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ずっと大好きな喫茶店、ただあるのがうれしい。

 まだ現物は読んでいないのだけれど、ゲラで読ませていただいた京都は六曜社のお父さん、修さん、息子さんの三代を綴った『京都・六曜社三代記 喫茶の一族』(取材・文:樺山聡/京阪神エルマガジン社刊行)が、9月1日に発売される、とのこと。ちょうどコロナでずっと家に籠もっていたあのころ、電話でほんの少しだけ取材を受け、いつでるかいつでるか楽しみにしていた一冊。「なんで、京都をずっと離れてたお前が六曜社のことで取材受けてるんだよ!」と思われるかもしれませんが、まぁ、その理由はこの書籍の中にあるので、お許しいただければうれしき限り。

 で、ふと、昔、六曜社について書いた文章があったな、と思って探してみたら、ハードディスクの中から(実はSSDだけど)出てきました。これ、自分の書籍『渋谷のすみっこでベジ食堂』に最終的に掲載されたんだっけ? あれ、どっちだっけ?(手元に在庫がない、という事実)と分からぬようになってしまいましたが、確かボツになったような気もする原稿なんで、ちょっと再掲させていただきます。たぶん、ほとんどの人が知らない「京都の街のお話」です。

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 まだコーヒーの苦味に眉間に皺寄せてるくせに、何時間も喫茶店でねばってる面倒な中学生になっていた。今となっては何が楽しかったのかぼんやりしか覚えてないけれど、目的なく、ただただ喫茶店の中に漂ってる“ぬるい大人の空気”に浸るのがたまらなく好きだった。京都と大阪の狭間の新興住宅地で生まれ育った自分は、中学校に入って以降、友人たちの多くが大阪のアメリカ村あたりに連れ立って出かけるのを尻目に、ひとり京都の喫茶店に足繁く通っていた。今から35年ほど前のこと、とにかく京都には、得体の知れない喫茶店やそれに近い奇妙なお店が山ほどあった。
 目的なく、と書いたけれど、それはちょっと嘘。そのころはとにかく知らない音楽や聴いたことのないレコードを聴きたくて知りたくて仕方なかったのだった。興味もカントリーやブルーグラスから少し抜けだして、同時代のニューウェイヴやパンク、オールドスクールなロックや戦前ブルースのカッコ良さにも刺激を受けるようになっていた。しかし、まだ貸しレコード屋も黎明期、知らない音楽や文化を知る方法なんざ、ラジオで流れるのを待つか、風変わりな喫茶店やレコード屋でかかってる音に耳を澄ます以外なかったのじゃよ、と爺ィの昔話。
 ニコニコ亭での爆音で体を震わせ、ジャムハウスでのザッパの映像にドキドキする。高野悦子でお馴染みのしあんくれーるでは何やら悩んでるふりしながら、ろくでなしの緩い空気で半寝する。ザボの漆黒の壁にピリっとさせられた後は、洒落た異空間アビエックスで尖った気分になってみる。どらっぐすとぅあで寝袋でずっと寝てる人を横目で見ながら、ほんやら洞でボロボロになったミニコミを漁る。そして、寺町三条の路地を少し入ったところには、大好きだったむいがあった。

 高田渡の義弟がマスターを務める店として知られていた、むい。京極通りと寺町京極を繋ぐ路地裏、金八先生のスナックZを彷彿とさせる濃いブルーの外壁にちょっとサイケっぽいアートワークが施されていて、まったくもって入りやすい場所じゃない。そんなむいに初めて足を運んだのは中学校2年のころだったか? ブルーグラスやフォークソングに夢中だった自分にとって、間近で見て初めて感動したバンドが、むいジャグバンドだった。むいでバイトしていたアンちゃんたちとその常連たち、ハウスバンドといえば聞こえがいいけれど、なんともフリーキーで自由なジャグバンドだった。クリームの「サンシャイン・オブ・ラブ」やトーケンズの「ライオンは起きている」のジャグ・スタイルでのカバー、エノケンの「月光価千金」を軽妙に奏でる彼ら。カッチョいい~って痺れてるけど、普段は喫茶店のカウンターでコーヒーを淹れてる普通のアンちゃんたち。そのギャップがとにかく素敵だった。今で言う“会いに行けるアイドル”的な(ちょっと違う!)。もちろん、こっちは小学生に毛が生えた、まだ毛が生えかかった中学生。そんなカッコイイ人たちとサシで話せるわけはなく、瓶で出てくるコカコーラと、おまけで付いてくる古代菓子を齧りながら、耳をそばだてて音楽を聴いてる。とてつもなく幸せな時間。もし、過去に1時間だけ戻れるとするなら、あの瞬間のあの場所に戻りたいなぁ、と。
 今、ウチの店で働いてるスタッフの多くは、種種雑多なミュージシャンたちだったりするんだけれど、彼らのような人たちに仕事をお願いしているのは、客としてワクワクした自分のあの経験のあらわれなのかもしれない、と少しだけ思う。

 そして、この店に出入りしてるあかん大人たちの中から、オクノ修というシンガーを知る。そのころ修さんは、むいジャグバンドのメンバーを含んだビートミンツというバンドのヴォーカリストだった。現在のようなアコースティック・ギターの艶っぽい弾き語りではなく、ちょっと(いや、結構)尖ったバンドのフロントマンだったのだ。ファンクネスを抑えて歌心を強調したトーキング・ヘッズ、皮肉はそこそこに踵に泥が付いたXTC、のような。
 そんなカッコいいヴォーカリストが喫茶店もやっている、という話を兄から聞いた。修さんが働いているんだったらさぞかし尖ったお店なんだろう、と想像を巡らせて足を運んでみたら、何度も前を通ったことがある、街中の歴史のある喫茶店のことだった。自分の両親も若き日、この店で何度も待ち合わせをしていたと後年聞いた。「え、普通の喫茶店なんや?」と思ってしまったバカな子供。でも何度も通ううち、そのちょうどいい柔らかさのソファと丁寧に使い込まれた調度品の味わいはもちろん、馴染みのオッチャンたちが入れ替わり立ち代りひと休みしに来てくだらない話をして帰る、そして、常連さんも一見さんも変わらぬ扱いで、いい感じにほっ放っかれる、その当たり前な感じが心地よかった。ま、修さんが、ちょっと可愛くて気のいい女の子の方に完全に気が向いてるからってのもあるけれど。
 知らなかった情報を手に入れたり、他のどこにもないモノが用意されている場所、特別な人たちが集まるコミュニティ/サロンのような場所もアリだけれど、気持ちを落ち着けて、日常のギアを少しだけ入れ替えるための場所がどんなに素敵で日常を生きていく上で必要か、それを最初に教えてくれたのが六曜社だった。そしてコーヒーが苦いだけじゃなくて、なんとなく甘いんじゃないか、ということも。
 
 喫茶店やカフェ、バーやクラブのようなさまざまな人間が交差する場所から、オリジナルな文化が生まれることを期待する人たちもいる。その気持もよく分かる。その時代その時代の空気や流行を大きく吸い込んだスペシャルな場所が人気を博すのも当然だ。ただ、六曜社のように十年一日のごとく何も変わらないように見えて、豆の味も含め日々小さな変化が加えられているような場所に憧れを感じる。特に宣伝や特別なサービスを提供しなくとも、気に入ったお客さんが気の置けない友人と時折ふらりと立ち寄るような、そんな場所になりたいと願う。自分の店がそんな形になるまではまだまだ時間がかかるだろうけれど、何年か続ければ何とかなるかも、とぼんやりと思っている。

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