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ホラー以外のすべての映画

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記事一覧

ホラー以外のすべての映画(7) 災と再現

再現された災害はいかにして到来するのだろう。
それは必ずしも計算によって構築された爆撃や暴風雨が実在する観光名所や政府機関を次々とモニュメンタルに倒壊させていく記号的なシミュレーションであるわけでもなく、多くのドキュメンタリー映像のようにそれを被っていくばくかの月日が流れた瓦礫を背景に実際にその被害にあった当事者たちへの聞き取りを通じて撮影者が決して直接そのレンズに写すことの叶わなかった出来事を事

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ホラー以外のすべての映画(5) 影の軍隊

『CURE(治癒)』と名のつく二つの映画について語るうえで、それがいかなる症状あるいはいかなる傷への「治癒」であるかについての分析を避けて通ることはできない。たとえば小津安二郎の『晩春』に登場する通勤者の男たちが、まるでその身体に記憶された戦中の兵隊としての身振りを意識することなく思い出したかのように不可視の列車を見つめるその視線が決まって同じ方向へと伸びるのを、アントニオーニの『欲望』(1967

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ホラー以外のすべての映画(4)秘密の仕事

 小津安二郎の映画について綿密な考察を行うつもりなど毛頭ないが、彼の映画のカメラがその前に現れる俳優たちの顔よりもむしろ、視線をこそ撮ってきた事実には触れておかねばならない。例えば『晩春』(1949)の通勤場面なら、プラットフォームに立つ勤め人の男たちはまだ見ることのできない通勤列車の姿を期待して同じ線路の向こうを見つめて佇むのだし、『小早川家の秋』(1961)の葬列は会社員たちが見えない列車を共

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ホラー以外のすべての映画(3) 錯覚の共有

 闇を縫って訪ねてきた「肉屋」の男の顔が自宅の窓に浮かび上がるのを目撃した女教師との視界の共有を強いられた観客は、男の顔に被さるように窓の表面に映し出された彼女自身の真っ赤なドレスを一つの染みのようなものとして認めざるをえない。自分が好意を寄せつつある男は、このトレモロの村を騒がす連続殺人事件の犯人かもしれない。いや、この殺人事件の容疑者らしき男を自分に惚れようとしているのかもしれない。一見矛盾す

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ホラー以外のすべての映画(2) 見逃しえぬ顔/見出しえぬ顔

 見逃しえぬ顔であること。必ずしもスター俳優を起用することとも、易しいメロドラマを描くこととも、感傷的なクロースアップを常套することともいずれにせよ縁が深いとは言えなかったギリシャ人の映画監督が二度目にマルチェロ・マストロヤンニという、国際的にかなり名と顔の知れたイタリア人俳優を起用したのはたしか、そのような理由であった。スクープを目論むTVディレクターが失踪した大物政治家を発見するとき、この野心

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ホラー以外のすべての映画(1)

「画面に映っているものだけを見よ」と発言したことで知られるはずのその映画批評家は、また同時に「映画を見ることはできない」とも発言したことをあまり知られていない。かもしれない。あるいは、これが単なる筆者の勘違いである可能性さえ考慮したとしても、「映画を見ることはできない」というその発言を記憶している者たちは必ず、同時に成り立つことのない「画面に映っているものだけを見よ」という批評家の指令をすっかり忘

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