「光る君へ」15話感想

つい先ほど、NHK+で視聴して追いつきました。色々胸熱な展開が!

1.ききょう、推しから女房名を賜る。


高階貴子(藤原道隆嫡妻、伊周・定子の母)からスカウトされ、一条天皇「中宮」に立てられた定子付きの女房として出仕することになったききょう。
これが、かの有名な「宮に始めて参りし時(うろ覚え)」の下りですね!

貴子が、「中宮さまです。面を上げなさい」と言われ、ききょうが顔を上げると、そこには「花にはかんばせを想う」ほど美しい女性が。
この人こそ、ききょうの生涯の「推し」となる藤原定子でございました。
この振り向き顔の麗しさに、画面の向こう側の筆者も改めて定子さま強火オタクとなりました。
高畑充希さんがお美しいのはさることながら、その美しさを余すことなく引き出すカメラワークにうなりました。

見とれるききょうの表情が200万点のオタクの顔です。分かる、分かるよききょう!

我らが女神・定子さまが「定子である」と名乗り、
清少納言(せい・しょうなごん)…今よりそなたを清少納言と呼ぼう」
とききょうに女房名をお与えになりました。
ここに、ききょう改め清少納言爆誕す。

貴子が、「さすが中宮さま。ききょうの父の姓は清原、夫は少納言でございますものね」と褒めると、
「夫とは別れました。それに、元夫は少納言ではございません」
ときっぱり言ってしまうききょう。
違うことは、たとえ主相手でも違うと言ってしまうところが、「いかにも清少納言」。
誰ですか?清少納言にファーストサマーウイカさんを当てようと言いだした方は。金一封を差し上げたいくらいです。

しかし、誤解されているとはいえ推しから賜った女房名。
「大変素敵な響きですので、ぜひそれでお願いいたします」
とキラキラの目で受け入れるききょう。

それを見た定子さまは、
「愉快である。清少納言、末永くよろしく頼む」
と仰いました。ききょうとともに、筆者もハートを打ち抜かれました。
ズバズバ言ってしまうききょう改め清少納言に対して腹を立てるどころか微笑んで「よろしく」と言ってしまう包容力!!
そう、定子さまはそういうお人なのです!!そこにしびれる憧れる!!

「清少納言」の「清」の部分は父の姓・清原から来ていることはほぼ確定なのですが、「少納言」の由来は不明だとか。

「勘違いだけど、推しが名付けてくれたから問題なし!」の精神にしたのが創作としてよくできています。

一条君あらため一条天皇も、成人キャストになりました。眉目秀麗な方ですね。麗しい夫婦です。笛を吹いている姿が大変雅でした。

2.物書きとして…


友人のさわに、気晴らしに石山詣に誘われたまひろ。
紫式部と!!!石山寺の組み合わせは!!!オタクが祭りを開催してしまいます!!

そこで、まひろも運命の出逢いを果たします。
なんと、蜻蛉日記の筆者・藤原道綱母とご対面!
髪が少し短くなっているような気がしました。尼削ぎにしているのかしら。

それと、どこかすっきりした表情をされていましたね。
兼家が元気だった時は「道綱をよろしく」と、息子の出世が何よりの野望という感じでしたが、兼家が蜻蛉日記を読み、「良かった」と若い頃を肯定し合えたことで、自分の人生にそれなりに満足できたのかもしれませんね。

「幼いころに蜻蛉日記をよく読んでいて…」というまひろ。
ませていますね!筆者も10才くらいのころに百人一首から派生して源氏物語や和泉式部日記(ビギナーズクラシックス)を読みあさっていたのでちょっと似ています…たぶん小4が読んで良い内容ではない…

まひろは、「数日ぶりに訪れた兼家に対して門を開けず、『嘆きつつ 一人寝る夜の明くる間は いかに久しき ものとかは知る』の歌をお渡しになった気持ちが昔は分かりませんでした…今は、痛いほどよく分かります」
とこぼします。

「心と体は裏腹でございます」「あの方との日々は、私の全てでした」と微笑む道綱母。

さらにこう続けます。
「私は、書くことで己の悲しみを救いました」

おおおお!!!夫・宣孝の亡き後、紫式部が石山寺にこもって源氏物語の構想を練った(と言われている)ことを踏まえると、ぶち上がる言葉です。
まひろも、心を動かされた表情をしていましたね。
いやー、好きな文学作品の著者に会えるというのは羨ましいですね!

