいつも考える。 極端な話、私が見ている「りんご」は他人が見ている「りんご」と同じ造形である保証はないと思う。「沙耶の唄」はエロゲだけど設定自体はほんとに確信をついている。私が思う人の形と全く同じように他人が人の形を捉えている、なんて誰も証明できない。 自分が捉えている自分を、他人が同じように捉えているとも限らない。例えば私のコンプレックスを他人が酷いと思っていないなんてことはよくある話だ。私はか

          短歌たち

          オリオン座 背中に持たれて考える それでも好きだと偽りの幸せ 気の抜けた三ツ矢サイダーのんでると 少し寂しい 明日会おうね 鍵をかけ 顔にきちんと化粧する あなたいなくても 私できる子 すごく女の子、みたいな短歌がすきです。 言葉遊び、よかったら読んでください。

          私たちの権利

          最近悲しい声がとても多いと感じています。 一連のことについての私の考えです。 なんの立場?ってかんじだし、相変わらずの駄文ですがもし良ければ読んでいただけると幸いです。 たしかに、風俗に現れるお客さんの女性は少数です。しかし、それぞれに想いを持って見に来ています。前回のステレオタイプでも書きましたが、人によって中身は全く異なる、それが普通です。 その上で、私たちが唯一共通で持っている感情は、ステージを心から楽しみたい、ただそれだけです。私たちは客として出入りして、それぞれ

          私たちの権利

          ステレオタイプについて

          ステレオタイプや固定概念、偏見について考えたことはあるだろうか。 私は専門上、それらをよく考える(というか嫌でも考えなければならない)。こういうことをしていると、ステレオタイプなどというものは思ったより自分の中に酷くこびりついているものだということに気がつく。今日はその事についてダラダラかこうと思う。例のごとく、今から述べるのは私の考えなだけなので、お手柔らかに見てほしい。 さて、果たして人間の中で、胸を張って絶対に私は全ての人に対してまっさらな気持ちでなんの偏見もなく見

          ステレオタイプについて

          ストリップに魅了されたこと

          わたしはストリップファンの "女性"である。ストリップは紛うことなき「風俗」に分類されるものだ。しかし、わたしは"女性"として"女性の体"を性的に享受しようとして通っているわけではないと考えている。理由として、わたしはレズビアンではないし、ほかの「風俗」に分類されるものに行きたいとは思わない(私の需要ではない、ということです)。では、ストリップとほかの風俗の違いって何なんだろう、そもそもわたしは何に引かれて風俗のストリップに通っているのだろう、そこを考察したくなってこれを書

          ストリップに魅了されたこと

          電気

          自然光が好きだ。 一人暮らしの今、太陽の出ているうちは基本的に電気をつけない。それはくせというよりは習慣で、わたしにとっての普通である。 たまに訪れる友人たちには、電気つけたら?とか、中には気を使っているのだろうかという変な気を回してだろう、電気つけていいよ、と言う奴もいる。しかし私には電気がついていない方が居心地がいいし、なんせ太陽の昇っているうちは電気がつかないのが「普通」なので、そうかみんな電気つけるんだな、とスイッチを押す。 如何せん、明るすぎると感じる。見えすぎ

          詩集

          最近は本屋に行っても小説より詩集を買うことの方が多い 以前はもっぱら小説を買っていた。現実離れした日常みたいなものがとても好きで、そのような小説を漁っては買い、読んではどんよりしていた。というのも、現実離れした日常を描いたものはだいたいどこか不完全で嫌な部分が描かれており、たとえ結末はすっきりしていても読み手はすっきりしないものだからである(と私は思う)。 私は小説に関してかなり偏食なので、だいたい同じ雰囲気の(だいたい直木賞作家)ものばかり読む。同じ偏食は偏食でも、推理

          音楽のこと

          最近わかったことだが、私は「肌なじみの良い」音楽が好きだ。 肌なじみの良い音楽、というのは、多分自分の体にしっくりくる、波長が合うものである。それはジャンルとか曲調とかリズムで分けられるものじゃなくて、どんな曲でも、自分に合うものである。 聴いていると蒸発していくみたいな、そんな気持ちになる曲。そういう曲は勝手に体が反応する。体に取り込みやすい。違和感がない。 そういう音楽は、心に良い。薬になると思う。高校生の時に音楽を用いたセラピーを学びたいと思っていた事があったけど、

          部屋

          22歳。 私はもうすぐこの部屋を出る。 4年前、キラキラした気持ちを抱えただけのダサい田舎娘はこの部屋に引っ越してきた。 部屋をおしゃれにしたいという気持ちは人一倍あったけど、コンビニがやっと2軒あるだけのちっぽけな場所から出てきた私にはワンルームを使い勝手よく、なおかつおしゃれに飾り付けるなんて到底無理な事だった。 何となく買い揃えた家具をおいて、しっくり来ないなぁなんて思ってもしっくりくるような置き方なんてわかんないし買ってしまったものはしょうがない。 慣れない新しい