見出し画像

わたしで生きる(性格の悪さって、直す必要ある!?)

自分の性格が好きかと聞かれると、好きでもないが嫌いでもない。可愛げはないが、もう可愛いを追求しなくてよい年齢になったし、性格にしてもこの年齢まで手放さずにきたら愛着わくし、最後までこの性格を貫き通そうと思ってしまう。

それに、性格の悪さにしても、悩みにしても一朝一夕でどうにかなるもんでもない。悩みなんて誰にでもあるし、ない人の方がむしろ変!というか気持ち悪い。

それを性格の悪さを悪モノ扱いして、どうにかしようとあがくから、余計に性格の悪さを自分の欠点、汚点と思い込んで、早く直さないと~!と焦る。

でも、そもそも、直さないといけないような性格って何?直さないといけない壊れた人間なんてこの世にはいない。

性格の悪さにしても、見方を変えれば魅力と映るかもしれない。

女優の樹木希林さんにしても、彼女の性格の良し悪しはしゅかんてきなもの横に置くとして、個性的な性格が際立っていた。彼女の筋の通った一筋縄ではいかない性格は、彼女の強烈な魅力であり、彼女自身、自分のことを欠陥品だなんて思わなかっただろう。

もしも樹木希林さんが、自分は欠陥のある、ダメ人間だなんて思い込んで、性格の改造をやっていたらどんなに詰まらない女優が誕生していたことか。

というか、没個性の彼女なんて誰も見向きもしなかっただろう。

・・・

ところが、世の中には自分の性格が嫌いで、もっと良い性格になりたいと願っている人のなんと多いことか。

「いよいよ可愛げがない」と娘の花留さんを掴まえては母親がいつも口にした。いよいよとは「本当に」という意味だろう。

でも、そんな母親の口癖を聞くたびに、少し嬉しい花留さんだった。だって、もし母親が彼女自身の性格を可愛げがあると勘違いしているなら、彼女と違う自分にホッとした。

あれれ?もしかしたら、母親とは違う自分でいたいから、ちょっとひねくれた性格だなあと思っても直そうとは思わなかったのかな?

母親に対して意固地になっていたから、生きづらい性格だと思っても、生きづらい性格を持ち続けてきたのかなあ~?

だとしたら、アホやなあ~

それでも、アラ還になるまで生きづらくてもこの性格と共に生きたんだから、しんどいと思っても死なないでここまできたんだから、相性もそれなりに良かったんだろう。

以前ほど、自分の性格に嫌悪感を持つこともなくなったし、いい人に思われることに執着しなくなった。

自分がどんくさかったら「あたしって、どんくさい」と思えばいいし、弱い人間だったら「弱いよね」と思えばいいし、ひねくれてるなら「あたしって、本当にひねくれてるな」と思うだけのことだ。

よほど自分の性格がまわりの人を不快にさせたり迷惑をかけたりするなら、そこは直そうと思う。

でも、そうじゃなければ、どんくさくても、弱くても、ひねくれていても、これが自分の  "あるがまま" なら、そのありのままで進んでいくだけのことだ。

花留さんも最近になってやっと気づいたが、どんくさいとか弱いとか、ひねくれてるねと思っているのは実は自分自身であって、案外まわりの人はどうも思っていない。

"自分って性格が悪い" と思ってきたけれど、これが"自分の味" だし、自分のまんまで正々堂々と生きていくだけだ。

樹木希林さんが自立した生き方をしている、素敵な女性に見えたのは、彼女が自分以外のものになろうとしなかったからだと思う。

これって、相当な自意識過剰というか、傲慢というか、自信家でないと無理だ。

傷つきたくなくて自分をかばったり、大事にしたり、取り繕ったり、そんなことに意識を使うから他人の目が気になって、人間関係に疲れてくる。

もちろん樹木希林さんも人間だから悩みとか不安や憂鬱なことが人並みにあっただろう。でも、きっと、悩みとか不安とか憂鬱とかの次元が自分より数段上だったんだろうなあ、と花留さんは思う。

もう少し悩みとの付き合い方が品よく、洗練されてきたら、自分の性格がどうのなんて、小さなことで悩まなくなるのかな。