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プーチンの誤算~『ウクライナ戦争』(小泉悠)~

この本には、2022年2月24日に始まったウクライナでの戦争の、脱稿時点(2022年9月末)までの動きが書かれています。発行は2022年12月10日ですが、出版に間に合うぎりぎり最新の情報を盛り込もうとした、著者のがんばりに敬意を表します。

↑kindle版


まずは、「はじめに」に出てくる国防省付属戦略ロケット軍博物館の職員のユルさに脱力しました。「ソ連時代には実際にICBMを運用していたラケーチク(ミサイル部隊隊員)たち」( p.16 以下、ページ数はすべて新書版)だそうですが、ICBMの発車管制装置を「やってみよう、これが発射ボタンだ。3、2、1で押してください。3、2、1、発射!」(p.17)と押させてくれたらしいです。2019年当時の話で、言うまでもなくミサイルは飛び出さないとはいえ、「やってみよう」じゃないよ……。


著者はこの戦争の理由を、以下のように分析します。

プーチンのいう「ウクライナはネオナチ思想に毒されている」といった主張には客観的な根拠がなく、NATO拡大が差し迫っていたわけでも、ロシアの安全が顕著に脅かされていたわけでもない。したがって、より民族主義的な「プーチンの野望」とでもいったものを仮定しないことにはロシアの戦争動機は説明がつかないのではないか。

p.22


プーチンの2021年7月の論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」の内容は、とてもそのまま受け入れられない一方で、ロシアとウクライナを厳密に分けることは難しいのは事実のようです。

現在のウクライナが歴史・文化・宗教・言語などを少なからずロシアと共有していることは事実であり、特に言語面ではかなりの割合の国民(その比率については諸説あるが、最小の見積もりで約3割、最大で約半数)がロシア語を母語としている。

p.24

ウクライナやベラルーシの少なからぬ人々はロシア語を母語とし、ウクライナ語やベラルーシ語はまるでわからない(あるいは母語ではない)というケースさえめずらしくない。ゼレンシキー大統領自身もその一人であり、大統領に就任するまではほとんどウクライナ語が喋れなかったほどだ。ということは、彼はウクライナ語が喋れなくてもウクライナでコメディアン・ドラマ俳優として成功できたのであり、この一事のみをとっても、ロシアとウクライナを全く別のものとして扱うのがいかに難しいかがわかる。

p.67

なお上記の引用で、「あれ、ゼレンスキーでは?」と思われた方もおいででしょうが、著者によれば以下の理由でゼレンシキーが正しいそうです。

現在のウクライナ政府がウクライナ語を唯一の公用語としている以上、例えば首都をロシア風の「キエフ」ではなくウクライナ風に「キーウ」と表記することには一定の理があろう。ロシア語を母語として育ったウクライナ大統領、ウラジミール・ゼレンスキーをヴォロディミル・ゼレンシキーと表記することも同様である。

p.25

戦争開始後、あっという間にマスコミはキエフを「キーウ」に切り替えたのに、なぜゼレンスキーはゼレンスキーのままなんでしょうね? この記事では、一般的な呼び名に従い、引用部分以外はゼレンスキーとしておきます。
なお地名の表記については、著者は上記の引用の続きで、以下のような疑問も呈しています。

しかし、第二の都市ハリコフ(ウクライナ語ではハルキウ)、東部のドネツク(同ドネツィク)及びルガンスク(同ルハンシク)、黒海に面した港町のオデッサ(同オデーサ)などはどうか。
これらの地域にはロシア系住民が多く、少なからぬ住民がロシア語を母語としている。こうした都市の地名や住民の名前を一様にウクライナ語で表記することは、そこに暮らす人々のアイデンティティを否定することになりはしないか。実際、第一次ロシア・ウクライナ戦争勃発後に「地域言語法」が廃止され、ロシア語がウクライナの公用語から外されたことはロシア政府、ウクライナのロシア系住民、さらには欧州議会からも非難を受けたという経緯がある。

p.25



なお、本の題名は「ウクライナ戦争」ですが、著者は今回の戦争を別の呼び名で呼んでいます。

本書では、今回の戦争を第二次ロシア・ウクライナ戦争と呼んでいる。2014年に発生したロシアによるクリミア半。島の強制「併合」と東部ドンバス地方での紛争が第一次ロシア・ウクライナ戦争であったという位置づけである。

p.23~24

及ばずながら、私も今回の戦争と2014年の動きはリンクしていると考えています。稚拙なまとめで恐縮ですが、以下の記事にまとめたので、無料公開部分だけでもどうぞ。


以下、印象に残った部分を備忘録代わりにまとめておきます。


プーチンはその後(引用者注:第一次ロシア・ウクライナ戦争後)も、自国や友好国での政権に対する異議申し立てを外国の介入であるとする見方を繰り返しているが、そこに存在するのは「自発的な意志を持った市民」というアイデアそのものへの深い懐疑である。
2010年代前半に在モスクワ米国大使を務めたマイケル・マクフォールによれば、「背後で操る者がいなければ、大衆は立ち上がらない。大衆は国家の道具や手段であり、ものを動かすテコである」というのがプーチンの世界観

p.41

市民や大衆を、軽視しているわけですね。東欧の民主化は、市民の力で起きたのに。


49ページから53ページで触れられている、ゼレンスキーの政敵で、プーチンと密接に結びついているメドヴェチュークですが、先日の「東京新聞」にこんな記事が出ていました。

