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「光る君へ」17話「うつろい」

皆さん、同じ感想をお持ちだと思います。
「道隆さま!」。
井浦新さん演じる藤原道隆が、今回薨去しました。

1.美しく賢い定子さま


ここのところ道隆の長女・定子さまが毎週出ていますので、感想執筆においても不可避です。だって推しだから…。
「父上が病に倒れてから心細うございます」と呟く定子さま。
父に万一のことが起こった場合に備え、兄・伊周に力を持たせたいと考え、「兄に父の容体を聞きたい」という口実をつくり兄を召喚します。

「わたくしなりに調べてみました。兄上、内覧になられませ」
「内覧」とは、行政文書に目を通すことができる役職。実質関白みたいなものです。
「わたくしからも帝に、兄上に内覧の宣旨を出していただけるよう強くお願い申し上げます。20年ぶりでもなんでも、やってしまえばよいのです」

一帝三興后の前例を無視して娘の定子を強引に「中宮」に立てた道隆に対し、前例を探して文句が出づらい策を考え、手を打つ定子。
ああ、策謀家の祖父・兼家の血は孫娘に受け継が
れておりました。

伊周も「定子が男であれば、俺は敵わぬな」と言ってしまうあたり、傲慢ながらも自分の限界を知っているのでしょう。

「光る君へ」の女性陣は頭が切れ、時に男性陣を圧倒する強かさを備えている方が多いと思います。
個人的には、「枕草子」に描かれた女神のような定子さまも好きですが、こういう切れ者で人間味のある定子さまも「いい!」と思います。
推しの新しい解釈を見られるのは幸せです。

2.多分一番父親似の詮子さま

 道隆の病状が日に日に悪化していき、関白の冠を誰が引き継ぐかが議論の的になります。
本命は道隆の嫡男・伊周かと思われましたが…。
女院・詮子さまがストップをかけます。
「次の関白は道兼の兄上よ」と。

「正直に言って、私は道兼の兄上は好きではありません。でも、あの出過ぎ者の伊周に関白になられるくらいだったら、道兼の兄上の方がマシ」
とまさかの消去法。

かつての道兼なら、「なんだと?!」とまた一悶着起こしていたことでしょう。しかし、毒気を抜かれた道兼は「女院さまにお助けいただくとは、不思議な気がする」と穏やかに返します。

さらに詮子は、
「公卿たちはみんな伊周が嫌いだから、私が一押しすればうまくいくはず」とキッパリ。
さすがは国母さま、よく分かっていらっしゃる。

冷静に状況を見て、的確な判断を下す。詮子は兼家の非情な手段を嫌っていましたが、今の詮子のキレっぷりは兼家そのものです。吉田羊さんの真骨頂というか…上がりますね。

3.書くことの力を知ったまひろ

道綱の人違いのせいで気まずくなってしまったまひろとさわ。まひろは和歌を贈るものの、突き返されるばかり。

そんなある日、さわ自らまひろ宅を訪ねます。
ご無沙汰してしまったことと、文を返してしまった非礼を謝るさわ。しかしさわは、まひろの和歌を書き写していたのでした。

「まひろ様のようになりたい」という一心だったといいます。
そして、疫病で兄弟を失ってしまったことから世の儚さと人生の短さに気づき、まひろに会いに行ったと語ります。
再び友情を誓う二人。
シスターフッドのようで、いい話です。

自分の書いたものが、人の心を動かしたことに気づいたまひろ。道綱母との出会いといい、今回のさわといい、着々と「作家・紫式部」へと近づいていく布石が打たれていますね。

4.堕ち、そして昇華された道隆

病(糖尿病)が良くならず、誰かの呪詛を疑う道隆。他の公卿はおろか実の弟妹すら信じられず、疑心暗鬼に陥ってしまいます。

自分が今まで強引な政治を行なっていた自覚があったのでしょう。
公卿たちの心も今ひとつ取り込めていない。そして伊周はまだ20代と若い。
そんな状態で、自分がこの世を去ってしまったらどうなるか…。 

道隆は焦っていました。
どうか、どうか我が家を、伊周を、定子を!
道隆は徐々に乱心していきます。病の悪化のみならず、周りへの疑心暗鬼もあったのでしょう。

ふらふらの状態で定子の部屋に押し入り、「早く皇子を産め」「そなたは帝の唯一無二の后。何をやっているのか」となじったり、
一条天皇の御簾を捲り上げて「伊周を、関白に…!」と鬼気迫る形相で訴えたり。

道隆が定子に詰め寄っているときに、清少納言が悲しみと怒りの混じったような表情で御簾を下ろさせたのが切なく、主従の愛を感じました。

道隆は、弟道兼にも妻や子供たちの行く末を頼みます。
「どうか、酷なことをしないでくれ。頼む」
しかしこの時の道兼は既に、詮子の意志で関白が内定していました。板挟みだ…。

そして道隆は床につき、愛妻・貴子がつきっきりでそばにいます。
「まだ、わしは死ねない」と呟く道隆を、
「殿はまだ、大丈夫ですよ」と励ます貴子。

道隆は、ふと貴子との馴れ初めを思い出します。
「そなたに逢ったのは、代理の内侍所であった。スンと澄ました女子だった」
貴子は、
「道隆さまはお背が高く、キラキラ輝くような殿御でございました」
と返します。 
道綱母にとっての「光る君」が兼家だったように、貴子にとっての「光る君」は道隆だったのでしょうね。

道隆は、歌を吟じます。
「忘れじの 行く末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな」
(「あなたをいつまでも忘れないだろう」という言葉が守られることは難しい。それならいっそ、あなたがそう言ってくれた今日を限りに命が終わって終えば良いのに)

百人一首にも入れられた和歌です。そう、この歌の読み手「儀同三司母」とは、貴子のこと。

「あの歌で、貴子と決めた……」
ウワァ…思い出すだけでも涙が出てきます。
描かれてはいないものの、若き日の道隆と貴子の愛が、眼前に浮かぶようでした。

どうして?退場するときは好感度を上げるシステムでもあるんですか?そこまで鎌倉殿に似せて欲しいとは言っていません。

それと、父・兼家と同じく、妻の歌を吟じてあの世へ旅立つというのは…オタクの心が千々に乱されてしまいます。
貴子を決して忘れることなく、添い遂げたのですね。

しかし残酷なことを言うと、道隆の死後、子供たちが没落していくのは、貴子の実家である高階家が弱小貴族だったことが原因の一つだったとも言える。

この時代には、「劣り腹」、つまり身分の低い母親から生まれたという意味を持つ言葉があるほど、母方の血筋も重要でした。このように、父母両方の血筋を重要視するシステムは双系制と呼ばれます。

道隆と好対照となるのが道長。
道長は(ドラマの中では)愛するまひろ(下級貴族の娘)を諦め、倫子を嫡妻にしました。
倫子は、宇多天皇の孫にあたる左大臣源雅信の娘であり、実家は磐石。雅信が死んだ後、莫大な財産を相続しました。

道長が後に自分の娘を3人も后に立てることができたのは、道長本人が出世したことのみならず倫子の血筋も多分に影響しています。まぁ、道長はのちに調子に乗ったことを倫子に言ってしまうのですが…。

「妻の実家(おもに舅)」が出世において大変重要だったということを頭に入れておくと、色々わかりやすいかもしれません。

次回は、「七日関白」こと道兼のターンですね!ここ数回で好感度が上がってしまっているので、 つらい!せめて七年関白になってくれませんか…


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