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サルサの超重要人物、セルヒオ・ジョージ自伝「ATACA SERGIO」(2)生い立ち

意外!音楽一家に生まれたわけではない

セルヒオ・ジョージは、ラテン・グラミー賞の年間最優秀プロデューサー賞を最も多く受賞したプロデューサーとして記録をもっています。マーク・アンソニーなどサルサのスターアーチストの作品を数多く手がけている、サルサの超重要人物です。

セルヒオは、NY生まれでプエルトリコ系のルーツをもつアメリカ人ですが、しかし、意外なことに、音楽一家に生まれたわけではないそうです。父親は厳しすぎる人で、セルヒオの姉2人はその理由で10代で結婚し、家を出てしまったほどでした。また、母親は慎重な性格で、冒険を好みませんでした。音楽は、そんなセルヒオの「避難場所」のような存在だったといいます。

とはいえ、最初から音楽を志していたわけではありませんでした。
航空学校への受験に失敗し、野球の道では、手首にけがをして、10代でいくつも挫折を味わいます。そんな中、ピアノを練習していたところ、教師にとてもほめられたことが契機となります。また、偶然、見かけの悪い男性から、ピアノを弾くのかと声をかけられ、サルサのピアニストのオーディションを受けるチャンスを得たことから、彼の音楽人生がはじまっていきます。

次回は、セルヒオがどういう考えを持っているのか、という「人となり」についてご紹介したいと思います。

(続く)



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