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第10話 人との出会いで進化する現実

 人との出会いに関しては、子供のころから特別恵まれているように思っています。フリーで編集者になったときも、レーベルを始めたときも、ベジ屋をオープンしたときも、スタジオをオープンしたときでさえも、とてつもなく優秀で面白い人間と知り合えたから始められたのであり、一人で自分はいったい何かできたのだろうか、といつも思ってるのです。そして、このリソグラフを手に入れて、印刷を始めようとしたときにも、それとは少しだけ違う、思わぬ出会いがあったのでした。


ブームの匂いのかけらもなかった10年前

 なんだかリソグラフで印刷するのがブーム、ですって。なんだよ、ブームって。「boom:にわか景気。また、にわかにはやり出すこと」らしい。あ、そうなのか。いいなぁ「にわか」って。極端に薄っぺらい感じ、生半可な感じがなかなかに好きです。いや、ホント。

 まぁ、でもそんなブームもここ2、3年の話であり、自分がリソを手にした10年近く前には、製造元の理想科学の社員の多くの方は、「これはOA機器であり、これで楽しむなんてことはできない」と思っておられました。その中には、ヨーロッパの理想科学に駐在し2000年代初頭のリソグラフを使ったアートシーンの存在をご存知の方もいたのですが、それでも「まぁ、ほんのごく一部だから」と考えていた模様。それゆえに、自分たちのように、「リソグラフを使って印刷して、作品を作ったり書籍を作ったりしたいんです!」と言っても、当初はまったく相手にしてくれなかったのでした。いや、それ以上に、こちらがちょっと分解したり、ちょっと改造しようとすると、「そんなことされた場合、時には保証が効かなくなることがあります」とダメ出しを出されたことも。でも、自分は海外のリソグラフ・シーン(ってないようにみえて、もう10年前にはあったのですよ!)で、後先も考えずにガンガンに分解して改造してるのをなんとなく知ってはいたこともあり、とにかく調子が悪くなったらサポートを呼ぶ前に一度分解してみて、そしてそれでパーツやネジなくしたりして、でもって本格的にぶっ壊したりして、そしてメンテナンスマンの方に穏やかに怒られたりしていたものです。


教育機関に関わる、ということ

 その最初のメンテナンスマンの方は、もう理想科学に勤続30年以上というプロ中のプロで、リソグラフができる以前、プリントゴッコの時代に入社されたとのこと。氏からは会社内のいろんな話をうかがったのですが、何よりもいい話が、

「理想科学という会社は、元々教師になりたかった初代社長が、兵役で教師になれず、その想いもあって教育の現場に関わるべく、リソグラフという機械を作った」

という話。まぁ、創業者の自伝なんて、たいていは眉唾だけれど、この話は社史にも最近掲載されたので、どうも本当のことのよう。実際、今、リソグラフのインクは、ソイ(大豆)インク(カラーによっては、米糠インク)が使われているのですが、それも子どもたちのアレルギーを少しでも軽減させるためだったらしい。また、最近の学校の連絡網ってスマホを媒介にしたサービスで、これは自治体ごとにさまざまな業者に委託しているのですが、ウチの子供の中学校の連絡サービスっていうのが、今年から「スクリレ」というアプリを使っていて。で、これの事業者ってどこなのかなぁ、と見たら……あら、理想科学って! いやぁ、最近はこんな形で学校教育に関わっているんだ、と驚いたりしたものです。

 そんな裏話と同時に、メンテナンスマンの方から修理や内部をいじる際に絶対に必要な「サポート・モード」のログイン方法を教わっ……と書いちゃうと問題が生じるから、僕が横で修理をする際に盗み見てあの指ふたつでボタンを押して入る方法を知ったのでした。また、直接の携帯番号を教えてもらったのをいいことに、業務時間外に電話をかけて、「すいません! ココがおかしくなってるんですが、なにかいいアドバイスを!」と、どうも夕ご飯中だったにもかかわらず無茶なお願いをしたこともあります。本当に、その際は申し訳ありませんでした!

K氏との出会いが状況を変えた!

 そんなメンテナンスマンさん以上にお世話になったのは、まだ入社2,3年だった若き営業マンK氏でした。彼は以前自衛隊におられたとのことで、気合が入っておられる感じだったのですが、その若きゆえの好奇心で「小田さんって、いったい何をしようとしてるんですか?」と向こうから尋ねてくれたのでした。既に大阪のレトロ印刷のことはご存知だったようで、このようなリソグラフを用いたアートワーク全般について、「レトロ印刷」と呼んでおられたのでした。

 恐る恐る「世界的にアート・カルチャーやブック・カルチャーのシーンで、今、リソグラフが話題になってるけれど、その総本山でもある日本ではまったく話題になってないんです」ときっぱりと彼に伝えました。最初はキョトンとした顔をしていたK氏でしたが、当時手に入れていた国内外のリソグラフで刷ったZINEやアートワークを見せていくうちに、もしかしてこれは面白いことなんじゃないか、何かしら面白いことができるんじゃないか、と興味を持ってくれるようになったのでした。

 面白いことに、1人でも内部に協力者(密偵)がいたのであれば、世の中は少しずつ動き出すもので、それまで変なことをするとちょいと怒られたり、あからさまに嫌な顔をされていたのが、K氏が理想科学の営業部との防波堤、そして開発部との架け橋になってくれて、その後少しずつスムースにリソグラフ自体について質問したり、印刷やZINEイベント等をする際への協力をお願いすることができるようになったのでした。このイベントに関してはのちにまたお話しますが、幾つかアート系・カルチャー系のイベントにスタッフの方をご招待していくうちに、だんだん理想科学の本社の方でも興味を持ちはじめてくれたようで、数度、理想科学の「開発部」の方とも話をする機会まで持てたのでした。

 そんなK氏は今どうしているかと言えば、ちょっと変わったキャラクターが認めてもらえたのか分かりませんが、その後、若手にもかかわらず東アジアの営業部へ、そしてリソグラフやインクジェットプリンター、オルフィスの魅力をより世界的に広めるべく、現在インドはデリーの子会社に駐留しているそうです。聞けば、「あの『夜の木』で知られるタラブックスさんも、うちの顧客」だそう。大変そうだけれど、Kさんらしくきっと向こうでいろんな技術者と知り合ったりしているんだろうな、とその話を楽しみにしていたりするのです。

 今、リソグラフスタジオを始めようとしていたり、機械を使い始めている人みなさんに言っているのは、とにかく「一応保守契約に入って、いろんな情報を教えてもらったら面白いですよ!」ということ。そして、見た目はちゃんとしているんだけれど、世の中、結構面白い人、バカな人がたくさんいるんだなぁ、と感じたりするのです。そんな人たちに支えられて、今、いろんなものを作れるんだな、と思っています。

ついに、分解を決意

 そんな「いい出会い」があって少しずつ技術は格段に進歩、知識も蓄え始めているけれど、状況はまだまだ「あんまりブライトレッドの色がちゃんと出ない」っていう状況。そして、ついに自分は、メンテナンスマンの忠告も聞かず、禁断の「リソグラフドラム分解」へと手を伸ばすのでありました。

 次回、禁断の初分解の巻。See you soon!!


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