メドベチュク氏がロシア側に提供した情報にはウクライナ軍の部隊配置などが含まれる。「キーウ(キエフ)は三日で陥落する」「ウクライナ市民はロシア兵を花束で迎える」などと根拠のない分析をFSB(引用者注:ロシアの情報機関である連邦保安局)に伝え、対価を得た。(中略)
プーチン氏はこうした情報を信じ、ウクライナへの全面攻撃を始めた。

「ロシア、誤情報で侵攻か ウクライナを過小評価」(ヨーロッパ総局、2023年3月9日(木)、「東京新聞」朝刊、11版、6面)

まさに、「ロシアは大量の内通者をウクライナ国内に確保していたものの、その多くはあまりアテにならなかった(p.110)」わけですね。


筆者の研究室も2021年からMaxar社の衛星画像サービスと契約を結んでおり、天気さえ良ければロシア軍の駐屯地や飛行場をかなりの高分解能で実際に観察することができるようになっていた。(p.75)

p.75

米国政府の情報開示、民間でも契約可能な安価な衛星画像サービスの登場、SNS上の集合知などがロシア軍の動きを事前に丸裸にしたという意味で、今回の戦争は実に現代的なものであったと言えるだろう。

p.77

何だかすごい時代ですね。


ちなみに「特別軍事作戦」という名称について、著者は以下のように分析しています。

「特別軍事作戦」の意味するところとは、「軍隊は投入されるが、激しい戦闘を伴わない軍事作戦」といったものであったのではないかと思われる。ことがプーチンの思惑通りに運べば、ウクライナには早々に傀儡政権が樹立されたのであろうし、その場合、ロシアの振る舞いに対する国際社会の反応もそう厳しいものとはならないーーそんな思惑もあったのかもしれない。

p.107

メドベチュークの情報通り、ウクライナ市民が「ロシア兵を花束で迎え」ていれば、プーチンの思惑通りだったのでしょうけれど。


対戦車ミサイル・ジャベリン(中略)は単なる兵器ではなくなった。聖母マリアがジャベリンの発射機を抱いた「聖ジャベリン」なるイラストが登場し、たちまちミーム化したのである。「聖ジャベリン」が団地の壁にまで描かれ、キーウにはグッズ販売店まで出現した

p.120~121

脱力すると共に、どんな場面にも笑いないしは遊び、そして商売のタネを見出そうとする、人間の逞しさかなとも思います。


ナポレオン戦争以前の欧州においては、軍隊は貴族層の「財産」であり、しかも一度軍隊が壊滅すると再建が難しいため、大規模な犠牲が出る決戦を避けて小規模な勝利を積み重ねる「制限戦争」の形が一般的にとられていた(中略)。ナポレオン以前の戦争は「儀式的」な性格が強く、究極的には「戦闘そのものが焼失するかもしれない」とさえ予見されていた(中略)。ナポレオンが創設した大陸軍(グランダルメ)は、「18世紀の他の国の陸軍では対応できないほどの死傷者を出しながら戦」う「獰猛な戦争」を遂行することができる、全く異なる種類の軍事力であった(中略)。重要であったのは、「国家とそこに住む人々の関係が変質したこと」、すなわち「国民」としての自覚を持ったフランス大衆が国家の危機を自らの危機であると認識し、強制によってではなく自らの意志で主体的に祖国防衛に参加することになったことであった。

p.122~123

1994年のブダペスト覚書(中略)の骨子は、ウクライナがソ連から継承した核兵器を放棄する見返りに米国、英国、ロシアがウクライナの安全を保証するというものであり、フランスと中国も同様の内容を含む文書に別途署名していた。
しかし、2014年の第一次ロシア・ウクライナ戦争に際しては、これらの国々は実質的な軍事的支援をウクライナに対して行っていない。(中略)ここで米国が約束したのは安全の「保証(assurance)」であって、実際に軍隊を派遣することを意味する「保障(guarantee)」ではなかったからだという。

p.132

恥ずかしながら、ロシアがブダペスト覚書に反したという点にばかり目が向いていたので、アメリカ、イギリス、フランス、中国が動かなかったという点を重視していませんでした。言うまでもなく、軍事支援をその時にするべきだったという意味ではありませんが。


