「虎に翼」から親権問題を考える

女子部最年長メンバー・大庭梅子さんの背景が明かされましたね。

弁護士としてバリバリに稼ぎ、金銭的には不自由のない夫婦生活。
しかし夫は妾を持っていて、女性を見下すような物言いをする。

梅子さんの長男、徹太も父方の祖母に「跡取り」として育てられたためか、梅子さんが少し足を滑らせただけで「どんくさいな」と呟く始末。

梅子さんは、夫と離婚するために法律を学んでいるのでした。
長男はもう無理かもしれない。でも、せめて次男と三男はそのような大人にしたくない。

しかし当時の法律では、離婚した場合子供の親権はほぼ父親持ち。
そのため、梅子さんが離婚をしても次男三男と一緒に暮らせる望みは薄い。

法律を学べば、そのために戦う武器を手に入れられるのではないかと梅子さんは考えたのでした。

普段穏やかでおいしそうなおにぎりを作ってきてくれるおっとりした奥さん…かと思いきや、その心はとっても芯の強い女性だったのです。

私は梅子さんの話を聞いて、ある人を思い出しました。
誰か?
それは金子みすゞです。

金子みすゞ(引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AD%90%E3%81%BF%E3%81%99%E3%82%9E#cite_note-2)

大正時代に活躍した女性詩人で、「私と小鳥と鈴と」という詩の「みんなちがってみんないい」というフレーズが有名ですね。

金子みすゞも、結婚制度に悩まされた人生を送りました。
彼女は若くして結婚し、娘が生まれます。しかし夫は遊郭通いにふけり、みすゞにも性病を移す始末。

さらには、みすゞが詩を書くことや詩人仲間との交流を厳しく禁じます。
詩を書くことを禁じられたみすゞは、幼い娘が発した言葉を記録したり(「南京玉」) 、他の詩人が作った詩で気に入ったものをアンソロジーにしたり、苦しい状況でもどうにか光を見つけようととしました。

しかし限界が訪れ、みすゞは離婚を決意します。
娘は自分の手で育てたいと願うみすゞ。
一度は夫もこれを受け入れたものの、すぐに翻意して娘の親権を頑なに要求します。

「夫の元で育てられたら、金銭的には困らないが心の貧しい人に育ってしまう。そうなってほしくない。私は娘に、自分の母親のもとで育ってほしい」
というような内容を、遺書に記して命を絶ってしまいました。みすゞは娘の未来のために命を捧げたのでした。
享年26。

結局この後、娘はみすゞの両親に引き取られて育てられました。せめてもの救いと言うべきでしょうか。

しかし梅子さんや金子みすゞのような例は決して少なくなかったのでしょう。

封建的な考え方が深く根付いていた時代、「女性が子供を引き取る」ということがいかに難しかったか、そしてその苦難は察するに余りあります。

では、現代ではどうでしょう。
基本的に、夫婦の婚姻中は原則として共同親権となります。
しかし、離婚した場合はどちらかの単独親権です(共同親権を認める法案が成立しそうになってはいますが)。

幼い子どもの場合、母親に軍配が上がることが多いです。
では、「めでたし めでたし」…

ところがそうもいきません。
「母親が勝訴することが多い」というのはある種の「母性信仰」のようなものもあるのではないかと筆者は睨んでいます。
親権を争う訴訟の場合、争点となるのは「どちらのもとで育つのが子供にとって有益か」ということ。もちろん経済状況やこれまでの行いなども加味されますが、なんやかんや言っても、お腹を痛めて子供を産んだ母親が強い。

母親が不貞行為をしているとか、ひどい浪費癖があるとか、あるいはその両方など深刻な状況でないかぎり「母性」が優先され、親権を争う訴訟で父親が勝てる確立は低いと言われています。

バイアスを廃して、母親でも父親でも、愛情持って育てられる人が子供を引き取るべきだと思います。
考えたくもないことですが、たとえ血が繋がっているとしても暴力を振るったり子供のためのお金を浪費したりするような人とは遠ざけたほうが子供の将来のために良いのではないか、と思います。

共同親権が議論を呼んでいる今、朝ドラでこのような話が取り上げられたこと(もちろん、ドラマは前もって撮影しているので偶然だとは思いますが)は、家族と法のあり方について考える契機になってほしいと感じました。






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