友だち100人できるかな。を目標にする

”友だち100人できるかな”
童謡「一年生になったら」の一節です。
小学校に上がる当時、100人は無理じゃろー?と子ども心に思いました。
それから歳月を重ねて、100人の友だちは出来たのか、考えました。
知り合いは増えました。
直接お会いしたことがある人、ネットのSNSだけの関係性の人、いろいろです。
でも友だちって、なんでしょうね?
私は結構打ちとければすぐ友だち感覚になってしまうタチなんですが、どうも人によっては仲良くなったようでも友だちとは違うと考える人もいるようで、案外、人それぞれでその感覚は違うんだなぁとこの歳になって分かったこともあります。

と、前段はこのくらいにして、
今回、友だち100人、とは何を目指すのかというと、
毎月、マーフィーズファームの野菜を2,000〜3,000円くらい買ってもらえる方100人を目指そうというものです。
野菜を買ってくれる人ってそりゃ友だちじゃなくてお客さんじゃろ?
というツッコミは至極ごもっとも。

でも、感覚としては、お金のやりとりをする「お客さん」ではなくて、「友だち」でありたいのです。小さなコミュニティの形成です。
毎月2,000〜3,000円くらいの野菜を買ってもらえる方が100人いたらそれだけで充分な生活ができます。
そこにはお金のやり取りという要素がどうしても入ってきてしまいますが、実際にはお金は重要視していません。物々交換でもいいし必要な時に助け合える関係性でもいいんです。むしろ、可能であればそういう関係性だけで生きていける世の中であって欲しいと思っています。

だって、お互い欲しいものを交換してお互いが満足ならそれでいいわけですよね。
お互いの必要なものを双方で助け合えればそれで何も困らないわけです、本来は。
でも、今の資本が支配する世界では、そこに「お金」の介在を必要とします。
本来物々交換で事足りる話でも、わざわざお金に換算して数字をつけるわけです。
もしそこでお互いのその数字に対する価値基準が異なってしまうと、なくても良かった余計な不満を生む可能性だってあります。
もちろん、資本社会では、必要だからお金を中心としていることは分かっているつもりですが、資本の意味を紐解くと「活動の礎となるもの」「生産活動が生み出した生産物のストック」という意味も出てきます。
それに当てはめれば、まさに野菜などの食料だって立派な資本だと思うわけです。
じゃあ食料を生産する農家などの一次産業従事者がお金持ちか?というと、全くそんなことはないわけです。
むしろ今の世界では、株だったりファンドだったり暗号通貨だったりの金融商品の方が簡単にお金儲けが出来てしまったりします。
どこで何がどうなってるか分からないけど、お金の数値が増えた。やったー!となるわけです。それが人生の勝ち組という人もいます。

でも、私はそうは思わない。
負け惜しみのように聞こえてしまうかも知れないけど。

自分が持っているお金の数値が増えたからって、楽しさや幸せに直結するとは思えないんです。経験がないから知らないだけかも知れないですけど。

ただ現実として、資本主義社会では全くお金と無縁では生活が成り立ちません。
なので、緩やかでいいから、マーフィーズファームの野菜を定期的に買って、食べてもらえる人とのつながりを増やしたい、100人を目指したい。
その100人で楽しいを作りたい、と思います。

サポートしていただいた分は農園の整備・野菜作りに活用させていただきます。理想の農園に向けて一歩一歩頑張っていきますので、応援よろしくお願いします。