ハイブリッド戦争とは暴力闘争の代替物、あるいは別個の闘争形態なのではなく、暴力(軍事手段)が非軍事手段と同時かつ密接な連携の下に行使され、主として「戦場の外部」(特に人々の認識)に働き掛けることで政治的目的を達成しようとする闘争形態である、とまとめられよう。
(中略)重要なのは「戦場の外部」をいかにして制すかであり、主体や手段の多様性は結果に過ぎない。逆の言い方をすれば、自分たちの闘争の正当性をうまくアピールして敵の闘争を妨害できるなら民兵やサイバー戦は必須ではないし、これらの要素を用いていても戦争の勝敗が「戦場の内部」で決まるなら、それは古典的な戦争の現代バージョンに過ぎないということである。

p.201~202

「ハイブリッド戦争」とは、ある程度民主的な政体を持つ強者に弱者が対抗するための戦略である。

p.204

これらのハイブリッド戦争の定義は、個人的には廣瀬陽子さんの定義よりしっくりきます。


「ハイブリッド戦争」に類似するロシア流軍事理論としては、「新型戦争」(中略)がある。これは2010年代に入ってから心理戦部隊のイーゴリ・ポポフなどが訴えたものであり、「最も恥ずべき手段」を含めたあらゆる闘争方法を駆使すれば戦争に訴えずして敵国を崩壊させられる、という主張を中核としている。
では「最も恥ずべき手段」とは何か。ポポフによると、その一つは、情報戦とテロの組み合わせである。人権侵害、独裁、大量破壊兵器製造、民主主義の欠如などをアピールして軍事力行使がやむを得ないという空気を国際社会で醸成すること、敵国内の反体制派を操って抗議デモを行わせること、メディアやインターネットで偽情報を拡散して軍事力行使に反対する意見を圧殺すること、それでも反対する勢力の中心的人物を暗殺することなどがその主要な手段であり、このような方法を駆使すれば軍事力行使に至らずして(そして明白な侵略であると意識されることなく)敵国政府を転覆できる場合があるという。(中略)
また、政府転覆に至らずとも、いちど不安定状態に陥った国歌は外部勢力の激しい干渉を受ける。

p.205~206

ロシアがウクライナに対してやったこと、そのままですね。「最も恥ずべき手段」という自覚はあるわけですか。ただし著者は、「今回の戦争は『新型戦争』に(中略)完全には当てはまらないようである」(p.206)という見解です。
なおプーチンが言うこの戦争の「大義」は以下の通りです。

①ウクライナ政府はネオナチ思想に毒されており、ロシア系住民を迫害・虐殺している、②核兵器を開発しており、国際安全保障上の脅威である、③ウクライナがNATOに加盟すればロシアの安全保障が脅かされる

p.216~217

著者はこれらの大義を1つ1つ論破しています。例えば①については、「マリウポリの攻防戦で国際的に有名になったアゾフ連隊」が「白人種の優越性を唱えるナチス的人種主義の影響を強く受けたものであ」ること、「移民や性的マイノリティに対する政治的暴力を行使してきたほか、第一次ロシア・ウクライナ戦争においても民間人の殺害や捕虜の虐待を行っているとの記載が国連高等弁務官事務所(OHCHR)の2016年の報告書には見られる」こと、そしてウクライナ政府自体が「第一次ロシア・ウクライナ戦争勃発後、『地域言語法』を廃止してロシア語を公用語から外すという決定を下している」ころをふまえ、「ウクライナがロシア系住民に対して全く弾圧を加えてこなかったとは言えまい」(以上p.217)と認めつつも、「ウクライナ全体がネオナチ思想に席巻されているとは到底言い難い」(p.218)としています。


本書と上記の「東京新聞」の記事を読んで思ったのは、プーチンは、一部のウクライナ人のいい加減さを甘く見ていたのかなあということ。メドヴェーチュクに代表される、金銭目当てでいい加減な情報を提供したウクライナ人のせいで判断を誤った上、「特別軍事作戦」開始後は、ロシア軍に呼応して動くはずだった協力者たちも、思うように動かなかったわけだし。
かといって、もちろんプーチンは被害者だなんていうつもりはありませんし、国のトップとしてロシア軍やロシアの民間軍事会社のワグネルなどが行ったすべての行為の最終的な責任からは逃れられないわけですが、誤算に次ぐ誤算だったのは、ほぼ間違いないでしょう。

なにはともあれこの戦争が、1日も早く終わるよう祈っています。


見出し画像には「みんなのフォトギャラリー」から、「ウクライナ」で検索して出てきた美しい写真をお借りいたしました。


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