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きゅうしますか

「落とすと思ったのよね」

スーパーのレジで後ろに並んでいる男の子(見た目小学校低学年)のテンション下がっていまいた。

その5秒前。手にしているいくつかの品物の中からペットボトルが落下しました。そして、ペットボトルを拾おうとして他の品物も落とすという“あるある”でした

おそらく男の子は自分の手で商品をレジに持っていきたかったのだと察します。

気持ちよくわかります。問題は母親と思しき人物の言い草です。

「ほら言わんこっちゃない」とでも言いたげなニュアンスに関係ないこっちもイラっとくるようでした。

振り返った私は、思わず母親とおぼしき人を見てしまい、目が合いました。

ただ見ただけですが、向こうの目にコンマ5秒くらい「なによ?」というような反発を感じた(ような気がしました)

落とすと思ったなら、先に言えばいいじゃん。

「落とすと思ったのよね」って、言われても子どもはどう返していいか
解決方法に困ります。

私は「どうかどうか、ここから学んで欲しい、立ち上がって欲しい」と心の中で念じていました。


という、「あぁ、やると思ったのよねぇ」って、言われた経験、誰にでもあるのではないでしょうか?

言った方は、ただ思ったことだけを言っているだけで、罪はないのですが、そこには相手を思う気持ちとか、指導的要素とか微塵も感じません。

あるのは「ただ、思ったことを言っているだけ」

生産性はゼロ。


学生時代のバイト先でのこと。
胸ポケットにガラス製の棒状のコロンを入れていたら、前かがみになった際
コロンが滑り落ちて割れました。
見ていたバイトの先輩が「あぁ、落とすと思ってたんだよなぁ」と一言。
で、雑巾の1つでも持ってくるでもなく、ただ眺めているだけ。

「そんなこと言われても」と思うと共にその人との距離感が地球と月くらいに広がったような気がしました。

ちょっと前に書いたのですが、子どもに言ってはいけないフレーズ
「どうして、できないのよ」と同じくらい、「あぁ、やると思った」は
刃物フレーズだと思います。 ※個人の感想

もし「あぁ、落とすとおもった」と言ってしまったら、そのあと、テンション下がった子どもに「どうしたら落とさずに済んだかな?」と、考えるきっかけを与えてあげるとよかったと思います。


まぁ、こんな心配も通りがかりのおっさんの杞憂にすぎず、当の男の子は
次の瞬間には忘れているかもしれません。


ところで、きのう耳に残った言葉。

自分の残りの人生。今日が初日だから「今を大切する」。

「今を大切にしよう」「眼の前にあることに集中しよう」というのは
いろんなところで聞く言葉ですが、なぜ今を大切にするべきなのか、という「意味」「大義」として、あと50年かもしれない、1年かもしれない、という誰にもわからに余命を一歩引いて見たら、確かに「今日」が「初日」だということは腑に落ちました。


今日が人生最後の日でも悔いが残らない生き方って、難しそうですが、
そこに難しいも簡単もなくて、気持ちの持ちようだと思います。

で、今日の予定。

消費者金融15社から借金を重ねた挙げ句、自己破産したお笑い芸人さんと
アフリカで30社の企業を経営している社長との対談動画を撮影してきます。

先日、事前打ち合わせしたのですが、振り切っている人の生き様を見ると
得体の知れぬ力をもらえる気がします。

ちょっとした一言にイラついているようでは、まだまだだと感じます。

で、「生まれ変わったら、どっちになりたいか」って訊かれたりしたら、答えに窮するんだな。


沖縄出身のお笑い芸人さんが命名してくれたペンネーム/テレビ番組の企画構成5000本以上/日本脚本家連盟所属/あなたの経験・知見がパワーの源です