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第39話:世界の盗塁王:福本豊とその奥方

 かなり古い人の話ですが、福本豊という選手を皆様は知っていますか? 通算盗塁数、及び、シーズン盗塁数の日本記録保持者でして、その記録は一時期、メジャーリーグ(MLB)の記録を超えた時期があるほどの大記録の持ち主の選手でした。そのため、「世界の福本」 「世界の盗塁王」という異名を持つほどの選手でした。

 ちなみに通算2543 安打にして、通算208 本塁打での記録も持っていまして、文句なく名球会入りした選手でして、通算の盗塁数は1065盗塁、シーズン最多盗塁は106、通算115三塁打、盗塁王を13 回、ダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を12 回、全て日本のプロ野球(NPB)史上1 位の記録をもつ名選手でした。今日はそんな福本豊とその奥さんに関する小話を一つしていこうと思っています。

 福本豊は、松下(現パナソニック)で働いている実業団野球出身の選手です。ちなみに福本自身はプロ野球に全く興味はなく、ドラフトで阪急から指名された事を会社の同僚に聞くまで知らなかったほどの興味のなさでした。

 そんな弱い動機で、なんとなく「なんとなく」プロ野球に入った福本でしたが、その活躍は目覚ましく1 年目から1 軍で活躍し、2 年目でレギュラーをつかむと、その年で「盗塁王」を獲得。そして4 年目のシーズン「MVP」を取るだけでなく、当時の「1シーズンの盗塁世界記録(107)」を樹立してしまいます。ちなみに当時の日本のプロ野球はメジャーリーグより約20 試合少なかったことを考えると、この記録がいかに驚異的であったかが分かると思います。そんな福本ですから、あっと言う間に阪急のスター選手になっていったのですが、本人は、そんなことに全く興味もなく、執着がなかったそうです。そんな福本がよくわかるこんなエピソードがあります。

 時は阪急ブレーブスが、オリックスに売却される1988 年10 月23 日。西宮球場にて、阪急として最後のファン感謝デーが行われていました。その時、当時の監督であった上田監督は、こんなことを言ったのです。

「(チームが身売りされることで)チームを去る山田(久志)、福本」

 じつはこれ、言い間違いでして、本当に言いたかったのは、

「チームを去る山田、残る福本」

 だったのです。つまり、すでに引退を明らかにした山田久志(名球会入りしたアンダースロー最多勝投手)を失うが、福本は残るから安心して欲しいということをファンにいいたかったのです。

 ま、こんな間違いは誰にでもあることなので、気にしなければいいのですが、これを聞いた福本は意外な反応をします。つまり、この話を球場で目の前で聞いた福本は寝耳に水だったのですが、「野球にそんなに興味がなかった」福本は、「チームも変わるし、訂正するのも面倒だから、もうええわ」
と思い引退を決意してしまったのです。ほんと、当時の世界記録保持者とは思えないたんぱくさですよねw

 でも福本以上に野球に興味がなかったのが、その奥さんでして、もっと面白いエピソードがあったりします。

 実は福本、プロ入りを決めた時、奥さんには「松下」から「阪急」に転職すると言っただけだったのです。そして福本が家族に仕事の話をしなかったこともあいまって、奥さんは福本が阪急電鉄の駅員として働いると勘違いしていたのです。

 そして時は流れ、福本が盗塁の当時の世界記録を樹立します。当時のパリーグは不人気でしたが、世界記録となれば話は別、福本はマスコミから引っ張りだこになります。当然、帰宅も不規則になり、極端に帰りの遅い日が続きました。そんな夫を見て奥さんは福本の事が心配になり、文句の1 つでもいってやろうと阪急の駅をしらみつぶしに調査し始めたのです。

 そんなある日、奥さんはヒアリングした駅員からある質問を受けます。

「あなたが探している人は、盗塁で世界記録を樹立した世界の盗塁王の福本さんのことではないですか?」と。

 その言葉を聞いた奥さんは、そこで初めて夫がプロ野球で元気に仕事をしてる事実を知ります。そしてその後、奥さんは夫がプロ野球選手ということを知らないふりをして添い遂げたのです。

 なんというか夫婦円満の秘訣は、お互いに不干渉なのことなのかもしれませんねw

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