見出し画像

【問うとはどういうことか】 - 正しさに殺されないために -

2021年の元首相でありオリンピック委員会会長であった森喜朗氏の発言からはじまります。

「女性差別」だと騒がれて、叩かれていました。梶谷さんはもっと厳しく捉えていて、「反民主主義」と主張。森氏だけではなく、マスコミや疑問をもたなかった大人たちへ「問う力がない」と言及しています。

梶谷真司(かじたに・しんじ)

東京大学大学院総合文化研究科教授。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。専門は哲学、医療史、比較文化。

近年は学校や企業、地域コミュニティなどで「共に考える場」を作る活動を行い、いろんな人が共同で思考を作り上げていく「共創哲学」という新しいジャンルを追求している。

近著に「考えるとはどういうことか0歳から100歳までの哲学入門」(幻冬舎)、「書くとはどういうことか人生を変える文章教室」(飛鳥新社)がある。

本書巻末より

 ◇◇◇

問うことをしなくなる要因は5つ、考えられるそうです。

  1. 基本歓迎されない
    「わからない=質問」教育の基本はわかることだから質問は好ましくない

  2. しばしば攻撃的である
    「どうして」や「なぜ」は責められているような気持ちになる

  3. 与えられるもの
    ある種の「テスト」であり、それには正解があるから

  4. かなり面倒くさい
    1〜3の総合である。問うことも問われることも、ヘタをしたら「ストレス」になる

  5. 実は怖い
    うかつに質問をするとどうなるか、「恥」をかいたり「バカ」にされる

誰しも若いころに経験することばかりです。学校教育の方針や、人間関係の摩擦から、疑問に思っても深く考えることに抵抗が生まれ、質問したくてもできず、問うことのハードルがあがっていきます。

 ◇◇

それでは、なんのために問うのでしょう。

  1. 知るため
    「新しいこと」や「正しいこと」は受け身では学べない

  2. 理解するため
    「わかったつもり」になって、知らないことを「深く考えない」理解するためには考えるしかない

  3. 考えるため
    「考える=問い」といえる
    「想像」するためには「仮説」が必要になる

  4. 自由になるため
    「常識・偏見・苦しみ・無知」
    外的要因をすべて受け止めていたら、人生を縛られてつまらない

いきなり外向きに問うと、嫌われるかもしれないし、トラブルになるかもしれません。内向きに問うぶんには、しつこくても問題にはなりません。
まずは自問自答をくり返す。考えつづけるとは、地道な努力をつづけることになります。

 ◇

大和書房:2023.8.11  
単行本:216ページ

考える力とは、問う力のことである。
哲学対話の第一人者が、考える際の起点となる「問い方」をわかりやすく解説。

【はじめにより】

日本では教育政策において、2000年代以降、ゆとり教育が本格化するなかで、思考力の育成を重視してきた。その後、ゆとり教育からは方向転換したが、思考力を育てる方針は変わっていない。

そのさい「今の子どもは考える力がない」ということが大前提になっていることが多く、大人たちは、まるで自分たちには考える力があるかのように言う。自分のことは棚に上げて、世を憂い嘆く。

しかし考える力が弱いのは大人でも同じことで、人生経験の長短に関わらず、日本の社会全体に見られる症状である。長年生きているのに身についていないぶん、大人のほうが深刻かもしれない。

思考力育成の必要が唱えられてから40 年たった。それ以前も、それ以降も、考える力が一向に育てられていないとしたら、その原因の一つは、間違いなく大人も考える力がないからであり、どうすればそれを育てられるか分からないからだ。

考えることは問うことに基づいている。考えが漠然としているのは、問いが漠然としているからだ。具体的に考えるためには、具体的な問いを立てなければならない。問いの質と量が思考の質と量を決める。要するに、考える力をつけるために重要なのは「問う力」である。

amazon本の概要より

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?