ちなみに、この時代の「日記」は私的なものではなく、読まれることを前提で書いていたようですよ。

そして道綱母は、まだ未婚の二人にアドバイスをします。
「できることなら、高望みせず嫡妻にしてくださる方を見つけなさい。妾は辛うございます」と、実体験をもとにしたお言葉。

確かに、嫡妻なら基本として常に夫が自分の実家に居てくれる(仕事から帰ったら着てくれる)けれども、妾は待つばかりですからね…。
うぅ、妾になれとか言った道長君…。

その夜、寝ているまひろとさわの元に道綱が忍んできます。
おい、寺でそれは良いのか?
しかもこの道綱、人違いでさわの床に入ろうとします。

空蝉と軒端の荻だ!!
「源氏物語」でも、光源氏は、忍んだ床に寝ているのが空蝉(本命)だと思ったら、その継娘である軒端の荻で戸惑うものの、「この人もいいやん」と成り行きに任せてしまうダメなことをやらかしています。
源氏オタクを刺激するプロット!

3.不穏な弓比べ

身内びいきの目立つ関白・藤原道隆。小右記の作者・藤原実資を始め貴族たちの反発を買います。
女房たちのひそひそ話がリアルで…。この先の史実を思ってお腹が痛くなります。

ある日、道隆は「身体がだるい」と参内しませんでした。
うわ…フラグ(たぶん酒の飲み過ぎによる糖尿病かと)。
その日は道隆の息子・伊周の弓比べもありました。

案の定というべきか、伊周の一人勝ちでした。筆者は弓道のことは良く分かりませんが、伊周が矢を射る所作が美しいと思いました。

伊周が弓の上手ということもあるのでしょうが、彼のメンツを潰さないよう気を遣っていたというのもあるかもしれませんね。

そこにやってきた道長。
伊周はノリノリで「叔父上(道長)も一緒に弓比べをしましょう」と誘います。
「結構です」と断る道長。
「怖じ気づかれましたか?」とぐいぐい来る伊周。
己の才への高慢なほどの自信。これはまごうことなき伊周殿…。
頼むから、余計なことをしないで下さい(特大フラグ)。

最初は伊周が優勢でした。
的の真ん中にバンバン当てる伊周と、的に当たったり外れたりを返す道長。
道長は、「伊周殿の勝ちです」と帰ろうとしますが、伊周は「まだ矢は残っていますよ」と引き留め、
「これより、矢を射る前に願い事を口にするというのはいかがでしょう」とまで言い出します。

大鏡の弓比べだ!!!

まずは伊周から。
「我が家より、帝が出る」
伊周の矢は、的の端に当たります。
あれ?さっきまでは真ん中に命中させまくっていたのに。

一方の道長。伊周と同じく、
「我が家より、帝が出る」
と言ってから矢を射ます。なんと、これはほぼ命中。空気がざらつきます。

再び伊周のターン。
「我、関白となる」
なんと……伊周は外してしまいます
不穏だ、不穏がすぎる!

次に道長。
「我、関白となる」
矢を射る寸前、道隆が「やめよ!」と止め、この場は収まり(?)ました。
(まあ実は、道長は「関白」にはならないんですよね)

言ってしまえば、ただの矢の腕比べ。
でも…大鏡の話とこの先の展開をうっすらと知っている人にとってはしびれる場面でしたね。

こういうヒリヒリが大好きなんですよ!!
道隆一家はこの先波乱の展開になるので、ぜひ刮目していてください。

さて次回予告。
定子さまが、「少納言よ、香炉峰の雪は」と清少納言に聞いていらっしゃいました。
えっ!平安オタクたちが枕草子を読んであまりの尊さに悶絶していた「香炉峰の雪」の下りを、映像化して下さるんですか?ありがとうございます助かります。

「それは平安時代的に大丈夫なんか?」というツッコミもないわけではありませんが、こういう古典文学の名場面を豪華絢爛な装束とともに映像化して下さるだけでも本当に嬉しいです。これだから、「光る君へ」を見るのはやめられない。







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